凄腕外科医は初恋妻を溺愛で取り戻す~もう二度と君を離さない~【極上スパダリの執着溺愛シリーズ】



「綺麗だな」

 祐希を抱っこした宏輝さんが微笑んで、私は少し泣きそうになる。あまりにもふたりは似ていた。

 平安神宮の神苑に花見に行こう、と誘われたのは宏輝さんが京都に来て三日目、カフェが定休日のことだった。一週間の休みがあるらしく、ギリギリまで説得を続ける予定らしい。『この時期の京都のホテルに空きがあるわけないだろう?』と嘯いてまで私の家で寝泊まりするのは、最初からそうするつもりだったのだろう。お母さんが来たときのために用意してあった布団で……あんな廉価品で眠るのなんて初めてだろうに、彼はぐっすりと眠れているようだった。

 昨日はカフェに丸一日いて医学関係の本を読んでいて、保育園のお迎えにも当たり前のようについてきた。保育園の先生たちにどう見られるだろう、と身構えていたけれど、いつも通りの対応にホッとした。
 高岸先生はさすがに少し変な雰囲気だったけれど……。
 帰宅しても、宏輝さんは当たり前のように家事をして祐希も見てくれる。元々器用な人だし私の行動パターンも把握されているからだと思う。

『……あれ』

 今朝、祐希に朝食のしらすの混ぜご飯を食べさせているとき、ハッと気がつく。

『どうした?』

 私が祐希の離乳食を作っている間に手早く作ってくれたお味噌汁を飲みながら、宏輝さんが首を傾げる。うちのリビングでの出来事だ。窓からは春の朝日が差し込んでいた。

『あ、いえ……』
『眠れているか?』

 宏輝さんが私の目元を指で拭い、ふっと頬を緩める。おずおずと頷く私から、さりげない仕草で祐希のスプーンを受け取った。

『あ……』
『代わるよ』

 宏輝さんは端正な目を細める。
 再会して三日目にも関わらず、気がつけば普通に食卓を囲んでいて、自分でもびっくりした。最初から三人で暮らしていたかのように、生まれてからずっと祐希を育ててきたかのように宏輝さんは振舞う。押し付けるような雰囲気ではなく、ごく自然に私が甘えられるようにしてくれる。

 こんなに自然に甘えては、ダメなのに。強くなると決めたのに。
 なのに彼に甘えるのが普通だったころの自分が顔を出しでしまうのだ。

 気合いを入れ直さなくてはいけない……なんて考えながらお味噌汁を飲んでいて、さりげなく提案されたお花見話に反射的に頷いてしまったというのが顛末だった。
 そんなわけで、朝から三人で訪れた平安神宮は京都市、岡崎の街に鎮座する比較的……つまり、京都としては新しい神社だ。創建は明治時代、朱色の大鳥居の高さは二十四メートルにもなる。神苑には三百本以上の桜の木が植えられており、なかでも枝垂れ桜が有名だった。
 その桜色の靄のように咲き誇る枝垂れ桜を前に、宏輝さんは祐希に蕩けるような笑顔を見せていた。かわいくて仕方ない、と顔に書いてある。
 ずっと家族を、そして子どもを欲しがっていた宏輝さん。なにがなんでも私を説得するのだと、昨日の夜も笑っていた。
 ……ただ、説得がうまくいかなくても彼はなんとしても私たちを連れていくつもりだろう。彼の能力からいって、国内で……ううん、国外に逃げたとしても捕まるのは時間の問題だ。
 だから、私としては一生懸命に宏輝さんのこれからの人生に私は必要ないのだと諭しているのだけれど、頑として聞き入れようとしてくれない。

「こら、悠人。だめだぞ」

 神苑の桜を千切ろうとした祐希を優しく叱る宏輝さんの声でハッと目を瞬く。悩みすぎて昨夜眠れていなかったのが良くなかったのだろう、少しふらついた私を慌てて彼は抱き寄せた。祐希を抱っこしているというのに、ふらつくこともない。

「大丈夫か」
「う、うん」

 離れようとすると、逆にぐっと力をこめられた。私は目線を落とす。優しくされたくない……。せっかくの決意が、何度もグラグラと崩れそうになっている。

「すまないな、疲れているだろうに連れ出して」

 宏輝さんが眉を下げる。

「少し休もうか。すぐ近くにカフェがある。甘いものでも飲む?」

 意地を張る場面でもないので、小さく頷いた。
 左に祐希を抱っこした宏輝さんの右手に手を引かれ、私は桜の木々の間をゆっくりと歩く。ソメイヨシノの桜色より濃い紅色の花びらが、枝ごと春風に揺れる。紅色の霞か靄のようだ。

「谷崎潤一郎もここの桜が気に入っていたらしい──『紅の雲を仰ぎ見る』だったかな」

 細雪の、と宏輝さんに言われ私は少し嬉しくなる。

「本当? いま私も紅色の霞みたいって……思って……」

 つい昔みたいにはしゃいで返してしまい、慌てて語尾を濁して口をつぐむ。宏輝さんが私を握る手のひらに少し力を込め、頬を緩める。

「谷崎と感性が近いんじゃないか?」
「まさか、そんな……読書感想文ですら苦手なのに」

 口ごもりながら答えると、宏輝さんが笑った。

「読書感想文なんかで感性ははかれないだろ」
「宏輝さん、知っているくせに。私が作文苦手だったの」
「俺は好きだけれど? 君の文章」

 夏休みの宿題や、時折ある作文コンテストに小学校や中学校で応募させられては落選していた私の文章を『素敵だ、茉由里らしい』と褒めてくれたのは宏輝さんだけだった。

 昔からそうなのだ、彼は……私のやることなすこと、全て肯定して包み込む。
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