凄腕外科医は初恋妻を溺愛で取り戻す~もう二度と君を離さない~【極上スパダリの執着溺愛シリーズ】

 私は俯いて、足元に散る桜紅の花びらを見つめた。
 神苑を出る。宏輝さんの言っていたカフェは平安神宮のすぐ横で、本屋さんと一緒になっているような形態だった。タイミングよく二人がけのテラス席に座ることができて、ほっと息を吐く。祐希は宏輝さんの膝の上にちょこんと座り、紙パックのアップルジュースを飲んでいた。私は春限定のデザート系ドリンクで、宏輝さんはブラック。

 変わらないな、と思ってしまった。ふたりでカフェにいくと、いつもこんな感じで……私はいつも選ぶドリンクはまちまちで、でも宏輝さんはいつもブラックで。
 いつだって私に付き合ってくれていただけなのだ。私が喜ぶのが嬉しいって、可愛いって。
 過去のことをつい思い返していると、ここまで大人しかった祐希がむずがり始める。飽きてきたのだろう。ジタバタする祐希を抱き上げ、宏輝さんが私に微笑む。

「もう少し散歩してくる」
「……私が」
「さらったりしない。信用してくれ」

 間髪入れずそう言われて、ぎくりと肩を揺らした。祐希を連れて行かれるのではと内心どこかで怯えているのはお見通しらしかった。
 おずおずと頷くと、宏輝さんは「ゆっくり飲んで」と言い残して祐希を連れ歩きだす。

「優しい旦那さんねえ。それにしても、ほんとお子さんとそっくり。うちの孫も同じくらいよー」

 横のテーブルにいた観光客と思しき女性に言われ、曖昧に笑顔を浮かべ、頭を下げた。
 他人から見ても、そう見えるんだ。
 祐希と宏輝さんはそっくりだって……私たちは夫婦だって……。
 ぐっと胸が詰まる。

 彼が、京都にいる間。つまりこの一週間だけ、家族として過ごしてみようか。
 そんな考えが頭に浮かぶ。
 一生の思い出として、家族として。
 祐希の安全のために、一度は東京に行くべきなのかもしれない。けれど彼からの求婚に応えることはないだろう。
 でも、今だけは……この瞬間だけは。
 しばらくして、宏輝さんは祐希を抱っこして戻ってきた。

「ちらっと動物園をのぞいてみたんだ。面白そうだったな。茉由里の体調さえ良くなれば行ってみようか」

 平安神宮のすぐそばには、市立の動物園がある。小さく頷くと、宏輝さんが頬を綻ばせた。
 祐希が私の膝に乗って「まーま、わんわん」と機嫌よさそうに笑う。宏輝さんのほうを見て「ぱ」とも言う。

「……そう、パパと動物園行ったの。わんわんがいたの?」

 勇気を出して小さく言うと、宏輝さんが息を呑んだのがわかった。うまく顔を見られない。

「その、ヤブイヌというのがいて。祐希は気に入ったみたいだ」

 宏輝さんが声を弾ませる。
 たったこれくらいで、そんなに喜ばなくたっていいのに。
 どうしてこれくらいでそんなに嬉しそうにしてくれるの……。
 カフェを出て歩いているうちに、祐希は宏輝さんに抱っこされたまま眠ってしまった。

「結構やんちゃなんだな。動きたがるからヒヤヒヤした」
「そうでしょう?」

 ふふ、と笑うと宏輝さんが嬉しげにしているのがわかる。私が楽しそうだと喜ぶところ、変わらない。

「昼食にするか?」

 頷くと、宏輝さんが平安神宮近くの日本庭園が美しい家屋に私を連れていく。立派な門扉でまごついてしまう。豪邸とはいえ、明らかに民家だったからだ。表札こそないものの、料亭やカフェの雰囲気ではない。

「心配するな。俺の持ち家だから」
「え?」
「君が京都に行ったと知ってすぐに購入した。元々はさる文豪の持ち家で……どうぞ」

 丁寧にエスコートされるようにされ足を踏み入れる。置き石を踏み足を踏み入れた庭園は、京都らしく侘び寂びを感じられるもの。
 引き違いになっている格子戸の玄関を上がれば、磨き込まれた廊下が春の陽に輝いた。

「そこを右に」

 言われるがままに進むと、坪庭に面した和室があった。思わず目を瞠り、息を吐いた。
 坪庭とは、建物に囲まれた畳二枚ぶんていどの小さな中庭だ。その空間に優雅に配置されている苔むした岩と、上品な鹿おどし。なにより目を惹いたのは低木の桜だった。さっきまで見ていた枝垂れ桜とはまた風情の違う、絢爛な八重桜の低木だ。
 差し込む日差しに、柔らかな紅色を揺らしている。

「きれい」

 思わず吐息が漏れた。
 座卓には二段の重箱がふたつ、置いてある。

「弁当を注文していたんだ。座っていて」

 おずおずと用意されていた座布団に座ると、宏輝さんは私に祐希を預けてくる。「んー」と言いながら眉を顰めた祐希は、結局睡魔に負けたようですぐにすやすやと寝息を立て始めた。

「これに寝かせよう」

 宏輝さんが隣の部屋からベビー布団を抱えて戻ってくる。白と黄色で、かわいらしいヒヨコが刺繍されていた。敷布団も固めで、きちんとしたメーカー品のようだった。

「これ、いつのまに?」
「布団は念のために揃えたというか……どうしても、何か祐希に買っておきたくて」

 苦笑しながら宏輝さんがベビー布団を私の近くに敷いた。そっと祐希を寝かせるけれど、少しだけむずがってしまう。宏輝さんがとん、とん、とお腹を優しく叩く。すうっと力が抜けて、また寝息を立てる祐希に宏輝さんは切なそうな顔をする。

「なんてかわいいんだ」

 胸がぎゅうっと痛んだ。

「……ごめんなさい」

 謝る私に、宏輝さんはぎょっと顔を上げる。

「どうした? 茉由里」
「あなたが子どもを欲しがっていたのは知っていたのに……ひとりで独占したような形になってしまったな、って」
「なにを言っているんだ」

 宏輝さんがそっと私の手を握る。

「結果論だけれど、君が俺から離れていてくれて良かった。もし一緒にいて、……なにも知らされないまま、最悪なことになっていたら」

 宏輝さんは唇を噛む。祐希が狙われる、と言っていた件について、この間言っていたこと以上になにか知っているのかもしれない。

「祐希を守ってくれてありがとう、茉由里」

 私は目を瞬き、それからゆるゆると首を横に振る。

「私はただ、自分があなたにふさわしくないと気がついただけ」
「ふさわしくない? 君が? 俺に?」

 宏輝さんが眉を上げて私の横に座り込む。そうして私を抱き上げ、自分の膝に乗せた。ぎゅっと抱きしめられ、蕩けそうに愛おしい体温に涙が出そうになる。

「や、やめて」

「無理だ。茉由里──俺が横にいて欲しいのは君だけ。君の横にいていいのも俺だけだ」

 そう言いながら、宏輝さんは私の首筋に口づける。

「あ、っ」
「茉由里、……ふさわしいだとかふさわしくないだとか、そんなくだらない話はもうしないでくれ」

 ちゅっと吸いつかれ、びくっと肩を揺らした。宏輝さんが低く喉元で笑ったのがわかる。

「愛してる、茉由里。誰よりも」

 宏輝さんが私の耳の裏をべろりと舐めた。思わず叫びそうになり、きゅっと唇を噛む。

「さっき君は俺が子どもを欲しがっていた、と言っていたけれど、正確にはちがう」

 耳殻を甘く噛み、その上で舌で耳の溝を舐めながら彼は続ける。

「俺は君との子どもだから欲しかったんだ。もし授かれなかったとしても、俺は君を手放さなかったよ、茉由里」
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