源次物語〜未来を生きる君へ〜

第13話〈ガダルカナル島からの手紙〉

 ガダルカナル島……日本から南に約5千キロ以上離れたソロモン諸島の島……
 晴れた日は空も海も真っ青でとても美しい島であるが、日本にとっては地獄のような惨状が繰り返された辛く苦しい悲劇の島になってしまった。

 米国と豪州を分断する拠点として日本軍が建設していた飛行場が完成したばかりの1942年8月7日……
 アメリカ軍は約1万1000人をガダルカナル島に上陸させて飛行場を占領した。
 
 大本営の見積もりが甘く1万人以上いた米軍の規模を約2千人と判断し、日本軍は精鋭部隊900人を逆上陸させて飛行場奪還を目指したが、正面攻撃を受け部隊は壊滅……
 その後も増援部隊を送り込んだものの、物量に勝る米軍との消耗戦となり、補給の続かない日本軍は飢餓に苦しんだ。

 日本は夜間の奇襲攻撃作戦を行ったものの、日本軍が使用していた銃剣と米軍の機関銃では威力がまるで違い、激戦地となったムカデ高地は血染めの丘と呼ばれるようになった。

 食糧を輸送しようとした海軍の潜水艦や輸送船は攻撃を受け沈没……
 補給を絶たれた日本兵は、ジャングルの中で飢えとマラリヤや赤痢に苦しみながら死んでいった。

 最初のうちは配られていたお米も底をつき、寝ている間に盗まれたり食糧の取り合いで日本人同士の撃ち合いになることもあった。
 それもなくなるとヤシの実やヘビやトカゲを食べて命を繋いだり、極限状態の中で生きるために死体の肉に手を出した者もいたという。

 8月8日の第1次ソロモン海戦、8月24日の第2次ソロモン海戦、10月11日のサボ島沖海戦、10月26日の南太平洋海戦……
 そして11月12~15日の第3次ソロモン海戦に日本は敗れ、制空権制海権は完全にアメリカに握られた。

 負傷した日本兵の一部は、手当をしようと救いの手を差し伸べた米兵に対して手榴弾で自爆攻撃を実行した。
 日本軍に降伏という選択肢がないことを悟ったアメリカ軍は、横たわっている日本兵がいると生きていようが死んでいようが戦車のキャタピラで踏みつぶすようになったそうだ。

 ガダルカナル島は孤立して日本の守備隊はジャングルに逃げ込まざるを得なくなり、陸軍は船舶増徴による救援を要求したが、12月31日に大本営はガダルカナル島の放棄を決定した。
 しかし情報が漏れることを恐れた大本営は、命令の伝達を無線ではなく人づてで行ったため伝わるまでに2週間余りかかり、撤退命令を知らないまま多くの隊が壊滅した。

 結局ガダルカナル島に上陸した日本軍約3万人のうち2万人以上が亡くなってしまった。
 そのうち戦闘ではなく餓えとマラリアなどの病気で命を落とした者が1万5千人にものぼり、ガダルカナル島は「ガ島=餓島」と呼ばれた。

 大本営が撤退を命じ、実際に撤退できた者は約1万人……
 痩せこけて骨が浮き出たおびただしい数の遺体にはハエがたかり、歩けない者は置き去りにされ、負傷者は自決……または処分を余儀なくされた。

 ガダルカナル島の戦いは、補給の軽視、情報収集の不徹底など連戦連勝で慢心していた日本軍が敗北を喫し攻守が逆転するきっかけとなる歴史的な悲劇の戦いになってしまった。

 そして2月9日、大本営はガダルカナル島からの「撤退」を「転進」として発表した。
 新聞は、戦況の悪化にもかかわらず有利であるかのように戦果を水増しすることが常態化しており、反対に被害は少ないことにして虚偽の発表を行い続けることに葛藤して心苦しかったことだろう。

 同じく1943年2月、日本政府は「軍需造船供木運動」を開始……急速に進む鉄不足で鋼船に代えて木造船を緊急増産する必要があるため、山林だけでなく屋敷林・社寺林・並木・公園・海岸林の木々が一斉に伐採された。

 桜は薪や下駄の材料にもなるため、1年前に「来年も一緒に見ようね」と約束した神田明神と宮本公園の桜は、その花を咲かせる前に伐採されてしまい……お花見は中止となった。

 そんな1943年5月のある日、珍しくいつもの三人が外出していたので播磨屋で一人で食事をしていると突然、見知らぬ兵隊さんが訪ねてきた。

「失礼致します。宮本浩一隊長の奥様であられます、宮本静子殿はご在宅でいらっしゃいますでしょうか? わたくし宮本隊長と同じ隊で大変お世話になりました岩本と申しますが……本日はご報告とお届けしたい物があって参りました」

「はい、宮本静子は私ですが?」

 厨房の奥から静子おばさんが出てくると、その兵隊さんは敬礼をしながらこう続けた。

「宮本隊長は…………ガダルカナル島で立派に散華されました。 こちら渡すよう頼まれておりました、正帽の星と少しですが遺骨になります」

「え? あの、何かの間違いじゃ……確かガダルカナル島からは転進……」

「大変……申し訳ありません! 自分のせいで宮本隊長は……本当はご家族に顔向けできる立場ではないのですが、宮本隊長との約束を果たすために参りました!」

 岩本さんは扉を閉めた後、そう言いながら店の中で土下座をした。
 外から見聞きされないよう配慮したようだった。

「どういう事なんですか? こちらでお話お伺いします」

 静子おばさんはお店の暖簾を急いでしまい、兵隊さんを奥の部屋に案内した。
 岩本さんは、お茶を一口飲むと堰を切ったように話し始めた。

「取り乱して申し訳ありません……宮本隊長には名字が似ているからか大変可愛いがっていただきまして、宮本隊長は皆にとって憧れの存在でありました……ガダルカナル島で皆が飢餓や病気で戦う力もなく死んでいく中、隊長は立派な最期を迎えられ多くの者の希望の存在になりました」

「そうですか……あの人に何があったのか、どんな最期だったのか……教えてもらえますか?」

 静子おばさんは取り乱す様子もなく、静かに問いかけていたが……それが余計に痛々しかった。

「ガダルカナル島に撤退命令が出て、海に向かう途中のジャングルの中でした……米軍による銃弾の雨の中、立つ力もなく隊の皆のように壕を掘れないで木の根元に身を寄せていたら、宮本隊長が『俺の掘った壕に入れ』と私を引きずり入れて下さったんです」

「そうですか……相変わらず優しい人」

「でも代わりに自分は壕の外に出てしまわれた……その直後に銃撃があり、我々の隊を守るようにして宮本隊長は……………意識は、暫くあったんです、でも出血が……止まらなくて……」

 岩本さんは泣きながら続けた。

「自分の正帽を差し出して『星を切り取ってくれ』と……『お守りだ、お前は生きて帰れ』と……そして『生き残ったら、必ず家族に渡してくれ、約束だ』とおっしゃられました」

「それから『小指の先を切って骨を持ち帰ってくれ』と……あの島に行って遺骨を持ち帰るのは不可能に近かったんですが、奥さんと生きて帰ると約束したから……『せめて指切りげんまんをした小指だけでも帰らないと怒られる』と……最期に奥様やご家族を思い出されたのか、とても穏やかな笑顔でした」

 箱を差し出すと同時に中の骨が揺れたのか、カランという音が聞こえた。

「そのまま置き去りにされるご遺体が多い中、簡易的ではありますが埋葬し皆が別れを惜しみました……『必ず生き残れ、それが最後の命令だ』という隊長の言葉が今でも耳に残っています」

「恥ずかしながら戻って参りましたが、自分は約束があるから生きて帰ることができました……宮本隊長のおかげで命拾いをした者が沢山いるんです」

「そうですか……それはよかった」

「志半ばで最期を迎え、必ず届けると約束した大勢の遺書は……カバンに入れて大事に持って帰ってきたのに、入国する時に検査に引っかかり全て軍に取り上げられました……今の日本はおかしいです」

「せめて隊長の遺品だけは守ろうと必死でした……なんとか持ち帰れて本当によかった。ガダルカナル島から届けられなかった沢山の手紙の代わりに、宮本隊長の遺品を届けることが僕の生きる目標でした」

「2月に撤退した後にブーゲンビル島に移ったのですが、送還命令が出たのが5月になってからでご報告が遅くなり大変申し訳ありません……本当に、本当にありがとうございました!」

「こちらこそ、大事な大事な遺品を……皆さんの想いがつまった届けられなかった手紙の分まで届けて頂き、ありがとうございました。岩本さん……岩本さんは主人の分まで長生きして下さいね」

 涙も見せずにそう告げて、岩本さんが去っていくのを手を振りながら見送る静子おばさんの後ろ姿からは、バラバラになっていく心の……声にならない悲鳴が聞こえた気がした。
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