源次物語〜未来を生きる君へ〜

第3話〈生まれた軌跡〉

 高田源次、1923年11月15日生まれ。
 僕は1923年の9月1日にあった関東大震災の2ヶ月半後に生まれた。
 父親は高田邦男。
 母親は高田藤子。
 埼玉で生まれ、海軍所属になった父親と厳しい母の影響で必然と生真面目な性格になり……運動が苦手な本の虫で、特に推理小説が好きだった。

 大学の午前の授業が終わった後、僕達は学食で昼食を食べながら色々な話をした。
 篠田に聞かれた事に次々答えていると……

「何~? 誕生日が11月15日? 俺の尊敬する坂本龍馬と同じ誕生日とは~こりゃ益々、運命の出会いじゃ」

「坂本龍馬の誕生日って西暦に直すと違うらしいぞ?」

「誕生日が天保6年11月15日、命日が慶応3年11月15日、当時は元号での日付で数えとったし、ええやないか」

「あ~あ~俺の誕生日は2週間早いんや~」
 
 そう言いながら頭を抱える篠田の誕生日は11月1日らしく……2週間違いの同じ11月生まれで話が益々盛り上がった。

「俺は高知の神田生まれの大阪の神田育ち! 昔からなぜか神田に縁があって今は東京の神田に住んどる!」

「それはすごいな! あと、お前の雄弁さは大阪で仕込まれたのか」

「おかげで土佐弁と大阪弁のもんじゃ焼きや~」

「それ全然面白くないぞ……」

「高田くんは、どうして立教に入ったんじゃ?」

「僕…………推理小説家の江戸川散歩先生と蘭医学者の緒方洪南先生が好きなんだ~緒方先生の教え子の福沢さんが創設した慶應も受けようと思ったんだけど、江戸川散歩先生が住んでるらしい池袋にある立教の文学部で学びたいと思って……もしかしたら先生に会えるかもしれないし!」

「意外と語り出したら止まらんやつだな……」

「あと一人暮らしで引っ越す先が、一番好きな小説の舞台だったからってのもあって……」

 僕はキリスト教徒ではなかったが、何故だかどうしても立教に入りたかった。
 1941年12月8日、日本による真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争が始まった次の年の入学とあって、海軍所属の父を持ちながら敵国の宗教……キリスト教系の大学である立教への入学を母は最後まで反対していたが……

 壮大な親子ゲンカの末、結局知り合いに無償で貸し出してもらったアパートで一人暮らしをすることになり、御茶ノ水の順天堂病院の近くに住んでいた。

「下宿って池袋に住んどるんか?」

「いいや御茶ノ水だよ。実は明智小太郎探偵が住んでる場所の近くで、知り合いに無償で貸してもらってるアパートなんだ。少々遠いが都電で通えるし……」

「家賃がタダ? そりゃええな~でも路面電車は混むで~」

「お前は高知生まれだろ? 大阪育ちだったのにどうしてこっちに?」

「4歳の時に両親が死んで大阪の明希子(あきこ)おばさんの所にお世話になっとったんやけど、おばさんの下の子が生まれる時に高知に帰る事になって…………しばらく高知に住んどったけど、これ以上迷惑かけるのもアレやし俺は東京の浩一(こういち)おじさんの所に行くことになったんや」

「色々大変だったんだね……」

「そうじゃ~おまんにオススメの外食券食堂があるんや! 播磨屋っちゅう名前なんやけど今夜行かへん?」

 1939年9月1日に始まった第二次世界大戦の影響で食糧難だったこの時代、国は「配給」……
 国民に食糧と交換できる「米穀配給通帳」を発行し、これがないと食料を手に入れることができないよう、食糧統制を行っていた。

 39年に電力調整令、40年に砂糖・マッチの切符制、41年には米穀配給制と同時に外食券制という制度が敷かれ、家で食事をしない人を対象に米穀通帳と引き換えにした「外食券」を発行していた。

 外食券食堂は、42年2月の衣類点数切符制に続き世知辛い時代になってきた42年4月1日に制度化された、外食券が使える食堂だった。

 僕はその誘いに最初は気が向かなかったが、篠田が何度も誘うので了承した。
 その先で運命の人に出会うことになるとは夢にも思っていなかった……
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