今日から私は何かに夢中!
私って、生きてるんだ!
生きているって、奇跡のような出来事だと思うんです。
そもそも自分がこの世にいる事自体が、ラッキー以外の何ものでもないと、いつも感じています(笑)。
以前にも話しましたが、私は小児喘息を患っておりました。
呼吸困難で脳に酸素が回らなくなったのか、頭が割れるくらいの頭痛を併発し、意識が朦朧とするような発作を、頻繁に起こしていました。
両親は「この子は二十歳まで生きられないんじゃないか?」と、本気で心配をしてくれていたみたいです。
でも、必死で生きているうちに、徐々に体が丈夫になってきました!
お茶碗一杯のご飯を全部食べられるようになったのは、小学校三年生くらいの頃でした。
発作が全然起こらない。
なんて楽なんだろう!
なんて幸せなんだろう!
なんて嬉しいんだろう!
……こんな感じでした(笑)。
私にとってはこの『普通の生活』が、信じられない奇跡ともいえるくらい、幸せな出来事だったんです。
友達と約束して、好きな日に好きなように、遊べる幸せ。
学校へ行ける幸せ。
漫画を読める幸せ。
散歩ができる幸せ。
テレビアニメを観る幸せ。
ゲームができる幸せ。
自分ひとりで好き勝手な妄想を、繰り広げられる幸せ。
食べたいお菓子を、自由に食べられる幸せ。
最後の最後までそこに『勉強ができる幸せ』が入らないのが、私らしいですね(笑)。
世界の色が変わりました。
鮮やかにカラーとなって、私の目に飛び込んできました。
そんな小三の、ある日のこと。
お天気がとても良かったので、私は家の近所を一人でうろうろ、散歩していたんですよね。
その時、急に嬉しさがぞくぞくと、全身を貫きました。
わぁ……。
なんだろう、この気持ち。
ぞくぞく、ぞくぞく。
溢れ出てきます。
『自分は生きているんだーー!!!
生きているんだーーーーー!!!
生きているんだーーーーー!!!』
こんな感覚でした!
本物の『前向きな気持ち』や、普通に遊べる嬉しさや、普通に過ごせる有難さなどが、『その瞬間』一斉に、自分の奥深くからゴゴーーーッと沸き上がったのだと思います。
急いで家に帰り、興奮しながら母に報告しました。
「私ね、生きてるの!今、生きてるのが嬉しいの!嬉しいんだよ!!」
すっかりハイテンションでした。
何を言っているのかわからなかったと思うのですが、母はそれを聞くとゆっくり頷いて、ただ優しく笑ってくれました。
その時の気持ちは、生涯忘れられないと思います。
創作をしたい!!!
と感じたのも、その頃からです。
誰かと出会えて、色々な感情を教えてもらえて、すごく幸せ。
好きな人と何気ない事で笑いあえて、色んな話を聞かせてもらえて、自分の話を聞いてもらえる事も、幸せ。
こっちに行きたいけど、思いがけずあっちに行っちゃうことも、本当は幸せな事なのかも知れない。
楽しい事を見つけ出してみせる!と、メラメラ燃える事も幸せ。
物語を考え出せることも、幸せ以外の何物でもありません。
毎日、目が覚めてから思います。
「今日は何をしようかな?」
全て自分で選んで、考えます。
だって、もったいないからです。
その日何をするのかという決定権は全部、自分にあるんですから。
自分の『夢中』は必ず、自分で見つけ出してみせます。その権利だけは、誰にも渡したりしません。
毎日姿を変えるけど。
世界に起こる様々な出来事にも、大きく動かされてしまうけど。
リセットできませんけどね。
生きていれば、こっちのものです。
命さえ取られなければ、どうにでもなります(←この素敵な言葉は、困難だった仕事に立ち向かう最中、私が最近までお世話になったある方から、かけていただきました)。
何があったってこの気持ちひとつで乗り越えて、人生最期の日を迎えた時に、笑ってやりたいと思っています。
私はちゃんと『夢中』で生きたよ!
いつも笑顔で、幸せに過ごせたよ!
沸き上がるフワフワを、いっぱいキャッチして楽しんだよ!
まだまだやりたい事たくさんあるけど。キリがないからまぁ、いいや。
ここいらで勘弁してやるか。
この溢れる想いを、色んな形にすることができたんだから。
もう、これで充分。
って、言えるといいなぁ(笑)!
こんな風に思えたらいいな。
大好きな人たちよ、大好きな世界よ、本当にどうもありがとう!!
そのままお返しできないから。これからは私が生み出せる全てのものを、ギフトにして贈りたいと思います。
言葉も。
まなざしも。
笑顔も。
作品も。
抱擁も。
キスも。
応援も。
だから元気出してね!
弱い心に、負けないで。
ずっとずっと、大好きですよ。
私と出会ってくれて、心から感謝しております。
生きているというこの奇跡を、私は決して忘れません。
どんな事があったって、立ち向かう力を生み出す事が出来ますように。
いつも幸運を、感じていられますように。
素敵な『夢中』を、見つけ出せますように。
そもそも自分がこの世にいる事自体が、ラッキー以外の何ものでもないと、いつも感じています(笑)。
以前にも話しましたが、私は小児喘息を患っておりました。
呼吸困難で脳に酸素が回らなくなったのか、頭が割れるくらいの頭痛を併発し、意識が朦朧とするような発作を、頻繁に起こしていました。
両親は「この子は二十歳まで生きられないんじゃないか?」と、本気で心配をしてくれていたみたいです。
でも、必死で生きているうちに、徐々に体が丈夫になってきました!
お茶碗一杯のご飯を全部食べられるようになったのは、小学校三年生くらいの頃でした。
発作が全然起こらない。
なんて楽なんだろう!
なんて幸せなんだろう!
なんて嬉しいんだろう!
……こんな感じでした(笑)。
私にとってはこの『普通の生活』が、信じられない奇跡ともいえるくらい、幸せな出来事だったんです。
友達と約束して、好きな日に好きなように、遊べる幸せ。
学校へ行ける幸せ。
漫画を読める幸せ。
散歩ができる幸せ。
テレビアニメを観る幸せ。
ゲームができる幸せ。
自分ひとりで好き勝手な妄想を、繰り広げられる幸せ。
食べたいお菓子を、自由に食べられる幸せ。
最後の最後までそこに『勉強ができる幸せ』が入らないのが、私らしいですね(笑)。
世界の色が変わりました。
鮮やかにカラーとなって、私の目に飛び込んできました。
そんな小三の、ある日のこと。
お天気がとても良かったので、私は家の近所を一人でうろうろ、散歩していたんですよね。
その時、急に嬉しさがぞくぞくと、全身を貫きました。
わぁ……。
なんだろう、この気持ち。
ぞくぞく、ぞくぞく。
溢れ出てきます。
『自分は生きているんだーー!!!
生きているんだーーーーー!!!
生きているんだーーーーー!!!』
こんな感覚でした!
本物の『前向きな気持ち』や、普通に遊べる嬉しさや、普通に過ごせる有難さなどが、『その瞬間』一斉に、自分の奥深くからゴゴーーーッと沸き上がったのだと思います。
急いで家に帰り、興奮しながら母に報告しました。
「私ね、生きてるの!今、生きてるのが嬉しいの!嬉しいんだよ!!」
すっかりハイテンションでした。
何を言っているのかわからなかったと思うのですが、母はそれを聞くとゆっくり頷いて、ただ優しく笑ってくれました。
その時の気持ちは、生涯忘れられないと思います。
創作をしたい!!!
と感じたのも、その頃からです。
誰かと出会えて、色々な感情を教えてもらえて、すごく幸せ。
好きな人と何気ない事で笑いあえて、色んな話を聞かせてもらえて、自分の話を聞いてもらえる事も、幸せ。
こっちに行きたいけど、思いがけずあっちに行っちゃうことも、本当は幸せな事なのかも知れない。
楽しい事を見つけ出してみせる!と、メラメラ燃える事も幸せ。
物語を考え出せることも、幸せ以外の何物でもありません。
毎日、目が覚めてから思います。
「今日は何をしようかな?」
全て自分で選んで、考えます。
だって、もったいないからです。
その日何をするのかという決定権は全部、自分にあるんですから。
自分の『夢中』は必ず、自分で見つけ出してみせます。その権利だけは、誰にも渡したりしません。
毎日姿を変えるけど。
世界に起こる様々な出来事にも、大きく動かされてしまうけど。
リセットできませんけどね。
生きていれば、こっちのものです。
命さえ取られなければ、どうにでもなります(←この素敵な言葉は、困難だった仕事に立ち向かう最中、私が最近までお世話になったある方から、かけていただきました)。
何があったってこの気持ちひとつで乗り越えて、人生最期の日を迎えた時に、笑ってやりたいと思っています。
私はちゃんと『夢中』で生きたよ!
いつも笑顔で、幸せに過ごせたよ!
沸き上がるフワフワを、いっぱいキャッチして楽しんだよ!
まだまだやりたい事たくさんあるけど。キリがないからまぁ、いいや。
ここいらで勘弁してやるか。
この溢れる想いを、色んな形にすることができたんだから。
もう、これで充分。
って、言えるといいなぁ(笑)!
こんな風に思えたらいいな。
大好きな人たちよ、大好きな世界よ、本当にどうもありがとう!!
そのままお返しできないから。これからは私が生み出せる全てのものを、ギフトにして贈りたいと思います。
言葉も。
まなざしも。
笑顔も。
作品も。
抱擁も。
キスも。
応援も。
だから元気出してね!
弱い心に、負けないで。
ずっとずっと、大好きですよ。
私と出会ってくれて、心から感謝しております。
生きているというこの奇跡を、私は決して忘れません。
どんな事があったって、立ち向かう力を生み出す事が出来ますように。
いつも幸運を、感じていられますように。
素敵な『夢中』を、見つけ出せますように。