今日から私は何かに夢中!
「陰キャ」&「陽キャ」に物申す!
生来の性格って、基本的な部分は変えられないと思っています。
無理やり変えたい場合は、女神様にでもお願いして、転生するしか無いのではないでしょうか。
…………冗談はさておき(笑)。
身近にいる、今をときめく若者A君の言動に、ちょっと引っかかった時期がありました。
「自分は陰キャだから陽キャのグループに入れないし、できれば入りたくない」とのことです。
でね、その後、「陽キャな性格に変わりたいなぁ」とA君。
…………ええ? 性格を変えたいの?
随分、大変そうな事を考えるのねぇ。
じふちゃん、「陰キャ」の意味がわからなくて、慌ててこっそりググりました(笑)。
「えー。「陰キャ」とは…………言動や雰囲気が陰気・陰湿・暗い・後ろ向き・周りの人の気持ちを暗くさせる・コミュニケーション能力のない人・社会性の乏しい人、のことね。ふむふむ」
「対して「陽キャ」とは…………陽気で明るい・楽しいことが大好き・いつも明るくてニコニコしている・前向き・自分をよく見せたい・社会性があって交友関係が広い人、のことか、なるほど」
うん、大体想像通りだったかな。
自分のキャラクターを、中国の思想から始まる『陰陽』のどちらかに、ざっくりと当てはめているんですよね。
陰陽とは簡単に言うと、『混沌』の中に生まれた『陽の属性』と『陰の属性』の二つが対立し、互いに『気』を作って森羅万象などと関わりを持つ、というもののようです。
神社などによくみられる、陰陽勾玉巴を思い出していただけると、イメージしやすいと思います。
今ね、まさにその『陰陽』にまつわる小説を書いているので、A君の話には非常に興味が湧きました。
昔は「私って暗い子だわ」「あの子って明るい子なのね」みたいな言葉で表現しておりましたが、今はちょっと、深く踏み込んだ感覚の言い回しになっているのですね。
でもね。「コイツ暗い奴だ」、「コイツ明るい奴だ」と、当てはめたり決めつけたりするやり方には、昔から疑問を感じておりました。
じふちゃんから見るとA君の性格って、すごく明るくて楽しくて、一緒にいると癒されて、友達が多くて、誰より前向きだったのですね。
独断と偏見で無理やりA君を『陰』か『陽』かに当てはめるとすれば、完全に『陽』の部類に属すると思うのです(笑)。
本人にも直接そう言ったのですが、残念な事に聞き入れてもらえませんでした。
彼は、そんな良さが自分の中にあるという事に、あまり気づいていないようだったのです。
周りにいる人達の性格が自分よりもはるかに明るくて、まぶしく感じてしまうからなのでしょうか。
性格を変えたいんだー! と思うほどの『陰キャ』が彼の中では、よほど大きく蔓延っていたのでしょうか。
A君には悪いのですが、じふちゃんから見たら、少し可愛らしく思えてしまいました。
ああ『イメージ』って、こういうモノなのだよね。
誰かを、自分を、かなり強引に『何かに当てはめよう』とする気持ち。
朝のニュース番組でやっている『占い』などがその、代表的なものだと思うのです。
今なら「あら! 今日の運勢は割といいのね~!」くらいな感覚で『占い』を楽しんじゃってますが、昔は決して認めたりしませんでした(笑)。
じふちゃんはひねくれ者ですから、他人が自分を何かの『グループ』に入れようとしたり当てはめようとする事に、強い抵抗感があったのです。
そして占いって、まず当たらないし(笑)。
私が好きなA君のいい所の一つに、『自分を良く見せようとしない所』があります。
つまり、どんな時でも割とオープンで、開けっぴろげな性格なのですね。
大らか、とでも言いましょうか。
自分のマイナスな部分も、割と無理せず包み隠さず、他人に見せてしまう。
それって一緒にいる人は、意外と安心してくつろげるものなのかも知れません。
A君の気持ちを察しやすいし、彼と一緒にいると自分をヘンに取り繕わずに済んで、ホッとするんですね。
『陽キャな人』の中に『自分を良く見せようとする』という内容が入っているのだとすれば、A君はそういう人ではありませんので、本人が言う通り彼は『陽キャ』には該当しない人、という事になるのでしょう。
でも『陽キャ』になど、なろうとしなくて良いと思いませんか?
接客業をしている人や、キラキラ輝くアイドルじゃあるまいし。
だってよく考えたら『陽キャ』な人って、相当無理している人、という事になるのですね(笑)。
人生山あり谷ありなので、いつもいつも笑ってばかりなどいられません。
陽気でいてくれれば、一緒にいるとパワーをもらえて元気になれますが、誰も彼もがそんな無理をし続けるわけには行かないんですよね。
無理すると、とても疲れちゃいます。
疲れがMAXになっちゃうと、とても陽気でなどいられなります。
誰かの事を思い遣る余裕も無くなったりしますし。
笑顔を作ることも、叶わなくなってしまうかも知れません。
笑顔って無理して作るものじゃなくて、自然とあふれ出てくるものですから。
無理し続けると体調を崩すかも知れませんし、そのうち誰かといる事自体がめっちゃ辛くなって、一人になって引きこもりたくなるかも知れません。
無理して明るくし続けた反動で。
一人になったら楽なものですから、そのうち全てに後ろ向きになって、動く事自体が面倒になっちゃうかも。
あれれ?
これって『陰キャ』な人に該当するではありませんか?
なりたかった『陽キャ』とは、反対の自分。
でも思うんです。
その一人になった時間こそが、じふちゃんにとってすごく大切で、かけがえの無いものなのですね。
徹底的に一人になってみて、色んな事を考える時間が取れれば、自分自身の事を見つめ直すことが出来ます。
毎日のルーティンで強制的にヨガや座禅などを取り入れている人も、意図的にそうする事によって、頭の中の混沌を出来るだけ取っ払って、クリアにしようとしているんだと思います。
静かな自分でいるうちに、ふいに驚くほどの力が湧いてきます。
じふちゃんがよく、お布団の中でぬくぬくしたくなるのって、自分を見つめ直しながら瞑想(迷走?)しているからに他なりません(笑)。
結局『陽キャ』になりたければ、『陰キャ』の自分の日常も大切にしなければならないわけです。
そうなると誰の中にも『陽』と『陰』の二つが存在していて当たり前、という事になりませんか?
だからね、A君は全然変えなくたっていいのですよ、性格を。
そのままで充分面白いし、癒されるんですから(笑)。
どうしても変わりたいなら、少しずつ『陰』の自分でいる時に、次はどんな『陽』の自分になりたいかを、考えるといいと思います。
どちらも楽しく感じられるかも知れませんね。
無理やり変えたい場合は、女神様にでもお願いして、転生するしか無いのではないでしょうか。
…………冗談はさておき(笑)。
身近にいる、今をときめく若者A君の言動に、ちょっと引っかかった時期がありました。
「自分は陰キャだから陽キャのグループに入れないし、できれば入りたくない」とのことです。
でね、その後、「陽キャな性格に変わりたいなぁ」とA君。
…………ええ? 性格を変えたいの?
随分、大変そうな事を考えるのねぇ。
じふちゃん、「陰キャ」の意味がわからなくて、慌ててこっそりググりました(笑)。
「えー。「陰キャ」とは…………言動や雰囲気が陰気・陰湿・暗い・後ろ向き・周りの人の気持ちを暗くさせる・コミュニケーション能力のない人・社会性の乏しい人、のことね。ふむふむ」
「対して「陽キャ」とは…………陽気で明るい・楽しいことが大好き・いつも明るくてニコニコしている・前向き・自分をよく見せたい・社会性があって交友関係が広い人、のことか、なるほど」
うん、大体想像通りだったかな。
自分のキャラクターを、中国の思想から始まる『陰陽』のどちらかに、ざっくりと当てはめているんですよね。
陰陽とは簡単に言うと、『混沌』の中に生まれた『陽の属性』と『陰の属性』の二つが対立し、互いに『気』を作って森羅万象などと関わりを持つ、というもののようです。
神社などによくみられる、陰陽勾玉巴を思い出していただけると、イメージしやすいと思います。
今ね、まさにその『陰陽』にまつわる小説を書いているので、A君の話には非常に興味が湧きました。
昔は「私って暗い子だわ」「あの子って明るい子なのね」みたいな言葉で表現しておりましたが、今はちょっと、深く踏み込んだ感覚の言い回しになっているのですね。
でもね。「コイツ暗い奴だ」、「コイツ明るい奴だ」と、当てはめたり決めつけたりするやり方には、昔から疑問を感じておりました。
じふちゃんから見るとA君の性格って、すごく明るくて楽しくて、一緒にいると癒されて、友達が多くて、誰より前向きだったのですね。
独断と偏見で無理やりA君を『陰』か『陽』かに当てはめるとすれば、完全に『陽』の部類に属すると思うのです(笑)。
本人にも直接そう言ったのですが、残念な事に聞き入れてもらえませんでした。
彼は、そんな良さが自分の中にあるという事に、あまり気づいていないようだったのです。
周りにいる人達の性格が自分よりもはるかに明るくて、まぶしく感じてしまうからなのでしょうか。
性格を変えたいんだー! と思うほどの『陰キャ』が彼の中では、よほど大きく蔓延っていたのでしょうか。
A君には悪いのですが、じふちゃんから見たら、少し可愛らしく思えてしまいました。
ああ『イメージ』って、こういうモノなのだよね。
誰かを、自分を、かなり強引に『何かに当てはめよう』とする気持ち。
朝のニュース番組でやっている『占い』などがその、代表的なものだと思うのです。
今なら「あら! 今日の運勢は割といいのね~!」くらいな感覚で『占い』を楽しんじゃってますが、昔は決して認めたりしませんでした(笑)。
じふちゃんはひねくれ者ですから、他人が自分を何かの『グループ』に入れようとしたり当てはめようとする事に、強い抵抗感があったのです。
そして占いって、まず当たらないし(笑)。
私が好きなA君のいい所の一つに、『自分を良く見せようとしない所』があります。
つまり、どんな時でも割とオープンで、開けっぴろげな性格なのですね。
大らか、とでも言いましょうか。
自分のマイナスな部分も、割と無理せず包み隠さず、他人に見せてしまう。
それって一緒にいる人は、意外と安心してくつろげるものなのかも知れません。
A君の気持ちを察しやすいし、彼と一緒にいると自分をヘンに取り繕わずに済んで、ホッとするんですね。
『陽キャな人』の中に『自分を良く見せようとする』という内容が入っているのだとすれば、A君はそういう人ではありませんので、本人が言う通り彼は『陽キャ』には該当しない人、という事になるのでしょう。
でも『陽キャ』になど、なろうとしなくて良いと思いませんか?
接客業をしている人や、キラキラ輝くアイドルじゃあるまいし。
だってよく考えたら『陽キャ』な人って、相当無理している人、という事になるのですね(笑)。
人生山あり谷ありなので、いつもいつも笑ってばかりなどいられません。
陽気でいてくれれば、一緒にいるとパワーをもらえて元気になれますが、誰も彼もがそんな無理をし続けるわけには行かないんですよね。
無理すると、とても疲れちゃいます。
疲れがMAXになっちゃうと、とても陽気でなどいられなります。
誰かの事を思い遣る余裕も無くなったりしますし。
笑顔を作ることも、叶わなくなってしまうかも知れません。
笑顔って無理して作るものじゃなくて、自然とあふれ出てくるものですから。
無理し続けると体調を崩すかも知れませんし、そのうち誰かといる事自体がめっちゃ辛くなって、一人になって引きこもりたくなるかも知れません。
無理して明るくし続けた反動で。
一人になったら楽なものですから、そのうち全てに後ろ向きになって、動く事自体が面倒になっちゃうかも。
あれれ?
これって『陰キャ』な人に該当するではありませんか?
なりたかった『陽キャ』とは、反対の自分。
でも思うんです。
その一人になった時間こそが、じふちゃんにとってすごく大切で、かけがえの無いものなのですね。
徹底的に一人になってみて、色んな事を考える時間が取れれば、自分自身の事を見つめ直すことが出来ます。
毎日のルーティンで強制的にヨガや座禅などを取り入れている人も、意図的にそうする事によって、頭の中の混沌を出来るだけ取っ払って、クリアにしようとしているんだと思います。
静かな自分でいるうちに、ふいに驚くほどの力が湧いてきます。
じふちゃんがよく、お布団の中でぬくぬくしたくなるのって、自分を見つめ直しながら瞑想(迷走?)しているからに他なりません(笑)。
結局『陽キャ』になりたければ、『陰キャ』の自分の日常も大切にしなければならないわけです。
そうなると誰の中にも『陽』と『陰』の二つが存在していて当たり前、という事になりませんか?
だからね、A君は全然変えなくたっていいのですよ、性格を。
そのままで充分面白いし、癒されるんですから(笑)。
どうしても変わりたいなら、少しずつ『陰』の自分でいる時に、次はどんな『陽』の自分になりたいかを、考えるといいと思います。
どちらも楽しく感じられるかも知れませんね。