真珠の首飾り、あるいは女王の薔薇
夜、ばたりと廊下で会ったメルバーン卿が、こちらの手の震えを見てとって、心配そうに眉根を寄せた。


「ジュディス文官? 大丈夫か、なにか思い出すようなことでもあったのか」


元夫とか、カイムとかの言葉を抜いてくれたのは、メルバーン卿の優しさゆえ。


すぐにでも足をひるがえそうとする高い背を引き留める。この手の震えは、暗い怯えからではない。


「いえ、これは……これは、嬉しいことがあったのです」


拙い言い回しに、今は言えないと、それだけで察した。


おそらく言えない理由は国がらみであると分かっている。

わたしの仕事は書簡卿で、わたしが言えない内容など、陛下関連しかない。


聡いメルバーン卿が、よかったな、と笑った。


「きみにも手が震えることが、あるんだな」

「ええ、もちろんございますわ」


メルバーン卿は、わたしが暗い夜を思い出して震えたところを見たことがある。


だから心配をかけてしまったけれど、責任と興奮に震えることを、楽しげに受け止められるとは思わなかったわ。


「武者震いというわけだ」

「ええ。ここは、わたしの戦場ですもの」


わたしはこれから、この城で、陛下のために、世界を相手取って戦うの。


そうか、とやはり穏やかに頷いたメルバーン卿が、隣に並んだ。部屋まで送ってくれるらしかった。


「わたしは、この国がどちらかといえば好きです」


よいところばかりではありませんが、陛下を戴くこの国は、明るい未来に向かっていると確信しています。


「それを、書き留めたいのです」

「陛下のために?」

「ええ。そして、この国に暮らすわたしたちのために」
< 158 / 174 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop