帝国支配目前の財閥御曹司が「君を落とす」と言って、敵方の私を手放してくれません
イベントの当日。
前日に大我のマンションのキッチンで仕込んだ生地や餡を車に載せ、会場まで運転した。
久しぶりの運転で肩に力が入ったけど、会場は地元の隣町なので土地勘はある。高速を降りれば難なく公園までたどり着いた。
イベントは大盛況で、広場の特設会場は亮真が通う中学校の吹奏楽部の演奏で盛り上がっていた。子連れのお客さん、犬を連れた老夫婦が思い思いに祭りを楽しんでいる。
久々の接客は、やっぱり楽しかった。ぽつりぽつりと鯛焼きを求めてお客さんが集まってきた中に、亮真の姿があった。吹奏楽部の中で演奏していた友達を見にやってきたようだった。
「おーい亮真、食べてきなよ」
私の声に気づいて亮真はのそのそとキッチンカーに近づき、気恥ずかしそうに言った。
「大声で呼ぶなよ」
「久しぶりじゃん。そろそろ『つきしま』の味が恋しいでしょう?」
鯛焼きの包みを差し出すと、亮真は商店街の会合での出来事を引きずるようにむすっとした顔で受け取った。
「ほら食べて、冷めないうちに」
明るい声で促すと、亮真は鯛の鼻先にかぶりつこうとしたが、つとその唇を引き結んで呟いた。
「怒って…ないのか」
「怒ってなんかない。亮真がああ言うのも無理ないよ」
「もう、商店街には戻らないのか…って俺が言うのも変だけど」
亮真の目が、キッチンカーの私をまっすぐに見上げている。亮真は亮真なりに、商店街の行く末や、そこにいる私たちのことを考えているのだ。
その瞳の真剣さに、たじろいでしまう。
亮真は大人への階段を着々と上っているのだ。
「ちょっと今は…分からないな」
正直に答えたあと、顔に出てしまったかもしれない迷いの色を打ち消すために、私は慌てて微笑んだ。
「このキッチンカー、可愛いでしょう」
深刻に沈んでしまいそうな空気を振り払うように明るく言った。
「いや…どんなにおしゃれな車でも、芙優がいる限り結局『つきしま』は『つきしま』だな」
「ほめてんの?けなしてんの」
「知らねえ」
そこに大我が現れた。私は二人を紹介するためにキッチンカーを降りた。
「よろしく。鳳条大我です」
大我は爽やかにぺこりと頭を下げてあいさつした。
「鈴木亮真です」
亮真はぶっきらぼうに挨拶すると、大我を睨むように見つめた。
「鳳条さん、鯛焼き…好きですか」
「ああ。大好きだよ」
「昔からですか」
「いや、最近、かな。芙優ちゃんのを食べてから…」
「俺はこの鯛焼きを、芙優がばあちゃんの店を手伝ってた頃から食ってる。こんなにおいしいのは、他にないです」
「ああ、そうだね」
大我は微笑んで聞いているが、亮真の真意を掴めない、と言った様子で、表情には戸惑いの色が浮かんでいる。
「本当に、この鯛焼きは特別に美味しいんですよ」
亮真は言って、じっと大我を見ている。
すると大我は、何かに気づいたように目を見開いた。
そして頬を引き締め、大きく息を吸うと、口を開いた。
「俺は、再開発の仕事とは関係なく、心から芙優ちゃんを好きだ。それを分かって欲しい」
何の話をしてるの?鯛焼きの話のはずが、いつの間にか私の話になってる。恥ずかしくて止めに入ろうとしたけど、二人の表情は思いのほか真剣だった。
「絶対に芙優を、泣かさないで欲しいんです」
「ああ、絶対泣かさない。約束する」
大我が笑みを消した真顔で答えると、亮真はうなずき、背を向けて走って行ってしまった。
大我は、はあっと大きくため息を漏らしたあと、微笑んだ。
「迫力あるなぁ。俺ちょっとビビったわ」
「亮真って、初めて店に来た時は、ちっちゃくて本当にかわいかったの。ずいぶん生意気になって」
照れくさくて赤くなった頬をごまかすために早口で言ったけど、大我の耳には届かなかったようだ。彼は神妙な面持ちで、走って行く亮真の背中を見送っている。そして何かに想いを馳せる目をして、呟いた。
「芙優がいる限り結局『つきしま』は『つきしま』、か…」