離婚記念日

絡まる糸が解けるまで

翌朝、目を腫らし出勤してきた私に町田さん夫妻は驚いた顔をしていた。
自分たちが太一くんの話をしたせいだと思ったのかもしれない。ふたりとも私の様子には触れてこなかったのは幸いだった。
昨日は涙が枯れるまで泣き、そのまま倒れるように寝てしまった。
店を知っている太一くんがここに来たら、と思うと苦しい。でも心のどこかでまた会いたいと思っている自分がいる。そんなのは許されないと言い聞かせるように気を引き締めた。
日曜日の今日は朝から忙しくて目が回りそうだった。雑誌で紹介されてからお客様が増え、私も朝から何種類もケーキを焼いた。開店時間になるとすぐにテーブルが埋まる。私は通子さんと共に注文を取ったり、料理を運んだり、片付けたり、とバタバタしていた。
お昼も交代でちょっとずつしか取れない。
ようやく閉店になる時間にはクタクタで太一くんのことを考える暇もなかったのはありがたかった。
店を後にしようと歩き始めると後から声がかかった。
昨日と同じだ。

「莉美」

いつもと同じ、少しだけ【り】を長めに呼ぶ懐かしい呼び方。
金曜も、昨日も今日もここに来ている太一くんが心配になった。忙しい彼をここに何日も来させるわけにはいかない。私は意を決して振り返った。
スプリングコートに黒のシックなパンツ姿。何も変わらない太一くんがここにいた。
思わずまた涙腺が緩みそうになるが、歯を食いしばり耐えた。

「よかったら少し話せないか?」

「うん」
 
そうは言ったが、この辺りのカフェはすでに閉店している。観光地だが、閉店し始めている店が多く、今から入るには申し訳ない。 

「ここから15分くらい歩くけどうちに来る?」

「いいのか?」

「うん。この辺りのお店はみんなそろそろ閉店なの」

「そうか。急にお邪魔して悪いな」

そう言っても帰りはしないだろう。
肝心なところで譲らないのは昔からだったと少し懐かしく思った。
私の家までの道をこれといった会話もなく歩く。お互い何を話したらいいのか戸惑っている。

「ここなの」

玄関の鍵を開けると電気をつけ、中へと案内する。

「お邪魔します」

狭い玄関に彼の大きな靴があるだけで一気に狭くなった。
中に入るとキッチンの奥にあるリビングに案内した。
リビングだなんていっていいのか分からないほど狭い部屋。テレビに小さな机、ベッドしかない。
太一くんは遠慮がちに机の前に座った。
私はキッチンでコーヒーを入れると太一くんの向かい側に座った。
狭い部屋、小さなテーブルで向かい合わせは思っていたよりも距離が近かった。
緊張で手が震えてしまう。それを隠すようにマグカップを握りしめた。

「いただきます」

太一くんが私の部屋でコーヒーを飲むなんて想像したこともなかった。思わず見入ってしまうと、私の顔を見て笑っていた。

「美味しいよ」

よかった。
ついつい、いつも買ってしまっていた彼のお気に入り、エチオピアの豆だった。フルーティーな香りが爽やかで、私も自然と好きになっていたので離婚した後も買い続けていた。
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