悲劇のフランス人形は屈しない
「俺たちも行くぞ」
天城が私の手を取り、ツリーの方へと連れて行く。
「また後でね」
五十嵐がひらひらと手を振った。
(ダンス…。地獄のダンスの時間がやって来た)
あまりの緊張に、捻った足首のことなど、一気に頭から吹っ飛んだ。
(ヤバい。どうしよう。なんのステップも分からないのだが!)
「…おい」
あまりにパニック状態に陥っている私は天城が何度も声を掛けていたのに気がつかなかった。
「おい、落ち着け」
立ち止まった天城が、私の頭の上に手を置いた。
「ダンスは初めてか?」
私はコクコクと頷いた。
毎年恒例のダンスが始まるということで、見学者たちもぞろぞろと集まり、踊るスペースを確保したまま輪を作り始めていた。
(この中で失態とか犯したら、どうなるか!)
緊張と恐怖で体全体が震えている。
(しかもこの靴で!)
まだ重心の乗せ方を覚えていないので、油断したらバランスを崩す。
(今からも遅くない。気分が悪いと言って、この場から去らせてもらおうか…)
「大丈夫だから、落ち着け」
天城の苛立ちに満ちた声が、近くに聞こえた。
「ただのスローダンスだから、特別なステップはない」
そう言いながら、私の腕を自分の首の後ろに回し、自分の手を私の腰に添えた。
そして生演奏に合わせて、足を右左に移動させるだけだ。
(え、こんなんでいいの…?)
辺りを見渡すが、本当にその通りだった。みんな、体をゆらゆらと揺らしているだけだった。
その状態を、見学者たちがキャーキャー言いながら写真を撮っている。
「なんだ…」
私は下を向いて、ふうとため息を吐いた。
(これなら耐えられる)
その時、首筋にピリッとした痛みを感じて、私は再度辺りを見渡した。
人混みの奥の、タキシード姿の男子生徒の後ろに、西園寺響子がいた。
人を射るような鋭い瞳には、憎悪を燃やしている。
(おでましか…)
しかし、一人でいるということは誰にも誘われなかったのか。それとも、ただ一人から誘われるのを最後まで待っていたのか。プライドの高い西園寺なら、自分から誘わないまでも、何かしら行動はしたはずだ。
私は目の前にある天城の顔をじっと見た。
相変わらず表情が読めないが、眉間の間には皺が入っている。
「何」
ぶっきらぼうに天城が聞いた。
「なぜ、西園寺さんを誘わなかったの?」
お前には関係ない、と突き放されるかと思ったが、天城はさらに顔をしかめただけだった。
「それ今、聞くの」
「今気になったんだもの」
「誘いたいと思わなかっただけだ」
刺々しく天城は言った。
(ってことは、まだ天城は西園寺にはなびいていないってこと?)
先ほど西園寺がいた場所をもう一度見るが、既に姿を消していた。
漫画には、いつ天城が西園寺に心を惹かれたとはしっかりと描かれていない。
「西園寺さんとは、どんな関係なの?」
「は?」
天城が軽蔑するような目で私を見下げた。
「ほら。私にも心苦しいところがありますのよ。私の勝手であなたを縛り付けてしまったことを。もし今までも好きな人が他にいたと思うと…」
「西園寺は、特別だ」
天城が私の言葉を遮って言った。
「あら?特別なの?」
久しぶりの恋バナを前に、思わず顔が緩んでしまう。
(高校生同士の恋愛なんて、青春すぎる!)
ふと、学生時代のことを思い出した。他人の恋バナを本人よりも楽しがって、ウザがられたことがあった。そのせいか、恋バナも恋愛相談も私抜きで行われるようになった。
(あの、二の舞はいかん…)
にやけてしまう表情を元に戻し、こほんと咳をする。
「私としても嬉しい限りだわ」
これは本当に嬉しい収穫だった。もし、天城が早々に西園寺に告白し、そこが恋人同士になれば、西園寺は白石透いじめをやめるかもしれない。もちろん、私が天城の周りをうろちょろしなければ、だが。
(それは確実にできる自信がある!)
それが上手くいけば、妹を泣かせた「突き落とし事件」は、起きずに済むかもしれない。
「何か協力できることがあれば、いつでも仰ってね」
満面の笑みでそう返すと、突然動きを止めた天城にバチンと額を打たれた。
「…いっ!」
(このガキ、二度までも…!)
痛みが広がる額を両手で押さえる。
虫でも見るような目つきの天城に、若干涙目の私。
もはや、ダンスなどしていなかった。
お互いににらみ合うこと数分。会場が割れんばかりの拍手が響き、恒例のダンスが終わったことが告げられた。
「写真撮影に入りまーす。カップルの方はステージの方までお越しください」
アナウンスの声が、館内に響いた。
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