悲劇のフランス人形は屈しない

「長い一日だった…」

帰宅してすぐに私はベッドに倒れ込んだ。一日しかまだ経っていないというのに、既に前途多難の学校生活が思い描ける。
「疲れたし眠い」
しかし、目を閉じるのと同時にお腹がきゅるっと鳴った。
「・・・るーちゃんはお腹の音さえ可愛いのね」
近くに置いてあった水色のモコモコの部屋着に着替え、私は下の階に降りていった。
電気は点いているものの、人の気配は一切しない。
ダイニングテーブルに行くと、おかずが一通り並べられていた。自分でご飯と味噌汁とつぎ、テーブルへ着席する。おかずは既に冷え切っており、味はまあまあだが美味しいとは感じない。空腹だからお腹に詰め込んでいる感じがして、はあと思わずため息が漏れた。
(誰もいないの・・・?)
細かいところは漫画でも描かれていなかったため、こういう場面はどういう風に過ごしていたのは分からない。
(妹は部屋・・・?)
物音一つしない大きな家に一人でいると思うと、少し心細い。
食べ終わった食器を洗い、二階の妹の部屋へと向かった。遠慮がちにドアをノックしたが、返事はない。
(・・・いないのか)
私は諦めて、自室へと戻った。
勉強机に座り、近くにあったノートを取り出した。表紙には「英語」と書かれているが、中は真っ白だった。私はそこに考えをまとめていく。
(妹の白石まどかは確か、まだ小学生だった。でも幼少期から英才教育を受けていて、塾に習い事に毎日忙しかった。確か、塾は隔日だった気がするんだけど・・・)
額に手を当てて、記憶を掘り起こす。
(お姉ちゃん大好きっ子だったのに。お母さんが厳し過ぎて、いつからかるーちゃんは妹を避けるようになった。そして結局、妹もるーちゃんに背を向けた。しかもこの妹がくせ者なんだよね)
「そんなに勉強させて、何になるつもりなんだろう・・・」
机に突っ伏しながら、私は独り言を呟いた。
「って、私は勉強しないと!」
るーちゃんの机周りをごそごそ嗅ぎ回り、中等部の時使っていただろう教科書を見つけた。
「とにかく、中学から復習しよ・・・」
私は腕まくりをした。

下の階から微かな物音がして、誰かが帰ってきたのが分かった。
時計を見ると、すでに夜の22時を回っている。
その時間まで勉強に集中していた自分を褒めてやるのと同時に、立ち上がり、誰が帰ってきたのかと下の階に向かった。
「あ、お姉さま・・・」
推定身長135㎝の小学生の妹は、疲れたように言った。私立の生徒らしく、小学生だと言うのに制服を乱れなく着ている。顎元で切りそろえられた黒髪に、白石透と同じ丸い瞳がこちらを見つめていた。
(か、可愛すぎる・・・!)
「お母様は?」
抱きしめたい衝動を隠すように、私は腕を組んだ。
「お母さま?」
妹の瞳がなぜ?と聞いている。
「お母さまは、今日からドバイですが・・・」
「ド…!?」
(ドバイ?今日からドバイ?私に平手打ちをお見舞して、自分は呑気にドバイ・・・!)
「お、お父様は?」
内心の苛立ちを表に出さないように私は聞いた。
「お父さまは、どうでしょう。来月は帰って来るかもしれません」
「・・・そう」
ふた癖もある両親がしばらく家を空けると聞いて、私の緊張の糸が切れた。
「良かった~」
小声で呟きながら、思わず自分より頭一個分小さい妹を抱きしめた。
「ちょ、ちょっと」
水を飲んでいた妹は驚いたように、言った。
「危ないです」
「ご飯は?食べた?」
驚いてはいるものの、離れようとはしない妹に胸が締め付けられる。
(こんな可愛い子が悪の手に染まるなんて。なんとしても阻止しなくては)
「食べましたわ。塾の前に」
「そう、何か欲しいものがあったら言ってね」
「そろそろ離れて欲しいです」
私はしぶしぶ妹から離れた。
「どうかしましたか?何か変ですよ?」
「そうかしら?もう遅い時間だから、早めに寝なさいね」
未だに訝しげな顔をしている妹の頭を撫でて、私は風呂へと向かった。
とりあえず、妹に接近できた。
今日のミッションはクリア。
(この調子で、妹のそばから離れないようにしないと…)
この日の夜、私は夢も見ずぐっすりと眠った。
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