悲劇のフランス人形は屈しない
「私、大学に行く」
そう親に告げたのは高校2年の秋。ずっと考えていたことだが、ずっと隠していくのも無理だと悟った当時16歳。進路指導の先生も、そろそろ親に伝えなさい、と何度も言ってきた。
「何を言ってるんだ!」
身長は2メートルを超え、横幅も一般男性の二倍の体格をした父は、今にでもちゃぶ台を放り投げそうな勢いだった。
「お前は、高校卒業したら俺の仕事を引き継ぐ!」
田舎に生まれ、畑や田んぼに囲まれた生活。まだ薄暗い早朝から畑の世話を始め、市場に野菜を売りに行く。売れ残ったものは近所におすそ分けし、夕飯のおかずになる。そんな毎日を飽きもせず繰り返す両親の後ろ姿を見て、絶対ここから離れると決心した中学生の頃。
農家を継いでくれると思い込んでいた両親に取って、私の言葉は裏切りにもなっただろう。
何も考えていなかった小学生の頃は、高い身長と力持ちのところが父親に似ていると、農家では貴重な存在であると、近所の人に褒められたことも多々あった。
「私はもっと広い世界を見たい!」
そう言った時の親の疑いの目が今でも忘れられない。
今思うと、理解できる。
あの時の私は考えが足りなかったのだ。当時の私は、都会に出れば何でも叶うと信じていた。キラキラした人たちに囲まれて、オシャレな大学生活を楽しむ。そうすれば、まるで私の人生が、皆が羨むような素晴らしいものに変わるのだと。
「農家の娘は、農家の跡取りだ!」
顔を真っ赤にし、口角泡を飛ばしながら父親は叫んだ。
「農業なんてやりたくない!」
「言うことを聞かない娘など、いらん!」
「お、お父さん」
オロオロしながら聞いていた、お母さんが父親を宥めるように腕を掴んだ。
「そんな事言わないで。ほら、凛子も謝って」
「謝らない!」
「離せ」
お母さんを乱暴に振りほどくと、私に背を向けた。
「お前は、もう私の娘ではない!勝手にどこでも行け!」
「行ってやるよ!こんな所、こっちから願いさげだ!」
売り言葉に買い言葉で、その日私は実家から飛び出した。
その後は、幼なじみの家で過ごすようになり、親とも顔を合わせることがなくなった。家へ物を取りに行ったり、ふいに実家の様子を見に行ったりしたが、一度もこちらを見てくれることはなかった。大学の入学費用はなぜか出してくれたが、大学生になってから一生懸命バイトをし、少しずつ借りた金を返済した。時々上京中に辛い時、堪らなくて手紙を書いたが、返信が来ることは一切なかった。自分たちの間に、もう埋めることの出来ない溝が出来てしまったことを悟った。