悲劇のフランス人形は屈しない
(やばい。急がないと!)
周りが明るくなるにつれて、気温も少しずつ上昇を始めている。
(もう、まどか起きてるよね・・・)
公園から白石透の自宅までは、豪邸が建ち並ぶ高級住宅街を抜ける必要がある。この格好で顔を知られている近所の人に会うのも、ましては玄関やリビングでまどかや平松に会うのも避けたかった。
(こっそり運動しているがバレるのだけは、避けたい!)
私は更に走るスピードを上げた。
もうすぐ家だと角を曲がった瞬間、どんと正面から誰かにぶつかり、私は尻もちをついた。
「あいたたた・・・」
打ち付けた腰をさすりながら、「すみません」と謝ろうと顔を上げた瞬間、息を呑んだ。
有名ブランドの黒いパーカーで身を包み、これまた黒い帽子を深く被っているが、その下から見える鋭い眼光には見覚えがあった。私を見下げていたのは、まぎれもない天城だった。
(や、やばい・・・)
上から下までジロジロと見ている辺り、白石透ということがバレている。
例え、こんな格好の白石透を今まで一度も見たことがなくても。
「えっと・・・」
私はお尻をはたきながら、立ち上がった。
今更フードを被ったところで、もう手遅れだと分かっているが、知らない人の振りをして逃げようか、そんなことを一瞬考える。
「待ち伏せとか」
天城の地を這うような低い声が耳に届いた。
「本当、必死すぎ」
そして言葉を失っている私にとどめを刺すように、天城はすれ違いざまに「気色悪い」と言い捨てて走り去った。
怒りのあまり、脳みそが爆発しそうだった。
その後、家までどう帰ったのかあまり記憶が定かではない。
冷たいシャワーを浴び、ペットボトルの水を一気のみしてもまだ怒りが収まらない。
「あんの、天城のやろー!!お前がいつどこで何をしてるかなんて知らんし、知りたくもないわ!」
私はベッドに倒れ込み、枕に向かって吠えた。
バタバタとベッドで暴れていると、ふと誰かの気配がして、私はピタッと動きを止めた。
おそるおそる顔を上げると、そこには無表情の妹が立っていた。
(また、いつの間に・・・!)
部屋のドアを開けた音が全くしなかったことに気づいた。
「ま、まどか?どう、したの?」
「叫ぶ声が聞こえましたので」
以前の荒れ狂っている姿を見られた一件もまだ記憶に新しい。今回も誤魔化せ!と脳内のもう一人の私が言っている。
私は慌てて乱れていた服を着直し、ベッドの上に座り直した。
「さ、叫び声というかね、嬉しくて思わず声が出たの。あの、その、宿題が終わって!」
冷や汗をかきながらも、どうにか言葉を繋ぎ、勉強机を指さした。
「あ」
私は素早く立ち上がり、机の上にノートと一緒に置きっぱなしになっている握力グリップを慌てて、隠した。
「お姉さま、それは?」
めざとく妹が聞いた。
「え?なにかしら?」
「今、何か隠しましたよね?」
ベッドに腰掛けたまま、妹は鋭い視線を投げてくる。
「あ、ああ。これは、あの・・・」
私は後ろ手で、引き出しの中にグリップをしまいながら、しどろもどろになる。
「えっと、そう、その授業で使うの。えっと、その生物の時間に!」
妹が静かになった。
誤魔化しきれたかと安心したその時、部屋中に笑い声が響いた。
< 38 / 106 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop