悲劇のフランス人形は屈しない
第三章 秋
一瞬の幸せ
未だ夏の陽気が残る9月の朝は、少し蒸し暑い。
窓を開けると少数派となった蝉の鳴き声が未だに聞こえてくる。しかし教室の中は、外の様子とは異なり、しんと静まり返っていた。
聞こえてくるのは、答案用紙に書き込む音と、時計の音だけ。
少しぴりついた雰囲気に負けないように、私は再度深呼吸をした。
始業式に始まり、あっという間に試験日となった。集められた夏休みの課題と、今回のテスト結果で、前期の成績順位が決まる。どうしても上位に食い込みたかった。
「そこまで。ペンを置いて」
先生がそう言うと同時にチャイムが鳴った。
生徒が一斉に、はあとため息を吐いた。机に突っ伏した者も数人いる。夏休み中になんとか課題は終わらせられたが、旅行や遊びに明け暮れていた生徒も多いだろう。
その中、私は一人机の下でガッツポーズを作っていた。
(今回はマジでやばい。自信あり!)
伊坂が出した予想問題が、ほとんど当たっていたのだ。そこを重点的に勉強したおかげで、今回は高得点が期待できそうだ。心の中で盛大に伊坂に感謝をする。
教室入り口付近に座っている伊坂の方に目をやると、彼女の方もまた手ごたえがあったらしい、頬が緩んでいるのが見えた。
そして、結果発表の日が来た。
大々的に電光掲示板に発表されるため、当日は多くの人で既に大騒ぎだった。登校中に伊坂と偶然会ったので、そのまま掲示板まで一緒に行くことにした。人だかりが出来ている為、生徒の後頭部しか見えない。
「こういう時、低い身長って不利…」
私はぼそりと呟いた。
身長178センチの凛子だったら、基本的に皆より頭一個分以上は高かったので、真っ先に見られたはず、と考えてしまう。もちろん、その当時は低身長がかなり羨ましかった。背の低い女子は可愛い服も似合うし、足も小さくて、履ける靴のサイズが店頭に常備されている。一方で、凛子の時は、フリーサイズの服を買っても丈は短いし、靴のサイズはいつも取り寄せが多かった。
しかし、低身長の白石透になって不便なことが見えてきた。まず、満員電車は確実に死にかける。目的の駅に降りたくても降りられないことも多々あるし、手すりに届かないこともあった。凛子の時は、電車内の広告が頭に当たることや、人が寄りかかってくることが、鬱陶しく感じでいたが、命の危険を感じることはなかった。
高いところの物が取れるのも利点だったが、今では、台やはしごがないと取れないこともある。そもそも、高い所用の台があるなんて、この体になるまで知らなった。
「白石さん、こっち!」
私よりは少し身長のある伊坂が、人が薄くなったところから手招きした。それでもまだ、人は多い。学生たちの肩の間から背伸びして掲示板を覗くと…。
「嘘…」
白石透がなんと、学年3位に入っていた。
「白石さん!凄いね!」
人混みに呑まれそうになっている私を引っ張り出しながら、伊坂が興奮したように言った。
私は未だに信じられない結果に、脳が追いついていかない。
「白石さんは、要領が良いから絶対いけると思ったんだよね!」
まるでの自分のことのように喜ぶ伊坂に、私は思わず抱き着いていた。
「ど、どうしたの?」
慌てたように伊坂が言った。
「ありがとう。約束を果たしてくれて」
伊坂は私の背中をポンポンと優しく叩いた。
「白石さんの努力のおかげだよ。私は解き方のコツを教えただけで…」
人の勉強を見ながら、自分の勉強もし、今回も学年1位を保った伊坂。そして、その合間にバイトまでしている彼女こそ、努力の塊だ。
「何かお礼をしたいのだけど」
伊坂から体を離し、私は言った。
「もう貰っているし!」
慌てて手を振る伊坂だったが、ふと戸惑ったように目を上げた。
「あ、でも一つだけお願いがあるんだけど…」
「何かしら?」
学年最下位からトップ3まで白石透を引き上げた伊坂には、どんなに高価なものでも買ってあげたい。こっちにはブラックカードがあるのだから!
「買い物に付き合ってほしいな~なんて」
「…付き合うだけ?」
拍子抜けして聞き返すと、伊坂は気まずそうに頷いた。
「バイト代であのバッグを買いたいんだけど・・・。私、ブランド店に一人で入ったことないから、心細くて…」
思わずふふっと笑いがこぼれてしまう。
確かに、昔の私だったら、高級ブランド店に一人で行くのは同じく恐縮してしまうだろう。
「もちろん。今日にでもどうかしら?」
「うん!」
伊坂が満面の笑みでそう言った時、後ろから声がした。
「一体、どんな卑怯な手を使ったの?いきなり学年3位だなんて」
郡山は腰に手を当て、蔑むような目つきで私を睨んでいた。
「卑怯な手だなんて!白石さんは、一生懸命勉強して…」
伊坂が間に割って入ろうとしたが、私は伊坂の腕を押さえた。
「相手にすることはないわ。時間の無駄よ」
「あら!もしかして庶民の家庭教師を雇ったの?さぞかし大金をはたいてもらったのでしょうね」
郡山の口元が皮肉に歪んだ。その場から去ろうとしていた私は、振り返った。
「ええ。言うまでもなく、とても優秀でしたもの。貴女も家庭教師に大金をつぎ込んでいる割に…」
わざと、ちらりと掲示板の方に視線を移した。
「結果に反映されないのね。家庭教師、変えたらどうかしら?」
これを聞いた郡山はわなわなと震えていたが、何も言い返しては来なかった。
根強かった白石透のおバカキャラを、挽回した成績発表後。白石透になって初めて自分が誇らしく感じた。と、同時に幸福感も味わっていた。しかし、この瞬間は長くはもたなかった。
そう。しばらく大人しかった婚約者の天城が仕掛けて来たのだ。
〈婚約解消〉を。
窓を開けると少数派となった蝉の鳴き声が未だに聞こえてくる。しかし教室の中は、外の様子とは異なり、しんと静まり返っていた。
聞こえてくるのは、答案用紙に書き込む音と、時計の音だけ。
少しぴりついた雰囲気に負けないように、私は再度深呼吸をした。
始業式に始まり、あっという間に試験日となった。集められた夏休みの課題と、今回のテスト結果で、前期の成績順位が決まる。どうしても上位に食い込みたかった。
「そこまで。ペンを置いて」
先生がそう言うと同時にチャイムが鳴った。
生徒が一斉に、はあとため息を吐いた。机に突っ伏した者も数人いる。夏休み中になんとか課題は終わらせられたが、旅行や遊びに明け暮れていた生徒も多いだろう。
その中、私は一人机の下でガッツポーズを作っていた。
(今回はマジでやばい。自信あり!)
伊坂が出した予想問題が、ほとんど当たっていたのだ。そこを重点的に勉強したおかげで、今回は高得点が期待できそうだ。心の中で盛大に伊坂に感謝をする。
教室入り口付近に座っている伊坂の方に目をやると、彼女の方もまた手ごたえがあったらしい、頬が緩んでいるのが見えた。
そして、結果発表の日が来た。
大々的に電光掲示板に発表されるため、当日は多くの人で既に大騒ぎだった。登校中に伊坂と偶然会ったので、そのまま掲示板まで一緒に行くことにした。人だかりが出来ている為、生徒の後頭部しか見えない。
「こういう時、低い身長って不利…」
私はぼそりと呟いた。
身長178センチの凛子だったら、基本的に皆より頭一個分以上は高かったので、真っ先に見られたはず、と考えてしまう。もちろん、その当時は低身長がかなり羨ましかった。背の低い女子は可愛い服も似合うし、足も小さくて、履ける靴のサイズが店頭に常備されている。一方で、凛子の時は、フリーサイズの服を買っても丈は短いし、靴のサイズはいつも取り寄せが多かった。
しかし、低身長の白石透になって不便なことが見えてきた。まず、満員電車は確実に死にかける。目的の駅に降りたくても降りられないことも多々あるし、手すりに届かないこともあった。凛子の時は、電車内の広告が頭に当たることや、人が寄りかかってくることが、鬱陶しく感じでいたが、命の危険を感じることはなかった。
高いところの物が取れるのも利点だったが、今では、台やはしごがないと取れないこともある。そもそも、高い所用の台があるなんて、この体になるまで知らなった。
「白石さん、こっち!」
私よりは少し身長のある伊坂が、人が薄くなったところから手招きした。それでもまだ、人は多い。学生たちの肩の間から背伸びして掲示板を覗くと…。
「嘘…」
白石透がなんと、学年3位に入っていた。
「白石さん!凄いね!」
人混みに呑まれそうになっている私を引っ張り出しながら、伊坂が興奮したように言った。
私は未だに信じられない結果に、脳が追いついていかない。
「白石さんは、要領が良いから絶対いけると思ったんだよね!」
まるでの自分のことのように喜ぶ伊坂に、私は思わず抱き着いていた。
「ど、どうしたの?」
慌てたように伊坂が言った。
「ありがとう。約束を果たしてくれて」
伊坂は私の背中をポンポンと優しく叩いた。
「白石さんの努力のおかげだよ。私は解き方のコツを教えただけで…」
人の勉強を見ながら、自分の勉強もし、今回も学年1位を保った伊坂。そして、その合間にバイトまでしている彼女こそ、努力の塊だ。
「何かお礼をしたいのだけど」
伊坂から体を離し、私は言った。
「もう貰っているし!」
慌てて手を振る伊坂だったが、ふと戸惑ったように目を上げた。
「あ、でも一つだけお願いがあるんだけど…」
「何かしら?」
学年最下位からトップ3まで白石透を引き上げた伊坂には、どんなに高価なものでも買ってあげたい。こっちにはブラックカードがあるのだから!
「買い物に付き合ってほしいな~なんて」
「…付き合うだけ?」
拍子抜けして聞き返すと、伊坂は気まずそうに頷いた。
「バイト代であのバッグを買いたいんだけど・・・。私、ブランド店に一人で入ったことないから、心細くて…」
思わずふふっと笑いがこぼれてしまう。
確かに、昔の私だったら、高級ブランド店に一人で行くのは同じく恐縮してしまうだろう。
「もちろん。今日にでもどうかしら?」
「うん!」
伊坂が満面の笑みでそう言った時、後ろから声がした。
「一体、どんな卑怯な手を使ったの?いきなり学年3位だなんて」
郡山は腰に手を当て、蔑むような目つきで私を睨んでいた。
「卑怯な手だなんて!白石さんは、一生懸命勉強して…」
伊坂が間に割って入ろうとしたが、私は伊坂の腕を押さえた。
「相手にすることはないわ。時間の無駄よ」
「あら!もしかして庶民の家庭教師を雇ったの?さぞかし大金をはたいてもらったのでしょうね」
郡山の口元が皮肉に歪んだ。その場から去ろうとしていた私は、振り返った。
「ええ。言うまでもなく、とても優秀でしたもの。貴女も家庭教師に大金をつぎ込んでいる割に…」
わざと、ちらりと掲示板の方に視線を移した。
「結果に反映されないのね。家庭教師、変えたらどうかしら?」
これを聞いた郡山はわなわなと震えていたが、何も言い返しては来なかった。
根強かった白石透のおバカキャラを、挽回した成績発表後。白石透になって初めて自分が誇らしく感じた。と、同時に幸福感も味わっていた。しかし、この瞬間は長くはもたなかった。
そう。しばらく大人しかった婚約者の天城が仕掛けて来たのだ。
〈婚約解消〉を。