悲劇のフランス人形は屈しない
「もう暗いやん…」
校舎を出ると既に外はとっぷりと日が暮れていた。残っている生徒もほとんどいないのか、いやに静まり返っている。
「怖…。早く帰ろう」
高身長で怪力。ちょっとのことじゃ驚かない。怖いもの知らずと称された私でも、怖いものはあった。闇が苦手だった。いつもは明るい校舎だが、今じゃほとんどの光が消えかかっている。かろうじて門へ続く道はオレンジ色の電灯がついているくらいだ。
無意識に小走りになりながら、門までの道を急ぐ。
誰もいないと思い込んでいた私は、後ろから声をかけられて思わず小さな悲鳴を上げた。
「ぎゃあ!」
「大丈夫ですか?」
平松が訝し気な顔をして私を見ていた。
「なんだ、平松か…」
私はバクバクと鳴る心臓を押さえながら、呟いた。
「中々戻られないので、学校で待たせてもらっていました。ちょっとトイレに行っている最中に入れ違いになりまして」
私の隣を歩きながら平松が言った。私は歩くスピードを落とした。平松がいるなら安心だ。
「大丈夫ですか?」
再度、平松が私の顔を覗きながら聞いた。
「何が?」
平松が横にいるおかげで、暗闇の恐怖は既に吹っ飛んでいる。
「聞きましたよ。今回の試験で上位に組み込んだ為、他の生徒から根も葉もない噂が飛び交ったと。そのせいで、再試験を受けさせられていたんですよね」
いつもより優しい口調の平松に、私は思わず身構える。
「…何か、企んでる?」
「なぜです?」
驚いたように目を見開く平松。
「いや、なんかいつもより雰囲気が違うというか。優しいというか」
「お嬢様を見直していたのです。ご友人をお呼びして、勉強を見てもらっていたのを知っていましたし、日々の努力の結果が出たのだと感心したのです。今までのお嬢様は、勉学に関しても諦めが早かったですから」
初めて平松に褒められたのが、嬉しくて思わず頬が緩んでしまう。しかし、次の一言で一瞬にして表情が固まった。
「他の噂も耳にしました。天城さまと婚約解消とは、どういうことですか?」
(ああ、先生たちも噂話をするのか…。そりゃ、そうだ。人間だもんな)
生徒の間で広まる噂を、教師たちが聞かぬふりをしてくれると、なぜ思っていたのだろうか。
「まだ母は知らないよね?」
何も考えずに受け入れてしまったが、両家同士の確執になることは避けなければならない。
「そうですね。まだ耳に入っていないようですが」
それから私の方に視線を向けた。
「事実なのでしょうか?」
「…まあ、はい」
平松はしばし考えたあと、思いがけないことを言った。
「とりあえずは、秘密にしておきます。まだ学校外には広まっていないようですし」
「もしかして、明日は雨かしら?」
「心外ですね。私にだって一応、良心はあります」
母親のスパイであり、私の監視役である平松が、この件については、まさか私側についてくれるとは、思いがけないご褒美である。
「奥様に知られた後のことは、保証できませんよ」
平松が足を止め、じっと私を見た。
母親の性格をよく知っているし、どんな仕打ちをされるかも何となく予想出来る。しかし、まだしばらくの間は平和にいられるだろう。
「知られた時は、知られた時だよ」
私は笑顔を返し、軽い足取りで歩みを進めた。
「本当に変わられましたね」
平松が私の背中に向かってそう呟いていたのは、聞こえるよしもなかった。
校舎を出ると既に外はとっぷりと日が暮れていた。残っている生徒もほとんどいないのか、いやに静まり返っている。
「怖…。早く帰ろう」
高身長で怪力。ちょっとのことじゃ驚かない。怖いもの知らずと称された私でも、怖いものはあった。闇が苦手だった。いつもは明るい校舎だが、今じゃほとんどの光が消えかかっている。かろうじて門へ続く道はオレンジ色の電灯がついているくらいだ。
無意識に小走りになりながら、門までの道を急ぐ。
誰もいないと思い込んでいた私は、後ろから声をかけられて思わず小さな悲鳴を上げた。
「ぎゃあ!」
「大丈夫ですか?」
平松が訝し気な顔をして私を見ていた。
「なんだ、平松か…」
私はバクバクと鳴る心臓を押さえながら、呟いた。
「中々戻られないので、学校で待たせてもらっていました。ちょっとトイレに行っている最中に入れ違いになりまして」
私の隣を歩きながら平松が言った。私は歩くスピードを落とした。平松がいるなら安心だ。
「大丈夫ですか?」
再度、平松が私の顔を覗きながら聞いた。
「何が?」
平松が横にいるおかげで、暗闇の恐怖は既に吹っ飛んでいる。
「聞きましたよ。今回の試験で上位に組み込んだ為、他の生徒から根も葉もない噂が飛び交ったと。そのせいで、再試験を受けさせられていたんですよね」
いつもより優しい口調の平松に、私は思わず身構える。
「…何か、企んでる?」
「なぜです?」
驚いたように目を見開く平松。
「いや、なんかいつもより雰囲気が違うというか。優しいというか」
「お嬢様を見直していたのです。ご友人をお呼びして、勉強を見てもらっていたのを知っていましたし、日々の努力の結果が出たのだと感心したのです。今までのお嬢様は、勉学に関しても諦めが早かったですから」
初めて平松に褒められたのが、嬉しくて思わず頬が緩んでしまう。しかし、次の一言で一瞬にして表情が固まった。
「他の噂も耳にしました。天城さまと婚約解消とは、どういうことですか?」
(ああ、先生たちも噂話をするのか…。そりゃ、そうだ。人間だもんな)
生徒の間で広まる噂を、教師たちが聞かぬふりをしてくれると、なぜ思っていたのだろうか。
「まだ母は知らないよね?」
何も考えずに受け入れてしまったが、両家同士の確執になることは避けなければならない。
「そうですね。まだ耳に入っていないようですが」
それから私の方に視線を向けた。
「事実なのでしょうか?」
「…まあ、はい」
平松はしばし考えたあと、思いがけないことを言った。
「とりあえずは、秘密にしておきます。まだ学校外には広まっていないようですし」
「もしかして、明日は雨かしら?」
「心外ですね。私にだって一応、良心はあります」
母親のスパイであり、私の監視役である平松が、この件については、まさか私側についてくれるとは、思いがけないご褒美である。
「奥様に知られた後のことは、保証できませんよ」
平松が足を止め、じっと私を見た。
母親の性格をよく知っているし、どんな仕打ちをされるかも何となく予想出来る。しかし、まだしばらくの間は平和にいられるだろう。
「知られた時は、知られた時だよ」
私は笑顔を返し、軽い足取りで歩みを進めた。
「本当に変わられましたね」
平松が私の背中に向かってそう呟いていたのは、聞こえるよしもなかった。