悲劇のフランス人形は屈しない
トイレから戻り、次の種目であるパン食い競争に参加しようと体育館へ戻ると、伊坂が私を見つけて駆け寄って来た。
「大丈夫?郡山さんに攻撃されてたところ二階から見てた…」
そこまで言いかけて伊坂は私の腕を取った。
「凄い赤くなってる!!」
(あ、本当だ)
白石透の色白の肌に、くっきりとボールを受けた赤い跡が残っていた。
(昔は色黒だったから全く気にならなかったけど、るーちゃんは色白だから目立つな)
「保健室行って。私が、代わりに次の種目のパン食い競争出るよ!」
「そう?お願いしてもいいかしら」
本当は大したことではなかったが、借りている体に傷をつけるのは居たたまれない。
そこは大人しく保健室に行くことにした。
「その次のバスケが始まる前に戻って来て。私、球技は苦手で…」
「必ず戻ってくるわ」
真剣な顔で私はすぐさま答えた。
(バスケを逃すなんてことは出来ない)
私は駆け足で保健室へと向かった。

「失礼します」
鼻血事件以来、ご無沙汰していた保健室の扉を開ける。室内はしんと静まり返っている。先生は不在のようだ。
「湿布でもあればいいんだけど…」
私は辺りをきょろきょろと見渡した。
本編でも保健室のシーンは何度が出てきたが、どこに何があったのかは把握できていない。
手当たり次第、色々な引き出しを開けてみるが、消毒やガーゼなどばかりでお目当てのものは見つからない。
「何してるの?」
突然背後で声がして、私は驚きのあまり飛び上がった。
(だ、誰かいたんだ…)
振り向くと、ベッドのカーテンの隙間から覗いている瞳と目があった。
「あ、元婚約者」
(なんだ、天城の友人Bか)
私は笑顔を作って挨拶をする。
「ごきげんよう」
「何してるの?さっきから、ごそごそと」
眠たそうな声で五十嵐が言った。
「気になさらないで。音を立てないように気をつけるので」
「そう」
カーテンをシャッと引く音がして、五十嵐が寝に戻った音が背後で聞こえた。
私は相変わらず、消毒液が置いてあるキャビネットの下にかがみこみ、何かないかと奥を探していると。
「それ冷やした方がいいんじゃない?」
上から声が降って来た。
五十嵐が上から私を見下ろしていた。
「ええ。そう思って今湿布を探していますの」
平常心を装いながら私は答えた。
男子に上から声を掛けられる経験がないため、見上げるこの体勢はどこか癪に障る。
「氷があった気がする」
私の話を聞いているのか聞いていないのか、マイペースに五十嵐は冷蔵庫へと行き、どこから見つけたのか透明の袋に氷をいくつか詰めた。
「腕出して」
戻って来た五十嵐が、私に椅子に座るよう顎で促し、腕を出すように指示する。
私は渋々言うことを聞いた。
熱を持った腕にひんやりとした氷が当てられる。
「そんな睨まないで」
ふと五十嵐が言った。私の腕から視線を離さず、熱が引いたどうか確認している。
「睨んでなんていませんわ」
(ただ、何を企んでいるのか気になっただけ)
私は目の前の五十嵐を見つめた。
漫画では、天城のもう一人の友人である蓮見同様、出番がほとんどないのがこの五十嵐だ。天城の登場シーンに時々描かれていただけで、背景が良く分からない。
(るーちゃんを嫌っていたのかも定かではないからな)
何の魂胆があって、白石透の介抱をしているのだろうか。
「ねえ」
いきなりぱっと顔を上げた五十嵐に驚いて、私は身を少し後ろに引いた。
「君って、人とどこか違うよね」
「ど、どういうことかしら?」
心臓が早鐘のように鳴りだし、背中に何か冷たいものが流れた。
(白石透じゃない別人だと気付かれた…?)
内心パニック状態の私は、落ち着いた表情を作るのに必死だった。
「いや、学校のみんなとは違うニオイがする」
どういう意味かと聞き返そうとした時、保健室のドアがガラッと開いた。
「あら!白石さん!」
白衣を着た先生が現れた。
「どうしたの?ケガ?五十嵐くんが手当してくれたのね」
素早く近づき、私の腕の様子を見ながら先生が言った。
「まだ赤いけど大丈夫?休んでいく?」
以前と同じように先生は、ベッドの方を指さした。
「いえ。次の種目にも出たいので、湿布だけお願いします」
「白石さんとスポーツなんて一生縁がないと思っていたわ」
さらりと酷いことを言いながら、戸棚の一番上に置いてある透明の救急ボックスを取り出すと、手際よく湿布を貼ってくれた。
「ありがとうございます。では、これで」
手当が終わるや否や、私はお辞儀をし、さっさと保健室を後にした。
「白石さんが体育に参加していたのも驚きだったけど、体育祭にもちゃんと出ているなんてね」
信じられないと先生がぼそりと口にした。
それから、五十嵐の方を向いた。
「五十嵐くんは、もう少し休憩していく?」
「いえ」
五十嵐は置いてあったジャージの上を羽織ると、保健室のドアに手をかけた。
「ちょっと面白いものが見られそうなので」
二人が出て行くと保健室は、またもや静けさに包まれた。
「青春ねぇ」
先生は微笑みながらぽそりと呟いた。
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