悲劇のフランス人形は屈しない
「あ~。天城が誰と行くか、聞いておけばよかった~」
私はダイニングテーブルに突っ伏した。
「まあ聞いたところで無視されるのがオチなんですが」
目の前にいる妹は、そんな私の様子を気にした風もなく、私特製のオムライスを頬張っていた。平松や家政婦の芦屋という監視役がいないことをいいことに、頬にいっぱい詰め込んで食べている。母親が見たら「お下品!」と激怒しそうだ。
「もう婚約者じゃないのに、気になるの?」
「実は…」
私は顔を上げた。
言うのをためらってしまう。
「お姉さま。私には何でも話してちょうだい」
私の心の内を読んだのか、妹が食べ物を呑み込むとはっきりした口調で言った。
大人っぽい表情を一瞬見せた妹だが、口の端にケチャップがついている。
(可愛いかよ!)
私は近くにあったティッシュでそれを拭いてあげながら、口を開いた。
「るーちゃんが高3のクリスマスパーティーに、天城は西園寺響子を連れて来るのよ。パートナーとして」
「それで?」
「そこで、婚約者として発表する」
妹の目が見開かれた。
「だいぶ気の早い男ね。天城は」
もはや姉の元婚約者を呼び捨てにしている妹は、ツワモノすぎる。
「とりあえず、藤堂茜とパーティーに行くよう推してはみたけど。素直に聞く男でもないよね」
「そうね」
まどかはまたオムライスを口に運びながら、相づちを打った。
「西園寺響子と来た場合は、何か悪いことが起きるの?」
「特別なことは何もないけど」
(そう。私が自殺を選ばなければいいだけで、問題は…)
私は唇を噛んだ。
「問題は、西園寺を連れた婚約発表の前に起こるの」
「それは?」
「白石透は、西園寺によって階段から突き落とされる」
妹の口がぽかんと開いた。
「一命は取留めるけど、打ちどころが悪くてだいぶ重体に…」
それから私は慌てて付け加えた。
「ただ、絶対に起こるとは言い切れない!それに、今夜突き落とされるとは思ってないの。ただ、あくまでそういう流れがあるって言うだけで…。それにまだ高校も1年目だし!」
しかしそんな私の慰めは妹の耳には入っていないようだった。
スプーンを持つ手がぶるぶると震えている。
「お姉さまは、その西園寺響子のせいで大怪我をするの?」
「あくまで原作では、だから!」
やっぱり言わなきゃよかったと後悔する。
頭の良い妹に頼ることが多すぎて、26歳の自分と同格であると考えていたところがあった。
(小学生には酷だったよな…)
反省するが、すでに言ってしまった手前もう取り消すことは出来ない。
真剣な表情で、私は未だ震えている妹の手に触れた。
「まどか。私は、このままでいるつもりはないから」
妹の目から大粒の涙がこぼれた。
「そ、そんな事言っても、お姉さま…」
まどかが叫んだ。
「何一つストーリー変えられてないじゃない!」
突然ぐさりと痛いところを刺された。
「プールには落とされるし、婚約は破棄されるし、体育祭でケガだらけになるしー!」
「はい、ごもっともです…」
「今のところ何も改善されてないじゃないの!」
「はい、すみません…」
心配して泣いてくれているというのに、叱られている気がしてならないのは何故だろう。
大声で泣くまどかに、私はひらすら謝るしかない。
「本当にストーリーを変える気はあるの!」
「あります!頑張ります!」
もはやどちらが年上か分からない。妹は涙の溜まった大きな瞳で私を見つめた。
「約束してくれる?大怪我なんて絶対しないって、約束する?」
「はい、します」
「なら、許す」
鼻をぐずぐずさせながら、まどかは頷いた。
私は妹に大量のティッシュを渡しながら、大人っぽい天才の妹ではなく等身大のまどかが見られたことに、喜びを見出していた。
(まどかが泣いたのは初めてかも)
漫画でも、小学生とは思えない大人びた妹が涙した瞬間は一度も描かれたことがない。
「それで、るーちゃんはどこで階段から落とされたの?」
チーンと鼻を噛みながら妹が聞いた。
「場所さえ分かれば、対策を打てるわ。お姉さまの最悪の事態を避けるために」
「ええっと…」
私は言葉に詰まってしまった。
「学校のどこか、だったと思う…」
「は?」
そのシーンを思い出そうと頑張るが、そのコマには、西園寺の憎悪に満ちた顔とセリフ、そして白石透の恐怖におののいた表情がアップで描かれていたため、場所が特定できない。
「背景が暗くて、よく分からなくて…」
「お姉さま」
妹が今度は別の意味で震えている。
「ま、待って。いつかは覚えてる!高3の夏!…いや、秋か?とにかく高3のクリスマスパーティー前…」
「お姉さまのバカー!」
まどかが叫んだ。
「さっき、約束したわよね!それを回避するには、情報が必要なの!」
「…ごもっともです」
「高3かなんてどうでもいいのよ。だって、全ての事件が前倒しになっているんだもの!婚約破棄も本来だったら、高校3年の時だったのよね!?」
「はい、そうでございます…」
「もはや原作と同じ時間軸で行われると思う方がどうかしているわよね!?」
「その通りです。言葉もありません」
椅子に座っているはずなのに、妹の前で土下座している気分だ。恐縮すると同時に、私が話したストーリーと、現実で生じたズレを全て記憶している妹に感服する。
「いいこと。お姉さまはするべきことは、場所の特定よ」
「…はい」
「筋トレをしている場合じゃないわ」
「…すみませんでした」
「分かればいいわ」
妹の許しが出て、私はやっと背筋を伸ばすことが出来た。
「今夜は、大丈夫なのよね?」
まどかの視線を受け止めながら、私は頷いた。
「もし西園寺が天城と一緒に来たとしても、今夜のパーティーで彼女が何かを仕掛けてくる可能性は低いと思う」
私は顎に手を当てながら言った。
「自分から手を出すのは、最後の最後。まずは別の人を使う気がする」
「でも彼女を警戒はしておくことに越したことはないわ。だから、事故現場を探して欲しいけど、用心はしてね」
「了解した」
「まあ、でも天城が西園寺響子と現れたら最高ね」
オムライスの続きを食べ始めながら、まどかは言った。
「どうして?」
やっと私も自分のランチに手をつける。
「天城がおとり役になってくれるわ。西園寺響子は、天城が本気で好きなのでしょ?きっと一時も離れないと思うもの」
(あー、その手があったか!)
今更ながら、藤堂茜を推薦してしまったことを悔やんだ。
「確かに、西園寺と来てくれれば私は安心して動き回れる」
私は頭を抱えた。
「とにかく今日は目立たないようにして。私の方でも探ってみるから」
どうやって、という言葉が出る前に突然ドアの方が騒がしくなり、数人の女性たちが入って来た。藤堂の誕生会にも世話を焼いてくれた美容部員たちだ。その中の、一番高齢の女性がお辞儀をした。
「透さま。パーティーの準備を手伝わせて頂きます」
「…え、もう?」
「時間はどれだけあっても足りません」
そう言うが早いか、私は食べかけのオムライスから引き離され、あれよあれよと全身磨かれることとなった。
私はダイニングテーブルに突っ伏した。
「まあ聞いたところで無視されるのがオチなんですが」
目の前にいる妹は、そんな私の様子を気にした風もなく、私特製のオムライスを頬張っていた。平松や家政婦の芦屋という監視役がいないことをいいことに、頬にいっぱい詰め込んで食べている。母親が見たら「お下品!」と激怒しそうだ。
「もう婚約者じゃないのに、気になるの?」
「実は…」
私は顔を上げた。
言うのをためらってしまう。
「お姉さま。私には何でも話してちょうだい」
私の心の内を読んだのか、妹が食べ物を呑み込むとはっきりした口調で言った。
大人っぽい表情を一瞬見せた妹だが、口の端にケチャップがついている。
(可愛いかよ!)
私は近くにあったティッシュでそれを拭いてあげながら、口を開いた。
「るーちゃんが高3のクリスマスパーティーに、天城は西園寺響子を連れて来るのよ。パートナーとして」
「それで?」
「そこで、婚約者として発表する」
妹の目が見開かれた。
「だいぶ気の早い男ね。天城は」
もはや姉の元婚約者を呼び捨てにしている妹は、ツワモノすぎる。
「とりあえず、藤堂茜とパーティーに行くよう推してはみたけど。素直に聞く男でもないよね」
「そうね」
まどかはまたオムライスを口に運びながら、相づちを打った。
「西園寺響子と来た場合は、何か悪いことが起きるの?」
「特別なことは何もないけど」
(そう。私が自殺を選ばなければいいだけで、問題は…)
私は唇を噛んだ。
「問題は、西園寺を連れた婚約発表の前に起こるの」
「それは?」
「白石透は、西園寺によって階段から突き落とされる」
妹の口がぽかんと開いた。
「一命は取留めるけど、打ちどころが悪くてだいぶ重体に…」
それから私は慌てて付け加えた。
「ただ、絶対に起こるとは言い切れない!それに、今夜突き落とされるとは思ってないの。ただ、あくまでそういう流れがあるって言うだけで…。それにまだ高校も1年目だし!」
しかしそんな私の慰めは妹の耳には入っていないようだった。
スプーンを持つ手がぶるぶると震えている。
「お姉さまは、その西園寺響子のせいで大怪我をするの?」
「あくまで原作では、だから!」
やっぱり言わなきゃよかったと後悔する。
頭の良い妹に頼ることが多すぎて、26歳の自分と同格であると考えていたところがあった。
(小学生には酷だったよな…)
反省するが、すでに言ってしまった手前もう取り消すことは出来ない。
真剣な表情で、私は未だ震えている妹の手に触れた。
「まどか。私は、このままでいるつもりはないから」
妹の目から大粒の涙がこぼれた。
「そ、そんな事言っても、お姉さま…」
まどかが叫んだ。
「何一つストーリー変えられてないじゃない!」
突然ぐさりと痛いところを刺された。
「プールには落とされるし、婚約は破棄されるし、体育祭でケガだらけになるしー!」
「はい、ごもっともです…」
「今のところ何も改善されてないじゃないの!」
「はい、すみません…」
心配して泣いてくれているというのに、叱られている気がしてならないのは何故だろう。
大声で泣くまどかに、私はひらすら謝るしかない。
「本当にストーリーを変える気はあるの!」
「あります!頑張ります!」
もはやどちらが年上か分からない。妹は涙の溜まった大きな瞳で私を見つめた。
「約束してくれる?大怪我なんて絶対しないって、約束する?」
「はい、します」
「なら、許す」
鼻をぐずぐずさせながら、まどかは頷いた。
私は妹に大量のティッシュを渡しながら、大人っぽい天才の妹ではなく等身大のまどかが見られたことに、喜びを見出していた。
(まどかが泣いたのは初めてかも)
漫画でも、小学生とは思えない大人びた妹が涙した瞬間は一度も描かれたことがない。
「それで、るーちゃんはどこで階段から落とされたの?」
チーンと鼻を噛みながら妹が聞いた。
「場所さえ分かれば、対策を打てるわ。お姉さまの最悪の事態を避けるために」
「ええっと…」
私は言葉に詰まってしまった。
「学校のどこか、だったと思う…」
「は?」
そのシーンを思い出そうと頑張るが、そのコマには、西園寺の憎悪に満ちた顔とセリフ、そして白石透の恐怖におののいた表情がアップで描かれていたため、場所が特定できない。
「背景が暗くて、よく分からなくて…」
「お姉さま」
妹が今度は別の意味で震えている。
「ま、待って。いつかは覚えてる!高3の夏!…いや、秋か?とにかく高3のクリスマスパーティー前…」
「お姉さまのバカー!」
まどかが叫んだ。
「さっき、約束したわよね!それを回避するには、情報が必要なの!」
「…ごもっともです」
「高3かなんてどうでもいいのよ。だって、全ての事件が前倒しになっているんだもの!婚約破棄も本来だったら、高校3年の時だったのよね!?」
「はい、そうでございます…」
「もはや原作と同じ時間軸で行われると思う方がどうかしているわよね!?」
「その通りです。言葉もありません」
椅子に座っているはずなのに、妹の前で土下座している気分だ。恐縮すると同時に、私が話したストーリーと、現実で生じたズレを全て記憶している妹に感服する。
「いいこと。お姉さまはするべきことは、場所の特定よ」
「…はい」
「筋トレをしている場合じゃないわ」
「…すみませんでした」
「分かればいいわ」
妹の許しが出て、私はやっと背筋を伸ばすことが出来た。
「今夜は、大丈夫なのよね?」
まどかの視線を受け止めながら、私は頷いた。
「もし西園寺が天城と一緒に来たとしても、今夜のパーティーで彼女が何かを仕掛けてくる可能性は低いと思う」
私は顎に手を当てながら言った。
「自分から手を出すのは、最後の最後。まずは別の人を使う気がする」
「でも彼女を警戒はしておくことに越したことはないわ。だから、事故現場を探して欲しいけど、用心はしてね」
「了解した」
「まあ、でも天城が西園寺響子と現れたら最高ね」
オムライスの続きを食べ始めながら、まどかは言った。
「どうして?」
やっと私も自分のランチに手をつける。
「天城がおとり役になってくれるわ。西園寺響子は、天城が本気で好きなのでしょ?きっと一時も離れないと思うもの」
(あー、その手があったか!)
今更ながら、藤堂茜を推薦してしまったことを悔やんだ。
「確かに、西園寺と来てくれれば私は安心して動き回れる」
私は頭を抱えた。
「とにかく今日は目立たないようにして。私の方でも探ってみるから」
どうやって、という言葉が出る前に突然ドアの方が騒がしくなり、数人の女性たちが入って来た。藤堂の誕生会にも世話を焼いてくれた美容部員たちだ。その中の、一番高齢の女性がお辞儀をした。
「透さま。パーティーの準備を手伝わせて頂きます」
「…え、もう?」
「時間はどれだけあっても足りません」
そう言うが早いか、私は食べかけのオムライスから引き離され、あれよあれよと全身磨かれることとなった。