悲劇のフランス人形は屈しない
「着きました」
普段は使わない学校の裏門から入り、会場の近くに車を停める。私は、停まるや否や、逃げるように車から出た。
(死ぬかと思った…)
ドアに手をかけ、深呼吸をする。
誰一人話さなさいという車内の息詰まる空気に、無意識に呼吸を止めていた。
「では、連絡を頂いたらお迎えにあがります」
どこか楽しんでいる平松はお辞儀をし、さっさと帰って行った。
消えていく車のバックライトを見送る。
(私も帰りたい…)
「行くぞ」
天城が言った。
(へいへい…)
バランスの取れないピンヒールでゆっくりと歩き出す。
少し前を歩いていた天城は、はあと大きなため息を吐いた。
「遅い」
その言いぐさにイラっとする。
「先に行ってくださって、構いませんのよ?」
むしろ先に行ってくれ、と心の中で呟く。
しかし、天城は私の言葉を無視し、私の腕を掴んだ。私が歩きやすいように支えてくれるようだ。
(こいつが分からん!)
支えがあることにより、幾分かマシに歩けるようにはなったが、謎は増えるばかりだ。
(そして五十嵐はどうした)
辺りを見渡すが、人一人見当たらない。パーティー開始の時間はとっくの当に始まっているから、パーティー会場にいるのだろうか。
「五十嵐は来ない」
何かを察知したのか、天城が言った。
「用事が出来たらしい」
「あら、そうなの。それならそうと言ってくれればよろしいのに」
(代わりに天城をよこすなんて。気が利くのか、空気が読めないのか)
絶対に後者だろうな、と考えていると遠くから声が聞こえた。
「おーい、二人とも!」
声の方へ視線を向けると、パーティー会場となっている体育館の入り口付近で、誰かが腕をぶんぶんと振っている。すでに辺りは暗くなっており、蛍光灯の近くに行くまで、それが正装した蓮見だと分からなかった。隣には、寒さで頬を赤らめながらもどこか誇らしげな藤堂茜が立っていた。
久しぶりに彼女の顔を見た瞬間、どす黒い何かが心の底から込み上げて来た。
(伊坂さんの一件に、藤堂は直接的に関わっていない)
自分にそう言い聞かせるが、藤堂が放った言葉が、一気に脳内に蘇る。
―哀れな庶民は、消されてしまいましたとさ。
何が狙いで、そんなことを言ったのかは分からないが、あの言葉に私がかなり取り乱したのは事実だ。怒り狂う私の顔でも拝みたかったのだろうか。
(それなら、大成功ね)
「落ち着け」
無意識に硬直していた私の肩に天城の手が置かれた。
「転校の件に、あの女は関わってない」
知ってる、と言いかけて私はふと足を止めた。
「なぜ、そう思うの?」
天城も私に合わせて立ち止まる。
「調べた」
眉の間にしわが寄っているが、気にせず聞き返す。
「なぜ?」
「お前が…」
そこまで言いかけて天城は口をつぐんだ。
(私が何?)
「いや、何でもない」
そう言うと、蓮見が騒いでいる方へと一人で歩き出した。
「なんじゃ、そりゃ…」
離れていく背中を見ながら、ため息が出る。そして、私もドレスの裾を上げ、ゆっくり歩き始めた。
「遅かったわね」
藤堂が言った。
上着を忘れて外に出て来たのか、氷のように冷たくなった藤堂の腕を私の腕に絡めて来た。
「ずっとお待ちしていたのよ」
前を歩く天城と蓮見の後ろ姿を嬉しそうに見ながら、藤堂は言った。蓮見に誘われたことが誇らしいのか、終始笑顔である。
「藤堂さん、聞きたいことがあるのだけど」
「何かしら?」
機嫌良さそうに藤堂は私に顔を向けた。
「伊坂さんのことだけど。貴女言っていたわよね。彼女は、私に近づきすぎたと」
「あら、そうでした?」
ピンク色のネイルを施した指を顎にあて、わざとらしく「はて?」と首をかしげる。
藤堂の行動一つに苛立ちを感じる。
「ええ。あれはどういう意味だったのかしら?」
「さあ。覚えていませんもの」
藤堂の腕がするりと私の腕から外された。しかし私はすぐさま藤堂の腕を掴んだ。
(逃がさない)
「伊坂さんの転校の件、貴女はどこまで知っていたの?」
「白石さん、痛いわ!」
突然、大きな声を出した。
「は?」
何事かと、蓮見と天城が振り向いた。
「強く掴まないでください!私は貴女が何を言っているのか、全く分かりませんわ!」
メイクでさらに大きくなった茶色の瞳に、涙がみるみるうちに溜まっていく。
「誤魔化さないで。貴女は一体どこで…」
言い終わらぬうちに、天城によって腕を掴まれていた。
「離せ」
天城の低い声が響いた。
私の手から解放された藤堂は腕をさすりながら、さっと蓮見の後ろに隠れた。
「白石さん、怖いですわ…」
(こいつ、しらを切るつもりか)
蓮見が藤堂に「行こうか」と言ったその時、藤堂の顔がにやりと歪んだのを私は見逃さなかった。
二人の姿が遠ざかると、天城は私の腕を離した。
「さっき言っただろ。あの女は関係ないと」
「本当にそうかしら」
私は歩き出した。
黒いフードの人物が藤堂茜でなくても、直接的に伊坂を転校まで追いやっていなくても、何かを知っているのは明らかだ。
(でないと、私に近づきすぎて消された、などいう台詞は出てこないはず。その裏さえ取れれば、その人物を追い詰められるのに)
「何か、知っているのか」
隣に並び、狭い私の歩幅に合わせながら天城が聞いた。
「あなたには関係のないことよ」
私はつんと前を向きながら答えた。
(天城が何を調べたのかは知らないけど、これは私が解決する問題)
天城がまた私の腕を掴んだ。
(もう本日何度目…)
「何かしら?」
小さくため息を吐きながら、私は天城の方に体を向けた。
「お前が話してくれないと、助けられない」
しかめ面のその瞳の奥に、色々な感情が動いている気がした。
「誰の助けもいらないわ」
私の助けになるのは、ただ一人。本当の私を知っている、妹だけ。
天城の手を掴み、私の腕から引きはがした。
「婚約者のフリをする必要はないのよ。そろそろ、自分の人生を歩んだらどうかしら」
そう言い、体育館の扉を開けた。
「もう歩んでいる」
私の背中に向かって天城がそう呟いていたことなど、全く気づいていなかった。
普段は使わない学校の裏門から入り、会場の近くに車を停める。私は、停まるや否や、逃げるように車から出た。
(死ぬかと思った…)
ドアに手をかけ、深呼吸をする。
誰一人話さなさいという車内の息詰まる空気に、無意識に呼吸を止めていた。
「では、連絡を頂いたらお迎えにあがります」
どこか楽しんでいる平松はお辞儀をし、さっさと帰って行った。
消えていく車のバックライトを見送る。
(私も帰りたい…)
「行くぞ」
天城が言った。
(へいへい…)
バランスの取れないピンヒールでゆっくりと歩き出す。
少し前を歩いていた天城は、はあと大きなため息を吐いた。
「遅い」
その言いぐさにイラっとする。
「先に行ってくださって、構いませんのよ?」
むしろ先に行ってくれ、と心の中で呟く。
しかし、天城は私の言葉を無視し、私の腕を掴んだ。私が歩きやすいように支えてくれるようだ。
(こいつが分からん!)
支えがあることにより、幾分かマシに歩けるようにはなったが、謎は増えるばかりだ。
(そして五十嵐はどうした)
辺りを見渡すが、人一人見当たらない。パーティー開始の時間はとっくの当に始まっているから、パーティー会場にいるのだろうか。
「五十嵐は来ない」
何かを察知したのか、天城が言った。
「用事が出来たらしい」
「あら、そうなの。それならそうと言ってくれればよろしいのに」
(代わりに天城をよこすなんて。気が利くのか、空気が読めないのか)
絶対に後者だろうな、と考えていると遠くから声が聞こえた。
「おーい、二人とも!」
声の方へ視線を向けると、パーティー会場となっている体育館の入り口付近で、誰かが腕をぶんぶんと振っている。すでに辺りは暗くなっており、蛍光灯の近くに行くまで、それが正装した蓮見だと分からなかった。隣には、寒さで頬を赤らめながらもどこか誇らしげな藤堂茜が立っていた。
久しぶりに彼女の顔を見た瞬間、どす黒い何かが心の底から込み上げて来た。
(伊坂さんの一件に、藤堂は直接的に関わっていない)
自分にそう言い聞かせるが、藤堂が放った言葉が、一気に脳内に蘇る。
―哀れな庶民は、消されてしまいましたとさ。
何が狙いで、そんなことを言ったのかは分からないが、あの言葉に私がかなり取り乱したのは事実だ。怒り狂う私の顔でも拝みたかったのだろうか。
(それなら、大成功ね)
「落ち着け」
無意識に硬直していた私の肩に天城の手が置かれた。
「転校の件に、あの女は関わってない」
知ってる、と言いかけて私はふと足を止めた。
「なぜ、そう思うの?」
天城も私に合わせて立ち止まる。
「調べた」
眉の間にしわが寄っているが、気にせず聞き返す。
「なぜ?」
「お前が…」
そこまで言いかけて天城は口をつぐんだ。
(私が何?)
「いや、何でもない」
そう言うと、蓮見が騒いでいる方へと一人で歩き出した。
「なんじゃ、そりゃ…」
離れていく背中を見ながら、ため息が出る。そして、私もドレスの裾を上げ、ゆっくり歩き始めた。
「遅かったわね」
藤堂が言った。
上着を忘れて外に出て来たのか、氷のように冷たくなった藤堂の腕を私の腕に絡めて来た。
「ずっとお待ちしていたのよ」
前を歩く天城と蓮見の後ろ姿を嬉しそうに見ながら、藤堂は言った。蓮見に誘われたことが誇らしいのか、終始笑顔である。
「藤堂さん、聞きたいことがあるのだけど」
「何かしら?」
機嫌良さそうに藤堂は私に顔を向けた。
「伊坂さんのことだけど。貴女言っていたわよね。彼女は、私に近づきすぎたと」
「あら、そうでした?」
ピンク色のネイルを施した指を顎にあて、わざとらしく「はて?」と首をかしげる。
藤堂の行動一つに苛立ちを感じる。
「ええ。あれはどういう意味だったのかしら?」
「さあ。覚えていませんもの」
藤堂の腕がするりと私の腕から外された。しかし私はすぐさま藤堂の腕を掴んだ。
(逃がさない)
「伊坂さんの転校の件、貴女はどこまで知っていたの?」
「白石さん、痛いわ!」
突然、大きな声を出した。
「は?」
何事かと、蓮見と天城が振り向いた。
「強く掴まないでください!私は貴女が何を言っているのか、全く分かりませんわ!」
メイクでさらに大きくなった茶色の瞳に、涙がみるみるうちに溜まっていく。
「誤魔化さないで。貴女は一体どこで…」
言い終わらぬうちに、天城によって腕を掴まれていた。
「離せ」
天城の低い声が響いた。
私の手から解放された藤堂は腕をさすりながら、さっと蓮見の後ろに隠れた。
「白石さん、怖いですわ…」
(こいつ、しらを切るつもりか)
蓮見が藤堂に「行こうか」と言ったその時、藤堂の顔がにやりと歪んだのを私は見逃さなかった。
二人の姿が遠ざかると、天城は私の腕を離した。
「さっき言っただろ。あの女は関係ないと」
「本当にそうかしら」
私は歩き出した。
黒いフードの人物が藤堂茜でなくても、直接的に伊坂を転校まで追いやっていなくても、何かを知っているのは明らかだ。
(でないと、私に近づきすぎて消された、などいう台詞は出てこないはず。その裏さえ取れれば、その人物を追い詰められるのに)
「何か、知っているのか」
隣に並び、狭い私の歩幅に合わせながら天城が聞いた。
「あなたには関係のないことよ」
私はつんと前を向きながら答えた。
(天城が何を調べたのかは知らないけど、これは私が解決する問題)
天城がまた私の腕を掴んだ。
(もう本日何度目…)
「何かしら?」
小さくため息を吐きながら、私は天城の方に体を向けた。
「お前が話してくれないと、助けられない」
しかめ面のその瞳の奥に、色々な感情が動いている気がした。
「誰の助けもいらないわ」
私の助けになるのは、ただ一人。本当の私を知っている、妹だけ。
天城の手を掴み、私の腕から引きはがした。
「婚約者のフリをする必要はないのよ。そろそろ、自分の人生を歩んだらどうかしら」
そう言い、体育館の扉を開けた。
「もう歩んでいる」
私の背中に向かって天城がそう呟いていたことなど、全く気づいていなかった。