別れの曲
 その内、一番いい結論が出せたら。
 佳乃のその言葉が、背中を押してくれたのかは分からないけれど。
 授業中、昼食中、そして帰路――ぐるぐると考えている内、気持ちは意外にも前を向き始めていた。

『大事なのは、心の在り方さ』

 夢の中で言われた言葉を思い出す。
 思い立ったが吉日、というやつだ。家に帰った私は、涼子さんに「ただいま」とだけ告げると、荷物を置いて、ピアノのある部屋へと足を運んだ。

 懐かしい匂いがする。幼い頃に感じたものと、まったく同じだ。変わらない。
 幾つもある本棚には、隙間なく楽譜や資料が詰め込まれている。

 ショパン。リスト。シューベルト。ラフマニノフ。母がよく弾いていたものから、聞いたこともないマイナーなものまで、数百はあろう。
 その中で一つ、ある楽譜が目に付いた。それは、私が幼い頃に一番好きだった一曲だった。

「まさか、今になってこれを読むことになるなんて」

 数ある中から、その一冊を手に取った。
 表紙には『練習曲作品十ー三』と書かれている。ショパン作曲、日本では『別れの曲』の名で知られる名曲だ。
 私がまだうんと小さい頃、母が名誉ある舞台で弾いていた曲だ。
 私はそこで母の雄姿を見、いつかこの曲が弾けるようになれたらと、そう願っていた。

「難しそうだけど、まぁどうせ夢だし……」

 夢の中では、全て心の思うまま。
 声の言っていたことを思い返すと、いくらか気持ちは楽になった。
 一つ。大きく深呼吸をしてから、私はその表紙を捲った。
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