別れの曲
「違う、そこはもっと抑えて。今弾いてるところだけじゃなくて、先を意識するの。ここから段々と盛り上げていくんだから、今そんなに強くしたら駄目」

「は、はい!」

 抱えた生徒は多くとも、実ったのはそのごく一部。杏奈さんに関するそんな話を、私は母から聞いたことがあった。
 見た目の麗しさ、普段の優しさとは真逆のスパルタぶりに着いて行けず、挫折にも似た思いで去って行った生徒が、どうやら多いらしいという話だ。
 なるほどこれでは、辞めてしまうのは無理もない。
 何でもない会話をしている時とは違う、低く冷静で、時に怒号のような指摘の数々は、人によっては叱責やそれ以上の圧に感じることもあるだろう。

(でも……それはきっと、この本質が分かってないから。厳しいけど、ただ厳しいだけだ)

 理不尽なことを言っている訳でも、まして相手の心を折ってやろうと思っている訳でもない。
 弾き方、魅せ方、感じ方――杏奈さんは、それをただ教えてくれているだけなんだ。
 楽譜が読めるようになって、クラシックという先の見えない海へと飛び込んだ私は、もう他の生徒たちと同じ舞台に立っている。元がどうあれ、甘やかされることなどありえない。

 当然だ。私は、それだけ無謀とも取れる挑戦をしようとしているのだから。

 同じ曲でも、その姿は千差万別。それがクラシックだ。同じようなペダルの踏み方、長さ、強弱の付け方に思えても、全体を通してみた時、その姿はそれぞれで全く異なる。
 人により曲の感じ方は違うし、こう魅せたい、こう弾きたいという理想も違う。
 レッスンは、このまま真似ろ、こうやって演奏しろ、と指示強要する場ではない。その曲の解釈、先生による弾き方を、一つのアドバイスとして教える場だ。
 ある程度のレールは敷いてくれるけれど、その先、どこへ行き着くかを決めるのは、奏者それぞれ。コンクールに挑もうとするような奏者に求められるのは、師と仰ぐ者からの、私で言えば杏奈さんからの教えを受けて、それをどう昇華し、自身の音へと作り替えていくか。

 ただ真似るだけに留まる奏者なんて、どの舞台であっても成功出来るはずはない。
 楽譜に書かれた音符や符号のことで指摘を受けている内は、まだまだその領域に踏み込めてすらいないということ。入り口にすら立てていない。
 杏奈さんの厳しさは、音楽に、そして自身の表現に、それだけストイックであり、それと同じだけの熱量で私へと力を注いでいるからだ。

「違う、また間違えてる。もう一回」

「はい!」

 何度も何度も同じところで間違える私は、杏奈さんからみれば、習いたての子どもに映っていることだろう。
 それでも、退かないどころかヒートアップしていくのは、我ながら唯一褒められる姿勢だ。こうと決めたことはとことん突き詰める、私の性分だ。
 杏奈さんは今、どんな顔で私のことを見てくれているだろうか。指先から意識を離せないから、窺うことは出来ない。けれど、

「はいもう一回、集中!」

「はい…!」

 鋭い言葉にも、どことなく優しさが感じられる。
 杏奈さんがそんなだから、私もめげることなく伸び伸びと弾き直すことが出来てるんだ。
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