別れの曲
「敢えて『心臓』って言おうかな。はっきりと身体が形成される以前のことだから、どの部位がとは分からない上に、こうして自我もあるからね。それが、陽和の身体と一緒になってるんだよ」
「い、一緒に……?」
「うん。君も知っての通り、僕は母胎内で途絶えている。それが、ある時ふと消えてしまうようなことがあるんだ」
「胎児が消えて……それって、バニシングツインってやつ?」
一さんや母の話を聞いた後で、色々と調べている内に知ったものの一つに、そんな言葉があった。
胎内で別れた双子の内片方が亡くなった時、まるで消えてしまうかのように、子宮からいなくなる現象だ。
でも、それは子宮へと吸収されることを指すはず。
どうやらその言葉そのものとは違うようで、陽向も、その通りと言いながら「でも」と続けた。
「それに近い、というだけだ。子宮ではなく、君に吸収される形になってるわけだからね」
「吸収って……そんなことあり得るの? 一度ははっきりと分かれてるんでしょ?」
「いや、そもそもこれはバニシングツインではないからね。言ったろう、はっきりと身体が形成される以前のことだって」
「言ったけど――えっ、つまりそれよりも前ってこと?」
「多分、だけどね。本来持つ筈だったものの一部が君の中に残されたままで、分離したんだと思う。理屈も答えも分からないけどね。でも、そうとしか思えないんだ。事実、僕は僕で、君とは違う自我を、意識を以ってここにいるからね」
胸を撫でる手に力を籠める陽向。真っ白なシャツが、くしゃりと歪んだ。
「時間の問題だろう、なんて思ったのかな。分からないけど、あの時既に、病は母さんの身体を蝕み始めていた。知らない間に、元々弱っていたんだ」
「そ、そんなことって……」
「弱り始めた身体では、あまり物も食べられなくなる。事実、母さんはほんの僅かずつではあったけれど、食欲が落ちていたみたいだからね。それは陽和も知っている通りだ」
確かに、そんな話も一さんから聞いていた。
「僕と陽和のどちらか、あるいは両方に栄養がいかなくなったって、何ら不思議じゃない。だから、だろうね。生命として本能的に、君の命を優先したんだろう」
「ゆ、優先って……どうして?」
「決まってるさ」
胸元から手を離し、私に向き直ると、
「まだお腹の中に在る時からずっと、母さんの聴く、そして弾くピアノの音色が、潜在的に大好きだったんだよ」
躊躇うことも、含みを持たせることもなく、柔和な笑みで以って堂々と言い放った。
呆気に取られて、私は言葉を失った。物心どころか、心さえもまだ芽生えていないであろう時から、そんなことを……いや、仮に本能がそう思っていたとして、それをどうして陽向が説明出来よう。
「双子、だからかな。根拠なんてないさ。ただ、そう思うってだけ」
「そんなこと……」
陽向は続ける。
「幼少の頃の君の音色は、とても美しく、楽しさと自信に溢れたものだった。けれど、あの日以降、心を閉ざして、嫌いだ嫌だと言い聞かせて避けて来た。それでも――」
ピアノの前に立つと、陽向は優しく鍵盤に触れた。
そうして撫でながら、慈しむような口調で、安心したような表情で。
「こんなに素敵なものまで創り出して、あれだけ素敵な音をまた奏でてみせた。君の音は、まだ死んじゃいない。あの日まで持っていた情熱も、愛も、母さんへの憧れすらも、君は片時だって手放したことはなかった。昔と変わらない思いを、確かに持ち続けていたんだよ。君に託して、正解だったんだ」
陽向の言葉に、私は胸が熱くなった。しかしそれと同時に、一つ気になる言葉も出て来た。
「創った……? え、このピアノこと? 誰が?」
陽向は、何のこともないように言う。
「ん? 陽和に決まってるでしょう?」
「えっ? いや、だって」
「言ったでしょう、僕と君とは双子で、僕の半身は君の中にあるんだ。この世界は僕だけでなく、二人で創り出したものなんだよ」
「二人で……?」
「うん、二人で。前に伝えた、ここに来る方法。『君が望めば』って言ったでしょ? きっと、君も心のどこかで、憧れの姿になることを望んでいたんだろう」
「わ、私が……」
「嫌いになろうとしても、離れようとしても、完全には無理だった。心が、本能が、ここに来られることを望んでいたんだから。もう十二分におかしな現実を見て来たんだ。『私が創り出したんだどうだえっへん!』くらい言ってもらわないと」
「そんなの無理だって…! たった今知った事実なんだし……」
「あはは! うん、そうだろうね」
こちらはやや憤慨しているようなものなのに、陽向は誤魔化す素振りもなく笑う。しばらくはそれを見て頬を膨らませていた私も、最後には釣られて笑い出してしまった。
そうしてどちらともなく笑い止んだところで、私は「ねぇ」と切り出した。
「また、ここで弾かせて貰っても良いかな? 知ってるとは思うけど、コンペに出るからさ。付き合ってよ、その練習に。ううん、その先も、ずっとずっとさ」
それは、何のことはない言葉だった。
この先何年、何十年経とうと、同じ命を生きている限り、その最期の時が来るまではずっと一緒だろう。私はそう思っていた。
何のことはない言葉。そのはずだった。けれども陽向は、
「そうだね。弾こう、一緒に」
小さく微笑んだ後で、
「ずっと一緒にいられたら、とてもいいだろうね」
ほんの僅か、困ったように笑った。
「それ、って――」
思わず声を上げる。
しかし瞬間、世界は無情にも暗転した。
「い、一緒に……?」
「うん。君も知っての通り、僕は母胎内で途絶えている。それが、ある時ふと消えてしまうようなことがあるんだ」
「胎児が消えて……それって、バニシングツインってやつ?」
一さんや母の話を聞いた後で、色々と調べている内に知ったものの一つに、そんな言葉があった。
胎内で別れた双子の内片方が亡くなった時、まるで消えてしまうかのように、子宮からいなくなる現象だ。
でも、それは子宮へと吸収されることを指すはず。
どうやらその言葉そのものとは違うようで、陽向も、その通りと言いながら「でも」と続けた。
「それに近い、というだけだ。子宮ではなく、君に吸収される形になってるわけだからね」
「吸収って……そんなことあり得るの? 一度ははっきりと分かれてるんでしょ?」
「いや、そもそもこれはバニシングツインではないからね。言ったろう、はっきりと身体が形成される以前のことだって」
「言ったけど――えっ、つまりそれよりも前ってこと?」
「多分、だけどね。本来持つ筈だったものの一部が君の中に残されたままで、分離したんだと思う。理屈も答えも分からないけどね。でも、そうとしか思えないんだ。事実、僕は僕で、君とは違う自我を、意識を以ってここにいるからね」
胸を撫でる手に力を籠める陽向。真っ白なシャツが、くしゃりと歪んだ。
「時間の問題だろう、なんて思ったのかな。分からないけど、あの時既に、病は母さんの身体を蝕み始めていた。知らない間に、元々弱っていたんだ」
「そ、そんなことって……」
「弱り始めた身体では、あまり物も食べられなくなる。事実、母さんはほんの僅かずつではあったけれど、食欲が落ちていたみたいだからね。それは陽和も知っている通りだ」
確かに、そんな話も一さんから聞いていた。
「僕と陽和のどちらか、あるいは両方に栄養がいかなくなったって、何ら不思議じゃない。だから、だろうね。生命として本能的に、君の命を優先したんだろう」
「ゆ、優先って……どうして?」
「決まってるさ」
胸元から手を離し、私に向き直ると、
「まだお腹の中に在る時からずっと、母さんの聴く、そして弾くピアノの音色が、潜在的に大好きだったんだよ」
躊躇うことも、含みを持たせることもなく、柔和な笑みで以って堂々と言い放った。
呆気に取られて、私は言葉を失った。物心どころか、心さえもまだ芽生えていないであろう時から、そんなことを……いや、仮に本能がそう思っていたとして、それをどうして陽向が説明出来よう。
「双子、だからかな。根拠なんてないさ。ただ、そう思うってだけ」
「そんなこと……」
陽向は続ける。
「幼少の頃の君の音色は、とても美しく、楽しさと自信に溢れたものだった。けれど、あの日以降、心を閉ざして、嫌いだ嫌だと言い聞かせて避けて来た。それでも――」
ピアノの前に立つと、陽向は優しく鍵盤に触れた。
そうして撫でながら、慈しむような口調で、安心したような表情で。
「こんなに素敵なものまで創り出して、あれだけ素敵な音をまた奏でてみせた。君の音は、まだ死んじゃいない。あの日まで持っていた情熱も、愛も、母さんへの憧れすらも、君は片時だって手放したことはなかった。昔と変わらない思いを、確かに持ち続けていたんだよ。君に託して、正解だったんだ」
陽向の言葉に、私は胸が熱くなった。しかしそれと同時に、一つ気になる言葉も出て来た。
「創った……? え、このピアノこと? 誰が?」
陽向は、何のこともないように言う。
「ん? 陽和に決まってるでしょう?」
「えっ? いや、だって」
「言ったでしょう、僕と君とは双子で、僕の半身は君の中にあるんだ。この世界は僕だけでなく、二人で創り出したものなんだよ」
「二人で……?」
「うん、二人で。前に伝えた、ここに来る方法。『君が望めば』って言ったでしょ? きっと、君も心のどこかで、憧れの姿になることを望んでいたんだろう」
「わ、私が……」
「嫌いになろうとしても、離れようとしても、完全には無理だった。心が、本能が、ここに来られることを望んでいたんだから。もう十二分におかしな現実を見て来たんだ。『私が創り出したんだどうだえっへん!』くらい言ってもらわないと」
「そんなの無理だって…! たった今知った事実なんだし……」
「あはは! うん、そうだろうね」
こちらはやや憤慨しているようなものなのに、陽向は誤魔化す素振りもなく笑う。しばらくはそれを見て頬を膨らませていた私も、最後には釣られて笑い出してしまった。
そうしてどちらともなく笑い止んだところで、私は「ねぇ」と切り出した。
「また、ここで弾かせて貰っても良いかな? 知ってるとは思うけど、コンペに出るからさ。付き合ってよ、その練習に。ううん、その先も、ずっとずっとさ」
それは、何のことはない言葉だった。
この先何年、何十年経とうと、同じ命を生きている限り、その最期の時が来るまではずっと一緒だろう。私はそう思っていた。
何のことはない言葉。そのはずだった。けれども陽向は、
「そうだね。弾こう、一緒に」
小さく微笑んだ後で、
「ずっと一緒にいられたら、とてもいいだろうね」
ほんの僅か、困ったように笑った。
「それ、って――」
思わず声を上げる。
しかし瞬間、世界は無情にも暗転した。