別れの曲
 翌日私は、休む旨の連絡も入れていた学校に、いつも通り登校していた。
 高校一年、最後の登校日だった。
 下駄箱で佳乃と鉢合わせたけれど、挨拶一つだけ交わすと、私はそのまま流されるように教室へ向かった。
 元気のない私の様子を心配した担任の先生にも声を掛けられたけれど、ただ一言「大丈夫です」とだけ返した。
 何かあれば相談に乗るからな。自分一人で抱え込むなよ。そんなことを言っていた気もするけれど、いまいち覚えていない。

 学校が終わると、私は病院へと足を運んだ。
 昨夜と変わらない寝顔に、寂しさとともに安心感も得た。
 医師の言っていた通りに横ばいで、今すぐにでも逝ってしまうようなことはないのだろうと思えば、幾らか気は楽になったからだ。
 布団から覗く手を取り、少し力を入れて握る。
 ちょっとくらい、反射的な動きもあるだろうかと期待したけれど、母の方から握り返されるようなことはなかった。
 言い知れない不安と虚しさを覚えながらも、私は涙を呑んで、努めて明るく語り掛けた。

「そう言えば、お母さんには言って無かったけどさ、期末ボロボロだったんだよね。まあ、当然と言えば当然だけどさ。ピアノばっかりに付きっ切りだったから。あでも、ちゃんと二年生には上がれるよ? それまでは必至に頑張ってたし、悪かったのはテストだけで、成績の方はまぁそこそこだったからさ」

 話し始めると、あれもこれもと思い出す。

「そうそう、担任知ってるでしょ? 一年の初めにあった三者面談に来てくれたじゃん、あの時の先生。結婚するんだってさ。めでたいことだよね。桜が満開な中で式を挙げるんだって言ってた。何だかロマンチックだよね」

 思えば、これまでは――

「佳乃とさ、『二年でも同じクラスになれたらいいね』って話してたら、相変わらず仲良いねって隣から話しかけられてね、一年の最後にして新しく話せる子も出来たんだよ」

 母には、学校や自分のことについて、あまり話したことはなかった。

「二年生かぁ。そろそろ進路も固めていかないとだよね。ちゃんと、将来のことも考えないと」

 相談事の大半は、煮詰まって煮詰まって、自分一人では踏ん切りがつかなくなってから、涼子さんに話すことが大半だった。

「あ、そうそう。佳乃にね、作家になりたいって夢がバレちゃってさ。お母さんにも言ってなかったよね、確か。あれ? 私って、子どもの頃とか『何になりたい』みたいなこと、言ったことあったっけ?」

 ただ語るばかりでなく、語り掛けてしまったから。

「…………うん」

 言葉一つ、身動ぎ一つない母のことを、改めて強く意識してしまった。
 ふと離してしまった母の手が、だらんとぶら下がる。
 慌てて取り直して、布団の中へと入れて、そうして少し表情を窺って。
 重い腰を上げて、荷物を纏める。

「明日も来るから、今日はゆっくり休んで。その時、いっぱい話そうね、お母さん」

 一歩、病室から出たところで、振り返る。
 窓を閉めるその間、じっと見つめてみても、母はやっぱり何も言わないで、身体も動きはしない。

 ただ無機質に聞こえるモニターの音と、触れた手の温かさだけが、母がまだ生きているのだと思わせてくれた。
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