別れの曲
「夢……夢、かぁ。陽和ちゃんは、その夢を見てどう感じた?」

「え、どうって?」

「感動した、素敵だった、綺麗だった、好きになった。反対に、気持ちが悪くなった、不快だった、嫌いになった」

「うーん」

 少し考えてみるけれど、答えは一つしか浮かばなかった。

「私……とても、心地が良かったんだ」

「心地良い、ね。具体的には?」

「ずっとこの場所にいたい、みたいな。うーん、どう言ったら良いんだろ。ここにいるような安心感って言うのかな」

「ここって、自宅のこと?」

「うん。身を委ねても、何も悪いことは起こらないだろうって、そう思える感じ。あ、お母さんとか涼子さんと一緒にいる時みたいな感覚だ」

「へぇ、安心感、か」

 頷き、応えながら、涼子さんは切り終えた野菜をさらに添えていく。後からドレッシングをかけるだけの、簡単なサラダだ。

「そろそろ火、止めてもいいかな。あと、悪いけどお茶碗とかも出してくれるかしら?」

「うん。今日は涼子さんも食べていくよね?」

「ええ、有難いことにね」

 家族同然の涼子さんは、その場で食事を摂ってから帰ることが大半だ。
 随分と昔に旦那さんとは死別しており、お子さんもいないから、どこでどんな時間を過ごそうとも誰に迷惑をかけるわけでもない、と話していたことを覚えている。

「夢、ねえ。また視たいって思った?」

「そりゃあ、視られるならね。でも、テレビとかネットでよく聞く『視たい夢が視られる方法』って、あれ全部嘘だから。そう簡単にはいかないかも」

「あら、試したことがあるの?」

「ちっちゃい頃にね。お母さんにお菓子の家をプレゼントして貰ったんだけど、食べるどころか、その家の中に入ることも出来ない内に目が覚めちゃったんだよ」

「あらあら、それはぜひとも視てみたい夢ね」

「でしょ! まぁ、だから叶わなかったんだけどね。あーあ、どうせならそれも一緒にもう一回視たいなぁ」

「贅沢ばかり言ってると、幸せが逃げちゃうわよ?」

「口にすることで呼び込むタイプってことで」

 願望野望は口にしてなんぼ。そんなことを言っていた偉人がいたような気がする。
 そんなことを話している内、二人分の料理がテーブルに並び揃った。
 いざいただきます、という手前で、私は涼子さんに言っておかなければならないことを思い出し、制止した。

「どうしたの?」

「いつもはお母さんが対処してくれてたけど、今はいないからさ。きっと、沢山迷惑かけると思う」

「迷惑って、ナルコレプシーのこと?」

 私は頷いた。

「そうそう大きな発作は起こらないと思うけど、ゼロとは言い切れないし、いつ出るかも分からないからさ。学校の行き帰りは佳乃の助けもあるから大丈夫だけど、家ではそうもいかないでしょ? でも安心して。何か起こっても、別にどうなるって訳でもないから、何か適当な毛布でもかけて、そのままほったらかしておいてくれたら良いから。救急車とか呼んだって意味がないし。お願い」

 佳乃には、万一発作が起こって急に意識を失うようなことがあれば、迷わず救急車を呼ぶよう伝えてある。路上では誰かしらの迷惑になるからだ。
 けれど、家には涼子さん一人。それも、ナルコレプシーだと知っている人だ。
 家なら基本的に危険はない。タンスや机、椅子など、家具は丸みのあるデザインに統一してあるし、どうにもならない角の殆どには、柔らかい緩衝材を取り付けてある。階段で最悪の事態になってはいけないからと、私の自室も一階だ。
 これから先、まだどのくらい涼子さんの世話になるか分からないけれど、これまでだけでも散々世話になって来た。迷惑だって沢山かけて来たことだろう。
 これから迷惑をかけると前置いたのは、それはこれ以上無駄に迷惑をかけない為だ。ほったらかしにしておいてもらうくらいで、丁度いい。

「出血してるとか骨が折れてるとか、そんな風に何か目立った事がない限り、特に何もしなくて良いからね」

「もう、そんなこと出来ると思ってるの? 陽和ちゃん一人くらい、いざとなれば抱えて運んであげるわよ」

「うん、出来ると思う。涼子さん力持ちだし。でも、それで腰とかやっちゃったら大変でしょ? それに私、どこで寝たって風邪とかひかない体質だから」

「本気で言っているの?」

「冗談言ってるようには見えないでしょ?」

「それはそうだけれど……」

 納得いかない、といった面持ちではある。

「家事全般以上のことで、涼子さんにはお世話になりっぱなしだから。これ以上、迷惑をかけたくないの」

 そう言うと涼子さんは「分かったわ」と答えておきながら、間違ってることもあると続けて私に向き直った。

「陽和ちゃんの祖父母さんからの恩もある。それは確か。でも、だからって私は『仕事だから』というだけで来ている訳ではないのよ。美那子さんも陽和ちゃんも、私はとても大切に思っているわ。だからこうして、毎日来ているの。仕事だからじゃない。大好きだからよ。お給金を頂かなくたっていいくらいよ? 毎日笑って、楽しく過ごすことが出来て、私はとても幸せだわ」

「いや、それは流石に……」

「本当よ? でも、だからこそ放っておくことなんて出来ない。家族がいないからこそ、家族同然に大切なんだもの。任されているからとか、仕事だからとか、そんなんじゃないのよ」

「……涼子さん、お人好しって言われない?」

「あなたのおばあちゃんによく言われたわ。でもそれがなあに? 私はそれでいいと思って生きてるもの」

 あまりに屈託なく言うものだから、私はもう何も言い返す気にはなれなかった。

「分かった。ごめんなさい。うーん……じゃあ、壁に背中を立てかけておくくらいで。やっぱり、踏み放題の絨毯にはなりたくないな」

「それで良いの。うんとお任せなさいな」

 横たえて放置したまま、というよりかは、気分も幾らかマシな筈だ。涼子さんも、それで了解してくれた。
 それからはまた、夕飯を食べながら何でもない会話をして、有名なバラエティー番組を観て楽しんで、お風呂に入って、自室に戻る辺りまでは覚えていて――
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