このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
「うう、眠い。もう歳なんだから無茶はできないわね」

 職員寮でお風呂に入ってから仮眠した後、まだふわふわとする頭のまま準備室に向かった。

 廊下にはいつもと違う気配がする。どうしてだろうと思っていると、なんと、部屋の前にノエルが立っているのを見つけた。

 朝っぱらだというのに彼からは妖艶な空気が放たれていて、一気に目が覚めた。

 彼の方から、しかも朝イチで訪ねてくるだなんてどういう風の吹き回しなのかしら。

「ノエル、おは――ひぇっ」

 振り向く彼はすごく怖い顔をしている。美人が怒ると怖いというように、怒っているノエルは気迫が割増されていて、縮み上がってしまう。

「……昨日は寝ていなかったとジルから聞いたけど、大丈夫?」
「あり、がとう。ちょっと眠ったから大丈夫よ」

 意外にも心配してくれているようだ。それならこの鬼の形相はなんなのかしら。
 感情は笑顔で隠してしまう人なのに珍しい。こんなにもありありと怒りを露にするのはゲーム終盤の最終決戦の時くらいなはず。

「なぜ騎士団長と買い物に行ったのか説明してくれないか?」

 ああ、そのことか。
 どうやら苦言を言いに来たらしい。それとも、王室側の人間と会っていたから密告してると疑ってるのかな。

「偶然会っただけよ。荷物を運ぶのを手伝ってもらったの」
「僕という婚約者がいるのに彼と一緒にいるのはどうかと思うけど」

 私の考えが甘かったのは認める。婚約して間もないのにカスタニエさんといたのは、やっぱりよくないよね。

「ごめんなさい。カスタニエさんの善意を無下にできなかったの。次から気をつけるわ」
「これからは僕がいない時は学園の外に出ないでくれ」

 あなたがいない時って、あなたは毎日いるわけではないのにどうしろというのよ。
 あまりにも無茶な要求をされると、さすがにムカッとしてしまう。

 ノエルがいなかったら私はなにがあっても一歩も外に出られないってこと?
 あなたの言っていることを世間ではなんと言うか知ってるかい?
 束縛って言うのよ?

 私とノエルのことだから甘さの欠片もないし、微塵もときめかない束縛なんだけど。
 これを二つ返事で了承したらのちのちも注文をつけられそうな気がする。

 初めが大事って、今世のお母様が言ってたもの。

「それは約束できないわ。私はあなたの婚約者であってモノではないんだからね!」

 ノエルは一瞬だけぎょっとした表情になる。

「っだからといって何度も僕以外の人と出かけられても困るんだけど?」
「言っておくけど、本当はあなたと出かけたかったんだからね。私が他の人といるのが嫌なら誘いを断らないで欲しいわ!」

 ぎゃふんと言わせてもらったけど、こんなこと言ってもノエルには効果ナシ、でしょうね。

「嫌、か。僕がそう思ったと?」

 ほらね、「俺がそんなこと思うわけねーだろ」って顔してる。ノエルは育ちがいいから俺とか言わないけど。こんな口の悪い言葉は使わないだろうけど。

  わかっていたのに、彼の口からその言葉が出てくると胸の奥にドロドロとした気持ちが渦巻いてしまって苦しい。

「自分の胸に手を当てて聞いてみたらいいじゃない!」

 言ってから、しまったと思った。
 彼を懐柔しようとしているのに、これでは突き放してしまう。

 それでも、このまま上手く取り繕える気がしなかった。

 きっと睡眠不足のせいだ。
 自分でもわかるくらい苛立った言葉を口にしてしまっている。これ以上エスカレートしてしまう前に彼から離れようと思った。

 幸いにも準備室の目の前だということもあって、そのまま部屋の中に逃げ込んだ。

 大人げない行動だとは、自覚している。
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