このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
「ご主人様、助けに来てくれてありがとうございました」

 ノエルに抱っこされてるジルは、大きな目からぽろぽろと涙をこぼしている。

「ジルが早く教えてくれたおかげで間に合ったよ。ありがとう」

 彼を労うノエルの表情は、とても優しかった。

   ◇

 どうにかガルデニア採集を終えて学校に戻ると、もうお昼過ぎだ。
 生徒たちには昼休憩をとるように言って、職員寮でシャワーを浴びることにした。

「ふう、疲れた」

 着替えてから準備室で一息つく。午後の授業までちょっと休憩しよう。
 そう思っていたのに、ジルがわあわあと騒ぎ始める。

「やい、小娘。ご主人様が来るからシャキッとしろ!」
「え? ノエルが来るの?」

 彼と話すのはまだ気が重いし、疲れた体はいうことを聞いてくれない。だらりと机に伏せたままでいると、扉を叩く音がした。

 本当に、ノエルが来たんだろうか。

「……どうぞ」

 心の準備はできていないけど、いつまでたってもこのままではいけないから、意を決して返事した。
 私は彼の闇堕ちを防がなきゃいけないんだし、なによりも、いい歳の大人なんだからさっさと謝らないと拗らせそうだ。

 部屋に入ってきた彼は、隣の椅子に腰かけてきて、頬杖をついて覗き込んでくる。

「レティシア、今日はもう授業を中止してもいいんじゃないか?」

 これまで以上に近い距離で彼の顔を見た。
 長い睫毛は頬に影を落としていて、紫水晶のような目は曇りなく綺麗だ。
 頬杖をついていてちょっと顔が歪んでるのに、それでも美貌を損なわないのが羨ましい。

「少し休んだら動けるわ」
「あなたは、生徒のために無理をし過ぎだ」

 なによう。仲直りしようと思ってるのにお説教してくるなんて。

「生徒たちには、良い学校生活を送って欲しいの。そのためにできることをしたいのよ」

 前世でも今でも、教師としての私の願いは変わらない。
 一生に一度の学校生活を、悔いなく楽しんで欲しい。そして、ここを出てからも幸せになって欲しい。

 せっかく巡り合った、大切な生徒たちだもの。

「……」

 ノエルは、嗤ったり否定したりはしなくて、ただじっと聞いてくれた。

「デート、行こう」

 そのはずなのに、唐突にデートを切り出してくる。

「で、え、え?!」
「婚約者さんを息抜きさせないといけない気がする」

 あんなに気まずい雰囲気になっていたのに私のことを心配してくれていたとは驚きだ。黒幕のノエルなのに。まだ黒幕にはなってはいないけど。

「君は迎えに来てくれると言ったよね。寝てたら起こしてくれるの?」

 無自覚なのか自覚しているのかわからないが、首を傾げながらそう言ってくる様子は本当に真昼に見るべきモノではなくて、あなたは私をどうしたいんだと言いたくなるのを我慢する。

「い、いいわよ。寝室の扉をブチ開けようじゃないの」
「君なら本当にそうするだろうから遠慮するよ」
「なんなのよ、冗談だったの?」
「婚約者が家を壊しただなんて外聞がよくないから、もう少し大人しくさせてからにしようと思ってね」
「なっ……!」

 大人しくさせるとは何?
 言い返したいのにいい言葉が浮かんでこなかった。
 ちくしょう、覚えてなさい。いつかぎゃふんと言わせてやる。

「で、どこに行きたい?」

 うーん、どこにしよう。
 いきなり言われてもパッとは出てこない。

 そう言えば、もうそろそろ鬼畜メガネことセザール・クララックとのイベントが始まるわよね。
 この週末は生徒たちは外出許可が下りる日のはず。
 サラが街に出かけたときにアロイスを誘うもイザベラに邪魔されて三人で行くことになったんだけど、途中ではぐれてナンパに遭った時に助けてくれるのがセザール。

 そのイベント、見届けないといけないわね。

「ぜひ、街にいきましょう! 私が案内するわ!」
「案内してもらわなくても僕は知ってるんだけど」

 たしかに、ノエルもここの卒業生だもんね。私が入学する年に卒業したから被ってはないけど。
それにしても。

「そんなに面白いのかしら?」

 クスクスと笑ってばかりなのは失礼じゃない?

 でもまあ、また一つ前進したってことでいいのよね。
 こんなに無邪気に笑うノエルを、今まで一度も見たことないんですもの。

 ちょっとは私のことを信用してくれたって、思ってもいいよね?
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