【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 結局私はどうなったかというと、ノエルに運ばれてしまった。

 降りようと藻掻くとノエルが「願い事、覚えてるよね?」と言って笑顔に圧を込めてくるからなす術もなく。
 使用人たちの生温かい眼差しに見守られつつ、平然としているお義父様とお義母様の背を見つめて助けを求めながら、食堂まで運ばれた。

   ◇

 夕食を終えるとノエルはお義父様と領地運営のことで話があるらしく、二人で執務室に行ってしまった。
 かくして私はお義母様と食後のティータイムを楽しむことになる。

「こうやってレティシアさんとお茶するのも久しぶりね。ずいぶんとノエルに邪魔をされてしまって招待できなかったもの……あなたたち、部屋を出てくれる?」

 お義母様は使用人たちを一人残らず部屋の外に出すと、長椅子が向かい合わせで二つあるのにも関わらず、私の隣にドスンと座る。

「レティシアさん、ノエルとなにかあったの?」
「へっ?!」
「あら、やっぱりなにかあったようね。あなたたち、本物の恋人らしく見えてきたんですもの」

 お義母様の言葉の意味を理解した瞬間、背筋が凍った。
 つまり、いままではお義母様の目を欺けていなかったらしい。
 
 だけど恋人っぽく見えたということは、恐らく私の変化に気づいたんだと思う。どの変化に勘づいてしまったのか、思い当たることが多すぎて冷や汗をかいてしまうけど。

 ノエルに前世を打ち明けた安心感かしら、それとも私がノエルへの恋心を自覚してしまった事かしら……お義母様がなにに勘づいたのか、知りたいけど恐ろしくて知りたくない。
 だけど扇子で口元を隠すお義母様の鋭い眼差しからは逃げられなさそうだ。
 社交界の熾烈な戦いを潜り抜けて頂点に立ち続けている侯爵夫人の、目には見えない力を感じ取ってしまう。

「ノエルは本当にレティシアさんにご執心のようね。初めてレティシアさんを連れてきた時とは比べ物にならないくらいだわ。これまでに噂は耳にしていたけど、実際に妬いている姿を見るのは初めてで、正直驚いたのよね」
「噂?」
「男はベルクール嬢に近づくとみな、ファビウス卿の嫉妬の炎で焼かれる、ってね。いまじゃ社交界ではだれもが知っているわよ。デビュタントしたばかりの子たちだってね」
「ひえっ」

 ナニソレ初耳なんですけどー?!

 確かにノエルが怒ったら一瞬で炎が燃え上がるけど、ノエルが妬くなんて、そんなこと、あるはずがない……はず。

「さっきのあの子を見た時、ちゃんと人を愛せるんだってわかって、嬉しかったわ。あの子、ちっとも浮ついた話がなかったし、どれだけ有能な情報屋に頼んでも実家を頼っても、あの子が恋をしたとか逢瀬を重ねているとか、そんな話は微塵も掴めなかったわ」
「か、過干渉すぎますわ、お義母様」

 息子の恋愛事情を探るために情報屋を動かすなんて、侯爵夫人はスケールが違う。
 あと、実家を頼るって、どういうことなのか気になる。情報屋並みに探り事が得意なんですか?
 お義母様って何者なんですか?

 お義母様の得体の知れない一面にビクビクとしているのもお構いなしに、お義母様は感慨深そうに溜息をつく。

「あの子は実の父親がとんでもない好色家だし、私たちの態度がこんな感じだから、誰かを愛することを恐れてしまっていたか、それともそんな感情を殺してしまったんじゃないかと、ずっと不安だったわ」
「……お義母様」

 ノエルのことをずっと見守り続けてきたお義母様に、なんて言葉をかけたらいいのかわからない。
 傷つくノエルを見ても手を差し伸ばせず、傷つけることしか選択肢が残されていないなんて、私じゃ耐えられないもの。
 それに長年耐えてきたお義母様の気持ちはきっと、想像を絶するほどのものだ。

「ノエルに普通の幸せを教えてくれて、ありがとう」

 お義母様は扇子をパンッと閉じると、私の手を握る。

「レティシアさん、これからはノエルと幸せになることだけに専念しなさい。あなたは、戦わなくていいのよ。私が守るから」
「え? 戦う? どういうことですか?」

 唐突に出てきた不穏な言葉に首を傾げてしまう。
 しかしお義母様は私の問いかけに答えてくれる様子はなくて。

「あー、ダメね。夕食のワインがまわってきたみたい。ノエルが来たようだし、私はもうお暇するわ」

 そう言って、そそくさと部屋を出て行ってしまった。

   ◇

 お義母様の言葉が気になったまま、翌日を迎えた。

 今日は朝からノエルに領地を案内してもらっていて、多くの人に挨拶をした。
 広大な農村地帯や賑わう街中を見せてもらい、続いて教会を訪れる。

「レティ、ここが領地で一番大きな教会だよ」

 ノエルに手を引かれて入った教会は質素ながらも綺麗で温かみのある内装で、ステンドグラスを通して降り注ぐ温かな光が心地よい空間だ。

「素敵な場所ね。穏やかな時間が流れていて、ホッとするわ」
「じゃあ、式を挙げるのはここにする?」

 身をかがめたノエルと目線の高さが同じになる。
 紫水晶のような瞳を優しく細めていて、見つめられると胸が軋んだ。

「結婚式はまだ先かと思っていたけど、たぶんあっという間に当日になるだろうね。楽しみだよ。レティも同じ気持ちだと嬉しいな」
「えっと、それは……」 

 私も、すごく楽しみ。だけどその気持ちが、私とノエルとでは違う種類のものだったらどうしようかと思うと、答えるのを臆してしまう。
 そんな私を見て、ノエルは眉尻を下げた。

「黒幕の妻になるのは嫌?」

 耳元でそっと囁くノエルの声は寂しそうで、慌てて首を横に振る。

「ち、違うの。ノエルの妻になれるのは、嬉しいと思っているわ」

 咄嗟のことで口走ってしまった言葉に、遅れて頬が熱くなる。
 気づくとノエルは妖しく微笑んでいて、その瞳に絡めとられるように見つめられると、思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。

「どうして、嬉しいと思ってくれる?」
「そ、それは……どうしてだと思う?」

 答えに困って、ノエルの真似事みたいなことをしてしまった。
 どうしよう。ノエルがどんなふうに思っているのか、聞くのが怖い。

 思わず目を逸らしそうになると、ノエルに両手を包まれた。
 見上げると紫色の瞳がきらきらと輝いていて。

 それがすごく美しくて、見惚れてしまう。 


「僕のことを愛してくれているから――というのは、勘違いかな?」


 勘違いなんかじゃない。
 そう言いたいのに、言葉が上手く出てこない。

「レティ、あなたの気持ちをずっと待っていたんだ。僕のことを恋愛対象として見ていないのなら、この気持ちを伝えても逃げられてしまうと思って、我慢し続けていた」

 でも、とノエルは付け加えた。

「馬車の中でレティの気持ちを聞いたら、もう我慢なんてできなかった。良い頃合なのかもしれないと思って決意したよ。だから、聞いて欲しい」
「馬車の中?」

 なにも思い出せない私の心の内を察したノエルが、くすりと笑った。

「寝言だよ。嬉しい寝言を聞かせてもらったんだ」
「っ?!」
「レティ、逃げずに聞いて?」

 焦る私の背中を、ノエルが優しく撫でた。
 期待と、微かに残る不安に支配されて苦しむ体は息をするのも忘れて。

 ノエルの声を、気持ちを、眼差しで求めた。



「レティのことを、愛してる」



 低く穏やかな声で紡がれた言葉は私が求めていたもので。
 それがたまらなく嬉しくて、視界が滲んだ。
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