【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 今日の放課後にはノエルから夢の事についてなにか聞かれるだろう。
 そう身構えていたのに、準備室に向かうと扉の前にノエルが立っていた。

「ノエ、ル? どうしてここにいるの?!」

 本来ならばいまごろ魔術省舎に向かっているはずで、現にノエルは紫紺のローブを身に纏っているから出勤するはずだったようだけど。
 それなのになんで、オリア魔法学園にいるのかわからない。

「レティのことが心配だったから会いに来たんだ」

 ノエルは両手で私の頬を包んで、涙を拭うように指を滑らせた。
 まだ泣いているとでも思ったんだろうか。私がいつまでも泣き続けるような性格じゃないことくらいわかっていると思うのに。

「私なら大丈夫よ。悪夢だって夢から覚めてしまったら怖くないわ」

 ウィザラバの夢だから本当は心配でたまらないけど、ノエルが始業に遅れたらいけないから嘘をつく。
 するとノエルは眉根を寄せた。

「そんなに瞬きをして言われても納得できないな」
「うぐっ」

 忘れていたけど、ノエルを騙せるなんて不可能だった。
 そして美人の怒った顔はやはり、震え上がるほど怖い。

「ううう、嘘です。ごめんなさい。だけど、いまはノエルが仕事に遅れるのが嫌なのよ。放課後に話すから、いまは仕事に行って?」
「……レティは僕の事、わかっていないな」
「え?」

 ノエルの顔をまじまじと見つめると、怒っているように見えていたその表情が、深く傷ついているようにも見えた。
 そんな表情に、ひどく胸が騒めく。

 ちがう。
 傷つけたくて言ったんじゃないのに。

 だけど、なんて言ったらいいのかわからず言葉がつっかえてしまう。

「僕はいつも、レティのことで頭がいっぱいだ。だから、もしもの事があったらと思うと不安でならないんだ」

 包み隠さず聞かせてくれる気持ちを受けとめるとこそばゆく、ただただ甘くてどうにかなってしまいそうだけど、惚けていられない。
 ノエルはまた、私に拒絶されたと思っているかもしれないから、誤解を解きたくて必死で考えを巡らせた。

 ただ単に「知ってる」とか「わかってる」と言ったところで伝わらないような気がしてもどかしい。
 けれど図々しくも私は、ノエルはすごく愛してくれているとわかっているし、私もノエルのことが大切だからこそ、ノエルの邪魔になりたくないと思っている。

 そんな気持ちをノエルにわかって欲しくて、ぐるぐると渦巻く思考に手を伸ばしてふと気づいた。

 ノエルはよく「愛してる」と言ってくれているけど、私からはあまり言っていなかったかもしれない。
 前世では気軽にそう言うような文化がなかったし、今世でも気恥ずかしくて躊躇ってしまっていたから。

 それが原因でノエルを不安にさせてしまっている以上、このままじゃダメよね。

 ノエルは人の心の機微に敏感だけど、だからと言って、伝えなければ本当の気持ちはわからないはず。
 そう、ちゃんと正面から言わないといけないわ。

 うん、この状態を打開するいい作戦を思いついたわ。
 その名も、【愛を伝えるならシンプル☆イズ☆ベスト作戦】!

 回りくどいことなんてしないで率直に伝えよう。
 バッと言ってしまった方が恥ずかしくもない、はず!

「ノエルの事、すごく愛しているのよ」
「……っレティ?」

 ノエルはすっかり虚を突かれたようで目を見開いた。しかし、次第にその目が潤むものだから、ノエルから放たれる艶やかなオーラに押されそうになってしまう。

 ここで止まってしまってはいけないと、自分を奮い立たせた。

「だから心配してくれて嬉しいし、愛してくれると言ってくれるとどうしようもなく浮かれてしまうわ。けれど、ノエルのことが大切だからこそ、ノエルの仕事の邪魔になりたくないのよ」

 するとノエルは珍しく気弱そうに眉尻を下げた。

「愛してくれるのは……大切に想ってくれるのは、第二の母上として?」
「っ違うわよ! こ、恋人として……」

 ノエルに見守られながら言うと頬がかあっと熱くなる。
 言葉は尻すぼみになってしまったけど、それでもノエルには伝わったようで。

「よかった。またレティが母上とやらになったらどうしようかと思ったよ」

 まるで頬の熱を楽しむように撫でられた後、抱きしめて頭にキスしてくれた。

「仕事、間に合うの?」

 照れ臭さを隠しつつ問いかけると、ノエルはにっこりと微笑んで懐中時計を取り出した。複雑な装飾が施されたそれは、いかにも魔術具と言った見た目だ。

「大丈夫。時間を止めたら間に合うから」

 ノエルが呪文を唱えて懐中時計のつまみを引っ張るのを見ていると、一瞬にしてノエルの姿が消えた。
 辺りを見回してもノエルの姿が見当たらない。きっと、時を止めている間に魔術省舎に向かったんだと思う。

 時を止める魔術。
 魔法が当たり前のようにあるこの世界でさえ、時を止められる人は数えるほどしかいないというのに。

 そんなものを、私に会うために使うなんて呆れてしまう。

「才能の無駄遣いよ……」

 まだ熱の残る頬を手で押さえつつ振り返ると、なんと、ニヤニヤと笑みを浮かべるドナが立っている。

「朝から見せつけるなよ」
「うっ」

 どうやら一部始終を見られていたらしい。
 見せたい気持ちなんて一ミリもなかったが、生徒に見られてしまっていただなんて、完全なる失態だ。

「黙っててやるからさ、頼み事聞いてくれねぇか?」

 そう言ってドナは金色のリボンを手に押しつけて来た。

「メガネ、俺と一緒に学園祭を見てまわろうぜ」
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