このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 ノエルとのデートは、なににも阻まれることなく当日を迎えた。
 そう、当日までは、滞りなかったんだけど。

「なんてことなの」

 朝一番に不吉なことが起こってしまい、先行きが不安になる。
 愛用の髪留めが壊れてしまったのだ。これがないと私、デフォルトの髪型になれないから誰にも認識されないんだけど。

「やい、小娘。ご主人様が待ってるんだからとっとと出るぞ!」
「そんなこと言われても、この髪型だとノエルが気づかないからなんとかしないといけないわ」

 魔法で修理しようとしていると、ジルが前足でパーンと飛ばしてしまう。
 なんてことをしてくれるんだ、君は。

「トロトロするな! 行くぞ!」
「鬼〜! 悪魔〜!」

 この小さな鬼悪魔のせいで私は髪を下ろしたまま出かけることになった。

   ◇

 ジルの言う通り、ノエルはもう待ち合わせ場所にいた。遠目から見ても、彼だとすぐにわかった。
 彼の周りだけ不自然に人が避けて歩くもんだからよく目立つのよね。

 今日の彼はシャツにチョコレート色のベストとズボンを合わせていて、いつもより気やすい雰囲気だ。
 その気やすさが、押しとどめていた色気を更に放出するもんだから、周りの視線をひとりじめしている。

「うわぁ……」

 彼と目が合った女性が中てられてくらっとするのを見てしまった。
 ノエルはさも憂鬱そうに溜息をつく。

 そんな仕草でまた周りの女の人たちを虜にしてしまうんだから、本当に罪な存在だと思う。

「おまたせ」

 どうせ気づかれないと思うんだけど、声をかけてみる。我ながら笑いたくなるほど自信のない声が出てしまった。

「レティシ、ア」

 予想に反してすぐに気づいてくれたんだけど、目が合ったとたん、ノエルは固まってしまった。
 
「髪留めが壊れちゃったのよ。やっぱり結った方がいいわよね?」

 じっと見られると、髪を下ろしているのは似合わないのかな、なんて不安になってしまう。人前で髪を下ろすのは本当に久しぶりなのもあって、落ち着かないのよね。

 どこかのお店で髪留めを買って結った方がいいのかも。

「いや、そのままでも素敵だけど」

 さらっとそう言ってくれるのは、彼が良家で育てられたからであって、たぶんいつものように結い上げるのが正解だろう。 

「じ、じゃあ、このまま行きましょうか」

 本当のことを言えば髪留めを買いに行きたいところだけど、イベントのことが気がかりだから、彼の言葉に甘えることにした。
 
「どこに行くんだ?」
「えっと、本屋かな」

 本屋が面している通りでサラはナンパ男に絡まれるはず。
 店内で待ち伏せして、その現場を見届けるつもりだ。

「デートというより買い物だな」
「あなたならどこを選ぶつもりなのよ?」
「どこだと思う?」

 出た、逆質問。
 あなた、ゲーム中でもよく逆質問してきてたわよね。

「言ってくれないとわからないわ」
「婚約者さんが僕のことをどう見ているか知りたいんだよね」

 意地の悪い顔でそう言ってくる彼は魔性という言葉が良く似合う。どんな顔をしても、この黒幕予備軍は腹が立つほど綺麗で。

「ひえっ」

 視線を巡らせれば、道行く女性たちが彼を注視していて、私たちの周りだけ空いているのもまた、落ち着かない。
 めちゃくちゃ目立ちまくっているのよね。地味モブで二十数年生きてきた私としては落ち着かない状況である。
 ノエルはずっとこんな生活を送ってるなんて、同情しちゃう。

 魔性の黒幕、ノエル・ファビウス。

 人を惹きつける容姿に紳士的な振る舞い。だけど、笑顔の下に隠した心の中では、人を疎ましく思っている。
 ゲームの中の彼は、近寄ってくる人たちに激しい嫌悪を募らせ、それを隠しながら暗躍していた。

 今、こうやって並んで歩いている間に、なにを考えているんだろ。
 聞いたところで、本当のことは教えてくれないだろうけど。


「レティシアはどんな本を読んでるの?」


 本屋に入って背表紙を目で追っていると、彼は背後にピッタリとくっついてきて見張ってくる。

「薬草図鑑とか、月刊『魔術師の薬箱』とか、ユメル氏の論文とか」
「見事に薬草関連の本だな」
「薬草は奥が深いのよ。向き合うにはそれ相応に知識を深めないとならないの」

 話しながら窓の外を見てみるけど、サラの姿はまだない。
 いつその時が来るのかと思うとソワソワしてしまう。

「恋愛よりも薬草、か」
「あら、恋愛小説だって読むわよ?」
「へぇ?」

 しまった。完全に、口を滑らせてしまった。
 眩いほどのキラキラを振り撒くノエルの笑顔を見ると、嫌な予感がする。

「最近読んだものは?」

 知ったところでどうするつもりなんだか。
 ノエルには絶対に教えないけどね。友だちにならまだしも、異性の、それも、油断ならない相手に好きな恋愛小説を教えるなんて弱みを教えるようなものよ。
 
「ノエルが読んでも面白くないわよ」
「読んでみないとわからないよ?」

 その手に乗るものか。
 ノエルを無視して本の題名を目で追っていると、外からイザベルの声が聞こえてきた。

「いい加減になさい! 女性にまとわりつくなんて見苦しくってよ!」

 まさかと思って窓から様子を窺うと、イザベルとサラがナンパ男に絡まれている。
 イザベルはサラを庇うようにずいっと前に出て男を睨みつけていて、なんだかサラを守る騎士のように見えてしまう。
 
 もしかして、イザベルがセザールのイベントを横からかっさらってしまうんじゃないかしら。

「ナンパか。追い払ってくるよ」
「まだ待ってて。近くで見守りましょう」
「見守る? あの男が何するかわからないのに?」

 確かにそうなんですけど、このまま私たちが出て行ったら間違いなくセザールのイベントが消滅してしまうもの。

「わ、私たちが出て行ったら生徒たちの助け合いの機会を奪うことになるでしょう?」

 我ながら苦しい言い訳だ。
 ノエルは眉根を寄せていて、納得していないはずなのに、提案通り、お店の影に隠れて一緒に彼女たちを見守ってくれている。

 ノエルにはああ言ったけど、イザベルの言葉を取り合おうとしないナンパ男を見ていると、このまま出て行って締め上げたくなってしまう。
 
 セザールよ、早く来い!
 でなきゃこのお節介おばさんが出動するわよ。
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