【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 その後しばらく話し合い、ノエルとルスは今回の協力について契約を結んだ。

「しばらくこの国にいるからいつでも呼ぶがいい」

 上機嫌のルスは鼻歌交じりに呪文を唱えて、目の前から消えてしまった。どうやら、空間転移の魔術を使ったらしい。

 嵐のようなルスがいなくなって部屋の中がしんとすると、ノエルは上着のポケットから懐中時計の魔術具を取り出した。

「レティ、いまから大切な話をさせてくれないか?」
「ええ、いいけど……」

 するとノエルは呪文を唱えてつまみを引いた。
 一瞬にして辺りから音が消えて、恐ろしいほど静かな世界に包まれる。 

「時を止めたから誰も来ないよ」

 だれにも聞かれてはいけない話――月の力のことかもしれない。
 真剣な眼差しのノエルに頷いて返すと、次の瞬間、ノエルは私を抱き上げてそのまま椅子に座る。

「ノエル、大切な話をするのよね?」
「うん、そうだよ」
「それなら私を膝に乗せるのはどうかと思うけど?」
「こうしている方が落ち着くから」

 ケロリと答えられてしまうと頭を抱えたくなる。
 ノエルは落ち着くそうだが、私は緊張してしまう。体が密着しているし顔は触れそうなくらい至近距離で、ちっとも話しに集中できそうにないんだけど。

「月の力のことは、ルーセル師団長から教えてもらった。幼い頃に魔力が暴走したのをきっかけにルーセル師団長から魔法の手ほどきを受けて――その時に初めて知ったよ」

 王族に受け継がれてきた力だと、それを聞いたノエルは絶望したらしい。
 ノックスの平和を守るために必要とされる稀有な力で、自分を疎んでいる王族との繋がりでもある月の力。

 それがある限り、ノックス国王に縛りつけられるのだと悟ったから。

 師団長はノエルに力のことを教えてくれたけど、実際にその力を宿したことのない師団長が使い方まで教えることはできなかった。
 だからノエルは手探りでコントロールする術を身につけて、いまもなお自在に操れるよう鍛錬しているところらしい。

「月の力は生き物を魅了する特性を持っている上に、星の力を持つ者たちを使役できるらしい」
「星の力?」
「ローランのような、夢を操る魔術師たちのことだ。彼らの特別な力は星から与えられたものとされているんだけどね、その星の力が彼らの心に働きかけて、月の力を持つ者に絶対的な忠誠を誓わせてしまう」

 ノエルは少し躊躇いつつ、言葉を続けた。

「僕の体に宿る月の力は、彼らの魂を拘束するような恐ろしいものなんだよ」

 震える声が物語っているのは、ノエルはこの力を恐れているということだ。
 自分の意思とは関係なく宿り、周りの人々を魅了していく。その上、この力のせいで疎まれ、蔑まれ、大切な人を奪われそうになっていたんだもの。
 その元凶が自分の体に宿っているだなんて知ったら、だれだって絶望すると思うわ。

「恐ろしいけれど、この力のおかげでレティにかけられている呪いの影響を受けないのには感謝している」
「どういうこと?」
「レティにかけられた呪いが僕に効かないのは、おそらく月の力の影響だろう。人間の魔力を持たない僕は、人間を惑わす呪いが通用しないのかもしれない」
「なるほどね。だからノエルとウンディーネは私が髪を下ろしても認識してくれたのかしら」

 これまで悩まされてきた現象だったけど、これのおかげでノエルの心が救えたのなら、まあいいかと思ってしまう。

「月の力を取り出すって、どうするんだろうね?」

 ノエルはぽつりと呟いた。

 抑揚のない声からノエルの絶望を感じ取ってしまい、泣きたくなる。
 ノエルはまるで最初から諦めているように見えてしまって、改めて心の傷の深さを思い知らされたから。

「ノエル、しっかりして。もうなにも奪われないように、私も頑張るから。それにいまはルスもいるのよ? 最強のメンバーが揃っているんだから諦めないで」

 これ以上、ノエルを苦しめないで欲しい。
 痛い思いも、悲しい思いも、苦しい思いもさせたくない。
 私にサラのようなチートな力があればすぐに助けられるかもしれないけど、悲しいことに何の変哲もない、正真正銘のモブだから思うようにはできなくて。

 それが悔しくてしかたがない。

 すると、ノエルは柔らかく微笑んだ。

「諦めるものか。レティを守るのに力を奪われては困る。ただ、例の魔術師が学園にいるのが不安でたまらないんだ。レティになにか仕掛けてくるような気がするからね。奴が使節団の中に紛れているといいんだけど……」

 その人物が誰なのかわからなければ、私もノエルも防ぎようがない。
 ルスの話によるとその魔術師は数年前に脱獄したようだから生徒の中には紛れていないだろう。残る可能性は――教師。

 魔術師というからまず疑うのは魔術を教える”魔法応用学”だけど、その担当はノエル本人だ。
 ギックリ腰のオーリク先生が実は……なんてことを考えてみたけど、ルスの話では学園内にいるようだし、恐らく違うはず。

「とりあえず、グーディメル先生には近づかないでくれ。以前から頻繁に王宮に通っているから不審なんだ」
「あ、それなら問題ないかも」
「どういうことだ?」
「グーディメル先生が王宮に行くのには、理由があるのよ。先生はグウェナエルの生まれ変わりで、王宮内にある神殿で女神様に祈りを捧げるために通っているから」
「……待って、レティ。それも前世のゲームとやらで知った話?」
「ええ、そうよ。グーディメル先生はゲームの終盤でノックスを守るためにノエルと戦うんだけど、その時に正体が判明するの。確かゲームでは先生が太陽の力を持っていて、それを使ってノエルと戦っていたわね」

 しかし、太陽の力ではノエルに勝てなかった。
 グーディメル先生が押され気味になってしまい、それを見たサラが先生を助けるべく光使いとしての力を発揮して、ノエルを倒す。

 いま目の前にいるノエルがグーディメル先生と対峙することはないと思うけど、その代わりにゲームでは出てこなかった気狂いした魔術師に狙われているとなると、やはりこの世界はノエルを消そうとしているのかもしれない。

 ゲームのシナリオをこの世界で再現させるために。

「ノエル、もし本当に危ない目に遭いそうになったら、外国に逃げていいんだからね? その時は私が後で追いかけるから、絶対に無事でいて」
「いいや、レティを置いてはいけない。一日たりとも離れたくないというのに、一人で外国に行くなんて耐えられない」

 ノエルは抱きしめる腕の力を強めた。
 まるでその気持ちを表すかのようで胸が軋む。

 すると前置きなく眼鏡を外されてしまった。次いで掌が頬に添えられる。
 目を閉じると吐息が顔にかかり、もう少しで触れそうになったところで、ノエルは顔を離してしまった。

「キスはすべて終えた褒美に貰おうか。その方が頑張れる」
「死亡フラグになりそうなこと言うのは止めて」
「”しぼうふらぐ”?」
「死ぬことを予兆するような言動って意味よ。小説とかで、『この戦争が終わったら結婚しよう』って言ってる登場人物はたいてい死んでいるでしょう? そういうこと!」
「なるほど、前世にはそんな言葉があったのか。不安がらせて悪かった」

 ノエルは呑気に相槌を打って私の頬を撫でる。
 狙われているのは自分だというのに、まるで他人事のように落ち着いているのだ。
 
「それじゃあ、”しぼうふらぐ”にならないように、いま貰うよ」

 そう誘ってくる声は低く穏やかで優しくて、耳に届くと心が落ち着いた。

 眼鏡をかけていないからノエルの表情はわからないけど、優しい微笑みを向けてくれているのが声でわかる。

 この声をこれからもずっと聞いていたいから。
 ノエルの無事を祈って、そっとキスした。
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