【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
   ◇

 ぱっちりと目が覚めると部屋の中が明るくて、どうやら朝が訪れたらしい。

「……夢を、見なかったわ」

 いつもならイベントが起こりそうな日になるとウィザラバの夢を見ていたはずなのに、卒業式を迎える今日に至るまで、卒業パーティーのシーンの夢を見ることはなかった。

 もぞりと寝返りを打つと、ジルに頭をぺちぺちと叩かれる。

「やい、小娘。卒業式の朝くらいシャッキリしろ!」
「うるさいわね。もう起きてるんだから怒鳴らないでよ」

 不安は残るけど、たしかに悩んでいる時間はない。卒業式の朝は準備があるから、いつもより早めに出勤しなければならないのだ。
 いそいそと身支度を済ませて、メイドに髪を結ってもらうために鏡台の前に座る。

「レティシア様、ご主人様からのお願いを叶えてあげてください」

 ミカが天鵞絨張りの箱を持ってきた。
 開けると紫色の魔法石が散りばめられた美しい髪留めが入っている。
 これはノエルが昨日くれたもので、「卒業式にはまたハーフアップ姿を見たい」とリクエストをされてしまったのだ。

「……そうね、試してみるのも悪くないわね」

 意を決してメイドに希望の髪型を伝えた。

   ◇

 果たしてみんな気づいてくれるかと、ドキドキしながら廊下を歩いていると、目の前からサラたちが歩いてくるのが見える。
 
「みんな、おはよう」

 声をかけるとサラたちは口を閉じてしまい、しん静かになった。

 やっぱり私はいつも通りの髪型をしないと認識されないようだ、と落胆していると、サラが「きゃあっ」と悲鳴を上げる。

「メガネ先生、今日は雰囲気違う!」
「本当ですわ。いつもの髪型も素敵ですけど、今日は一段と素敵でしてよ!」
「そうですね。先生の姿に見惚れてしまいました」
「メガネ、たまにはその髪型にしたらいいと思いますよ」
「す、すごく素敵で緊張してしまいます」
「ほぉ。ファビウス先生と進展があったんですか?」
「レティせんせ、とっても綺麗だよ。独り占めしたくなっちゃうな」

 唐突な褒め殺し大会に耐え切れなくなって、逃げ出すとノエルに出くわした。
 ノエルは悠然と私の髪に触れながら、「どうだった?」と聞いてくる。

「みんな、私を認識してくれていたわ」
「良かった。それなら無事にシナリオとやらを抜け出せたんじゃないか?」
「……いいえ、まだ油断はできないわよ」
「それでも、不安な表情はしまっておこう。みんなの門出なんだから、笑顔で見送らないとね?」

 ノエルの言う通りだ。
 みんなが巣立っていくというのに、きちんと見送れなかったら一生後悔する。

 しっかりしよう。
 笑顔で見送って、お祝いの言葉をかけて、みんなを幸せな未来に繋げていくんだ。

「よし、行くわよ」

 気合を入れるために頬を叩くと、思いのほかバチッと大きな音が出てしまったものだから、心配したノエルに治癒魔法をかけられてしまった。 

   ◇

 それから卒業式がつつがなく執り行われて、続いて夜に始まる卒業パーティーに向けて生徒たちが準備をする時間となった。

 講堂は退場する生徒でにぎわっていて、みんなはパーティーのことを話している。
 どうやらパートナーと踊るダンスのことで頭がいっぱいのようで、感傷に浸っている様子はない。
 みんなこれから寮に戻って着替えることになっているから、それどころではないようね。

 女子生徒たちが髪型やメイクの打ち合わせをしているのを微笑ましく見ていると、不意に背後から声をかけられた。
 振り返るとアロイスが立っていて、きらきらと眩しい笑顔を向けてくれている。

「アロイス殿下、卒業おめでとう」 
「ありがとうございます。欲を言えば、もう少し先生の生徒のままでいたかったです」
「ふふ、嬉しいことを言ってくれるわね。あなたには、もっと楽しい学園生活を送らせてあげたかったわ」

 せめてここにいる間は、王子としての責務を感じないでのびのびとしていて欲しかったのに、結局はあの父親のせいで学生でいられる時間を削ることになってしまった。

 なにもしてあげられなかったのを申し訳なく思っていると、アロイスはそっと私の手を握る。

「いいえ、私は先生から楽しくて幸せな時間をもらいました。大切な心構えも、知識も、なにもかも先生からいただいたんです。だからいまのような事態になっても絶望せずに突き進めました。先生に出会えた私は幸せ者です」

 それはこっちの台詞だ。
 前世ではアロイスの存在のおかげで仕事で嫌なことがあっても乗り越えられたし、この世界では幾つもの感動を与えてくれたもの。
 こうしてこの世界でも出会えたんだから、自分は幸せ者だと思う。

 立派に成長した推しが幸せそうに笑っている姿を見られて、本当に良かった。

「私も、あなたに出会えてよかったわ」

 するとアロイスはそっと人差し指を立てた。

「兄上が恐ろしい顔でこちらを見ているので、私は退散しますね。どうか兄上とお幸せに」
「ありがとう。あなたもセラフィーヌさんと末永く幸せになってね」
「もちろんです」

 アロイスは柔らかく微笑むと、寮へと帰っていった。
 
   ◇

 やがて夜になって学園中に設置されたランタンに光が灯り、卒業パーティーが始まった。
 生徒たちが入場するのを、息を凝らして見守る。
 
「……いよいよだわ。ううっ……、始まって欲しいけど始まって欲しくない」 
「レティ、ちゃんと息してる?」
「してるわよ。さっきまで忘れてたけど」 

 隣に立っているノエルはサラたちのことよりも私の心配をしていて、数分おきに「息してる?」と聞いてくるのだ。
 
 そんなやり取りを繰り返しているうちに生徒たちが全員揃ったようで、アロイスが前に立って口を開く。

「――ついに、オリア魔法学園で過ごす最後の日となってしまった」

 そう切り出したアロイスの言葉はゲームで見た通りだ。
 ごくりと唾を飲み込んで、次の言葉を待つ。
 ゲームではこの冒頭の挨拶で、「最後に一つ、大切な話がある」といってイザベルの断罪イベントが始まってしまうから。

 アロイスが話す度に緊張のあまり掌に力が入ってしまう。

「今宵は先生方への感謝の気持ちと、仲間たちへの祝福を胸に踊ろう」
 
 アロイスが言い終えると大きな拍手が起こり、そして音楽が流れ始めた。

 ……もう、終わり?

 自分の目と耳が信じられなくてパチパチと瞬きをしてみるけど、目の前では生徒たちが手を繋いでダンスを始めていて、アロイスの話はすっかり終わってしまったようだ。
 
 アロイスはイザベルと一緒に踊っていて、一曲踊り終えると二人でどこかに消えて行ってしまった。

 これは現実?
 それとも、都合のいい夢?

 不安になったから頬を抓ってみると痛くて、どうやら夢ではないらしい。
 
「なにごとも起こらなかった……! ノエル、断罪イベントが起こらなかったわ!」

 嬉しさのあまりノエルに抱きついてしまうと、ノエルも抱きしめ返してくれた。
 顔を上げてノエルを見ると、ノエルもまた私を見つめていて。

 その眼差しにドキドキとしていると、ブドゥー先生に小突かれてしまう。

「もう、パーティーとはいえ学校の行事の最中にイチャついてはいけませんよ!」

 気づけば他の先生たちや生徒たちにまで見られてしまっていて、慌ててノエルから離れようとするんだけど――ノエルが放してくれない。それどころか、背中にまわされたノエルの手には力が込められていて、もっと引き寄せようとしている。

「ノエル?」
「なに?」

 咎めても悪びれた様子もなく返事をされてしまう。
 頭を抱えたい気持ちでいると、急にサラが現れて私の手を掴んだ。

「メガネ先生! こっちこっち!」
「どうしたの?」
「内緒です。ファビウス先生、いまだけメガネ先生を貸してください!」
 
 そのままサラに、会場の外へと連れ出される。
 校舎を出ると大きな満月が浮かんでいて眩しい。

 なにが起こるのかわからないけど手を引かれるままについていくと、イザベルやアロイスたちの姿が見えた。

 メインキャラ達が勢ぞろいで、いまからエンドロールでも流れるんじゃないかと思ってしまう。

 すると、サラはパッと手を離した。サラが合図をするとみんなは手を空に向けて呪文を唱える。
 みんなの指先から放たれた魔法が無数の花を作り出した。

「「「先生、いままでありがとうございました!」」」

 闇夜の中を淡い光を放つ花が舞って、流星群のように降り注ぐ。 
 とても綺麗な魔法に言葉を失って見惚れてしまった。

「私たちからの花束を受け取ってください」

 イザベルはそう言って、透明なガラスのような花で作られた花束を手渡してくれた。
 角度を変えると七色の光りを放つ花束はきらきらと輝いていて、いろんな色を見せて、まるでサラたちを見ているみたいだ。

 そんな花を見ると、この三年間の思い出が幾つも頭の中に浮かんでくるものだから、胸がいっぱいになる。

「みんな、ありがとう。……本当に立派になったわね」

 私が守らないといけない、と思ってみんなのそばにいた。

 だけどみんなは日を追うごとに成長して、強くなって、学園祭の時には私を助けようとしてくれて、すっかり一人前の大人になっていて。

 それを嬉しく思うのと同時に、みんなが巣立って行くのを寂しく思っていた。
 ハッピーエンドは見届けたいけれど、みんなと別れたくないだなんて、我儘なことを考えていたわ。

 だけど、こうしてハッピーエンドを迎えられると達成感が湧き起こってくる。
 無事にハッピーエンドを迎えられたいま、残された願いはただ一つ。

「さあ、みんな! 夕日に向かって走るわよ!」
「「「……え?」」」

 呆気にとられるサラたちの背中を押して走り出す。

「夕日はもう完全に沈んでますよ?!」

 アロイスはそう言いながらも走ってくれて。

「メガネ、走ったら転びますよ」

 フレデリクは気遣ってくれる。

「せ、先生! グーディメル先生がものすごく怖い顔でこっちを見てます!」

 ディディエは震えているけど足を止めなくて。

「まったく、急になにを言い出すのかと思えば」

 セザールは溜息を溢していて。

「レティせんせ、疲れたら俺が運んであげるよ?」

 オルソンはウインクを飛ばしてくる。

「せ、先生、どこまで行きますの?」

 イザベルは困惑しているけど手を繋いで一緒に走ってくれている。
 その反対側にはサラがいて。

「メガネせんせ~! ドレスで走ったら躓いちゃいます~!」

 嬉しそうに飛び跳ねて走っている。

 そのまま少し走って、立ち止まって、顔を見合わせてみんなで笑った。



 みんな、素敵な日々をありがとう。
 みんながくれたたくさんの思い出を、私はこれからもずっと忘れないわ。


 そして、卒業おめでとう。
 みんなの新しい物語を聞かせてもらうのを楽しみに、先生も新たな生活を始めるわね。

 だから今日は、さよならではない。
 ある物語の終わりではあるけれど、始まりでもあるのだから。 
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