このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
「あちゃー。この前の授業でけっこう使っちゃったのよねぇ」

 薬棚の引き出しを開けると、変身薬に必要なカンビオの在庫が切れていた。
 まあ、幸いにも今日の夜は満月で天気もいいし、作るしかないわね。

 せっかくだからと思って芋ジャージに着替えて温室に向かう。

「先生、その服、また着ているんですね」
「え、ええ。動きやすいし汚れてもいいから重宝してるの」

 作業をしているとアロイスが現れた。
 こんなジャージ姿を推しに見られるのはなんだか恥ずかしい。

「なにをしてるんですか?」
「カンビオの下ごしらえの準備よ」
「私も一緒にやっていいですか?」
「っももも、もちろん! 嬉しいけど、時間はいいの?」
「はい、先生のお役に立ちたいんです」

 ああ、私の推し、なんていい子なの。
 惚れそう。さらに惚れそう。

「じゃあ、アロイス殿下も芋ジャージに着替えてきてね。汚れるといけないわ」

 ついでに推しの芋ジャージ姿をまた拝もうだなんて邪念を持った天罰なのでしょうか。

「ベルクール先生、こんなところにいたんだね」

 ノエルが笑顔で闇のオーラを背負いながらやって来た。
 この人、ジルという見張り役兼発信機が一緒にいるせいでどこにいても探し当ててくるんですけど。

「ファビウス先生、なにかごようかしら?」
「妖精たちと話した時のことを聞きたくてね」
「話したいのはやまやまなんだけど、今日はこれからカンビオの下ごしらえをしたいから今度にしてもらっていいかしら?」

 今はアロイスがいるから話せないし、なにより、カンビオの下ごしらえはつきっきりでやらないといけなくて手がかかる。
 目でノエルに訴えかけると、彼は察してくれたようで。

「そうか、それなら今度聞かせてもらおう」

 と言ってくれたのに、全くここを離れようとしない。

「僕も手伝うよ」
「え、アロイス殿下が手伝ってくれるから大丈夫よ?」
「僕では作業できないというのかい? 心外だな」

 忙しいだろうから遠慮したのに、なぜかノエルは禍々しいオーラを強めてきた。

「忙しくないなら手伝って欲しいわ」
「そっか、それならよかった」

 ケロリと機嫌がよくなってホッとした。
 どうしてこんなに意固地になってまで近くで見張ろうとするのかしら。

 もしかして、暇だから?
 
 ひとまず準備を終えた私たちは、夜にまたここに集合することになった。

   ◇

「あらっ、二人とも早いわね」

 温室に行くと、ノエルとアロイスはもう来ていた。
 なにやら話をしていたみたいだけど、私が来たせいで中断させたようだ。

 どんな話をしていたんだろ?
 王室の話とか、していたのかな。

「なに話してたの?」
「世間話さ」

 ノエルはにこにこと笑っている。
 前はアロイスといると険悪な雰囲気だったけど、ずいぶんと変わった気がする。

 もしかして、ゲームの中の時みたいに同情したふりをして近づいたりは、してないよね?

 不安になる一方で、今のノエルはそんなことしないと思う自分もいる。

「それより、気になることがあるんだけど」
「ん?」
「どうしてノエルが芋ジャージを着てるのよ?!」
「バルテから借りた」

 ノエルとドナって意外と仲がいいのね。性格が正反対の二人なのに服の貸し借りをする仲とは驚きだ。

 驚くべきことはもう一つ、ノエルが着ると芋ジャージの芋臭さが消滅してしまうってこと。
 どっかのブランド服のように着こなしてしまうのがさすがである。
 ちくしょう、イケメンって本当に得してるわね。

「じゃ、灯りを消すよ」

 ノエルがパチンと指を鳴らしてカンテラの明かりを消すと、あたりには闇夜が広がる。
 目が慣れてくると月明かりで見えるようになってきた。

「それじゃあ、太陽の光に当てた銀色のハサミを使って収穫するわよ」

 植木鉢の中のカンビオたちは十分に月明かりを受けて光を宿している。
 切り口から光が溢れないように逆さにして持って、片手で掴めるくらいの束を作る。

「次に蜘蛛の糸で結んで」

 金糸蜘蛛という、金色の艶やかな糸を吐き出す蜘蛛の糸を使うと、薬草の魔力が逃げないと言われている。
 用意した糸を使って束を纏めて結ぶ。

「ここからが大変なのよねぇ」

 用意したカンビオの束に、夜明けまで魔力を注ぎながら乾燥させ続けなければならないんだけど、ノエルがいるしアロイスはもう帰した方がいいだろう。

「アロイス殿下、今日はもう夜遅いから寮に戻りなさい」
「起きていられるので大丈夫です」
「寮のみんなが心配するわよ」
「……そんなこと、ないと思います」

 寂しそうに笑ってそう言われると、帰したくとも帰せない。
 寮の担当の先生に魔法で手紙を送って、今晩はアロイス殿下に素材作りの手伝いをしてもらうことを伝えた。
 推しだから贔屓しているわけではありませんよ。生徒が抱えてる不安が取り除けたらいいなと思った次第でして。

「アロイス殿下は、誰とよく話しているの?」
「クララックです」

 セザールは宰相の息子だから幼馴染だもんね。

「そう、他には?」
「あまり、話したことがありません」

 彼は自嘲気味に笑った。

「みんな、私が王子だから話しかけてくれているんです。いずれ王太子が決まって私じゃなかったら、誰も話しかけてくれませんよ」
「アロイス殿下……」

 ゲームの中で、サラに吐露していた気持ちだ。
 幼い頃から周りにいる大人たちのせいで、上辺だけの友情を向けられているんだと勘違いしてしまっているのだ。

「ノエル、魔法かけるの代わって」
「いいけど」

 アロイスの手を握ると、とても冷たい。両手で包んで熱を分ける。

「ここは学園よ。あなたと同い年の仲間たちが集まる場所だから、あなたは王子じゃなくてアロイスという名前の青年として、振る舞ってもいいと思うの。そうしたらきっと、みんなあなたをアロイスという名前の同い年の生徒として接してくれるわ」

 目の前にいる青年は、かつて画面越しにときめきを与えてくれた攻略対象じゃなくて、悩みを抱えた年頃の子どもらしさがあって、改めて彼らも子どもなんだと思ってしまう。

「だから、オリア魔法学園にいる間は、頑張りすぎなくていいのよ。悔いのないように、あなたらしく自由に過ごしなさい」
「っ先生」

 アロイスの空色の瞳が揺れる。
 彼はそのまま、コツンと私の肩に頭を寄せてきたものだから、息が止まりそうになった。

「すみません、ちょっとだけ甘えさせてもらいました」

 はにかみながらそう言われたのに意識を保っていた私を、誰かに褒めて欲しい。

 その後、ノエルの次にアロイスが、その次に私が交代して魔力を注ぎ込んだ。

「眠ってしまってるな」
「あら」

 交代して休憩していたアロイスは、温室に設置している椅子に腰掛けたまま眠ってしまった。
 美しい寝顔を拝めて、もう思い残すことはないと思ってしまう。

「王子とはいえ、やはり子どもだな」
「そう、ね」

 ノエルがそんなことを言うなんて意外だ。
 彼はそのまま、アロイスに自分の上着をかけた。

 チラッと顔を見てみたけど、なんだか複雑そうな顔をしている。

「あなたも休んだら?」
「そうする」

 ノエルはそう言うと、私の隣に椅子を持ってきて、じっと座っている。

「やっぱり、話し相手になって。眠っちゃいそうだわ」
「仕方がないな」

 片眉を上げて笑うその表情は優しくて、思わず心臓が変な音を立ててしまう。

 彼とは、朝日が顔を出すまで一緒にオリア魔法学園でお世話になった先生たちの話をした。
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