このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
「なるほど、モーリュはフィニスの森の裏の世界にあるから伝説の薬草なのか」
「ええ、人間の姿じゃ行けないから変身薬が必要なの」

 放課後、実験室で変身薬を作っている傍ら、ノエルに妖精たちの話を報告している。
 ちなみに今回は効力を長持ちさせるために煮詰める必要があり、けっこうひどい匂いが鍋から漂っている。くさ過ぎて涙目になってしまう。

「危険なら僕が行く」
「ダメよ」

 ノエルが探しに行けば、王室側の人間に気づかれてしまうかもしれないもの。気づけばきっと、ゲーム通りに先生を殺すに違いない。
 だけど、そのことをノエルには言えないから。

「ほ、ほらっ、ロアエク先生になにかあったらノエルが駆けつけるべきじゃない? だからノエルは行かないで」

 それらしい理由を付け加えた。
 だけど、ノエルは納得していないようで眉根を顰めたまま解こうとしない。

「僕は魔術省の仕事の関係上、危険を回避する術を身に着けているけど、レティシアは違うだろ? それなのに危ないと分かってて見送ることはできない」

 心配、してくれてるんだ。
 婚約を持ちかけた時の彼の態度を思うと、けっこう信じてくれるようになったのかな、なんて思っちゃって、感慨深くてジーンっとしてしまう。

「ロアエク先生の治療に協力するって契約のことを忘れたの?」
「忘れては、ないけどさ」
「私は契約を果たしたいのよ。だからノエルは待っててね」

 ぐつぐつと煮込むうちに鍋の中の物体は真っ黒になった。火を消して、固まらないように混ぜ続ける。まるで泥水を混ぜているようだ。
 これがけっこう重労働で、ドロドロの液体を木べらでかき混ぜるのには力がいるのだ。

「代わるよ。ロアエク先生の手伝いをしていたから慣れてる」
「ありがとう」

 それは本当のようで、慣れた手つきで混ぜている。

「アロイス殿下に材料を渡して良かったのか?」

 実は、手伝ってくれたお礼に変身薬を作るセットをアロイスに渡していた。
 喜んで受け取ってくれたけど、使う時は来るのかな?

「彼なら悪いことに使ったりしないわ。それに、使うことがあるかどうかもわからないし」
「ふーん? 随分と信用してるね」

 また機嫌が悪そうな声が聞こえてくる。

「大切な生徒ですもの」

 推しだから、という理由は心のうちに留めておいた。

   ◇

 妖精たちの説得により、トレントは裏フィニスの案内に応じてくれた。
 トレントから指定された夜、裏フィニスに行くべく、ついに例の変身薬を飲むことになった。

「飲むわよ」
「わかった」
「飲みきってみせるわ」
「頑張って」
「私ならできる。きっと飲める」
「……本当に大丈夫?」

 真っ黒で、明らかに食べ物ではなさそうな見た目の変身薬を飲むのには勇気がいる。

 ノエルに心配されつつ、意を決して変身薬が入ったガラス瓶に口をつけた。
 蓋を開けたとたんに強烈な異臭が鼻をついてきて涙が出てきてしまうけど、瓶を傾けて一気に口の中に注ぐ。

「うっ」

 言い表せないほどマズい液体が喉を通るとヒリヒリしてくる。
 むせかえりそうになるのを堪えて飲み下していくと、体が縮んでいった。

「けほっ……うう、マズい」
「大丈夫?」

 背中を大きな掌が撫でてくれた。
 見上げると、ノエルがしゃがんで覗き込んできている。

「ちゃんと猫になってるよ」
「よかったわ。効力が切れる前に戻ってこなくちゃいけないわね」

 ちなみに着ていた服が床に散らばっている、なんてことはなく、私と一緒に変身している。
 この辺がなんというか、上手く処理してくれているのがゲームの世界ってかんじよね。

「猫の姿だけど、目の色は人間の時と一緒だな」
「ちょっと!」

 ひょいっと持ち上げられて、四つの足は宙を掻いてしまう。
 気づけばノエルの顔がすぐ近くにあって、私は彼の腕の中にいて。

「人間の時もこれぐらいの大きさなら持ち運べるから心配しなくて済むんだけどなぁ」

 そんなよくわからない独り言が聞こえてきたかと思うと、おでこに柔らかなものが押し当てられた。
 何が起こったのかすぐにはわからず、思考回路が一瞬だけ停止した。
 
 ノエルもしかしていま、私のおでこにキスした?

「なにしてるのよ?!」
「かわいらしい猫がいたからつい、ね」

 意地の悪い微笑みを浮かべられて、いっきに顔が熱くなった。
 私が変身した姿って知っているくせに、なんなのよ、もう。

「ふ、ふざけてると引っ搔くわよ?!」
「やい、小娘! ご主人様に手を出したらただじゃおかないぞ!」

 ノエルの腕の中で暴れているとジルに怒られてしまった。
 怒るならふざけている主人の方を怒って欲しいものである。
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