【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
◇
温室に入ると、レティシアよりも先に異母弟がいた。
夕食前にレティシアといた時とは違い、人を遠ざけようとする冷たい眼差しを向けてくる。
「……どうしてファビウス先生が芋ジャージを着てるんですか?」
「バルテから借りた」
「いくら払ったんですか?」
「人聞きが悪いね。本当に借りただけだよ」
まあ、借りにはされたが。
弁明しても信じてもらえず、異母弟は非難がましく眉を顰めてくる。
借りた相手が商家の令息であるバルテだからなのもあるかもしれない。
商売人気質の彼のことだから、きっと金品との交換でないと応じないだろうと疑っているようだ。
「ところで第二王子殿下、最近はやたらと我が婚約者にご執心と見えるのですが、なにをお考えで?」
アロイスがレティシアに近づくのには国王の思惑があるんじゃないかと睨んでいるが、魔術省で耳に挟んだ話によれば、国王は第一王子クロヴィスをいたく気に入って手駒にしているという。
第二王子の立ち位置を知りたかった。
「私は、ベルクール先生を守りたくて様子を見ています」
「なるほど? なにかそのきっかけがあったと?」
「私の影の報告が確かなら、国王陛下はベルクール先生に目をつけつつあります」
「……っ」
いつかはそうなるとわかっていたが、他人の口から聞かされると改めてぞっとする。
「ファビウス先生がベルクール先生と婚約すると聞いてから、気になって影に探らせていましたが、先日、エディット・ロアエクの次は彼女を狙うとクロヴィス兄様に話しているのを聞いたそうです」
「随分と僕の相手をしてくれるんだね、国王陛下は」
どうしてそこまで、あの人に苦しめられなければならないのだろうか?
なにか罪を冒したというのか?
僕の罪とは、なんだ?
ロアエク先生も、レティシアも、なんの罪もない、弱い立場の人間だ。
そんな人たちを巻き込んでまで絶望させようとする理由がわからなくて、沸々と怒りが込み上げてくる。
「忌々しい限りでしょう?」
異母弟は冷ややかに笑った。
レティシアが見たら驚くであろう、憎悪に満ちた微笑みで。
彼女はきっと、アロイスのこの顔を知らないだろう。
「”攻撃こそ最大の防御”を、体現される身にもなって欲しいものです」
「僕は牽制されるほどの人間でもないはずだが?」
踊り子との間にできた子どもで、世間には知らされていない上に、王位継承権はあってないようなものなのにも拘わらず。
「いいえ。陛下はあなたの魔力の強さと、人を魅せる力を恐れているんです」
「そんなに買ってくれていたとは、意外だよ」
アロイスに言ったのは冗談であって、国王が僕を恐れているのは知っている。
これまで彼から出された指示を思い返してみると、子どもでも分かるほどだ。
騎士団長を務める養父の家に引き取られながらも文官に進むことになったのは、僕が謀反を企てて武力で復讐してくるのを恐れた国王からの命があったため。
魔術省で働くように命じられたのは、魔術省舎が王城から離れているから、遠ざけながらも監視できるため。
放っておいてくれたら、危害を加えるつもりなんてないものを。
「先生は私が守ります」
「いいえ、殿下のお手を煩わせません。彼女は婚約者の僕が守ります」
「私の担任の先生でもあります」
まさか、そのことを持ち出してくるとは思わなかった。
「ベルクール先生は、植物園で出た魔物から私たちを守ってくれました。私を狙ったものだと気づいていても、責めることも憐れむこともせず、ただ『謝らないで』と言ってくれたんです。それに、身分隔てなくみんなが勉強できるように校外学習まで計画してくれて――そんな先生に、私は心を救われたんです。いずれ先生の教えを、国王になって活かしていくつもりです」
アロイスにとってレティシアは、僕にとってのロアエク先生のような存在であるのかもしれない。
血塗られた場所で生まれた僕たちに人間らしさを教えてくれる、かけがえのない存在。
「そこで兄上、エディット・ロアエクさんを安全な場所で保護するのと引き換えに、私と取引をしませんか?」
弟はそう言って、レティシアに見せるような笑顔を向けてきた。
◇
アロイスには大見得をきったのに、いざ彼女が危険な場所に行くとなった時、僕は安全な場所で待つことになった。
それがいたたまれなかった。
彼女は無事に戻ってきてくれたけど、もしものことを考えただけでも、心臓に悪い。
「明日は休んだ方がいいんじゃないか?」
「大袈裟ね。これくらい大丈夫よ」
トレントたちと別れて職員寮に向かう途中、レティシアは疲れているのか、いつもより口数が少なかった。
「おやすみ、レティシア」
「おやすみ。送ってくれてありがとう」
手が離れていくと寂しさを覚えた。そのまま、職員寮の扉を開けるレティシアの背を見送る。
彼女はこちらに向かって手を振ると、「早く寝るのよ?」と言い残して扉の中に入っていった。
彼女がいきなり始めた母親ごっこはまだ続いているようだ。
気が抜けてしまうが彼女のそんなところに、救われている。
「ミカ、しばらくこの辺りを掃除してくれないか?」
「御意。ご主人様はどうかお気をつけてお帰り下さい」
「頼んだよ」
ミカの姿が闇夜に溶けるのと同時に、レティシアの部屋に光が灯った。
「レティシア、どうか良い夢を」
こんな風に誰かの夢の心配までする日が来るとは思いもよらなかった。
僕のことを恋愛対象としてみてくれていない人。それどころか、守る対象だと考えている節がある、一風変わった人のために。
どうして僕を守ろうとしているのかわからないけど。
レティシアのことは、まだまだ知らないことがたくさんある。
彼女の正体を知りたいと、思う時さえある。
だけど、彼女は知られたくなさそうで。
知らないままでいるのは好ましくないが、どうしてか、彼女が嫌がるなら知らないままでいいかと思ってしまう。
どんな人物であろうと、彼女はきっと宣言通り、僕を大切にしてくれるだろうから。
だからそんなあなたの手をつないで、見失わないようにしたい。
この先なにがあっても守るために。
温室に入ると、レティシアよりも先に異母弟がいた。
夕食前にレティシアといた時とは違い、人を遠ざけようとする冷たい眼差しを向けてくる。
「……どうしてファビウス先生が芋ジャージを着てるんですか?」
「バルテから借りた」
「いくら払ったんですか?」
「人聞きが悪いね。本当に借りただけだよ」
まあ、借りにはされたが。
弁明しても信じてもらえず、異母弟は非難がましく眉を顰めてくる。
借りた相手が商家の令息であるバルテだからなのもあるかもしれない。
商売人気質の彼のことだから、きっと金品との交換でないと応じないだろうと疑っているようだ。
「ところで第二王子殿下、最近はやたらと我が婚約者にご執心と見えるのですが、なにをお考えで?」
アロイスがレティシアに近づくのには国王の思惑があるんじゃないかと睨んでいるが、魔術省で耳に挟んだ話によれば、国王は第一王子クロヴィスをいたく気に入って手駒にしているという。
第二王子の立ち位置を知りたかった。
「私は、ベルクール先生を守りたくて様子を見ています」
「なるほど? なにかそのきっかけがあったと?」
「私の影の報告が確かなら、国王陛下はベルクール先生に目をつけつつあります」
「……っ」
いつかはそうなるとわかっていたが、他人の口から聞かされると改めてぞっとする。
「ファビウス先生がベルクール先生と婚約すると聞いてから、気になって影に探らせていましたが、先日、エディット・ロアエクの次は彼女を狙うとクロヴィス兄様に話しているのを聞いたそうです」
「随分と僕の相手をしてくれるんだね、国王陛下は」
どうしてそこまで、あの人に苦しめられなければならないのだろうか?
なにか罪を冒したというのか?
僕の罪とは、なんだ?
ロアエク先生も、レティシアも、なんの罪もない、弱い立場の人間だ。
そんな人たちを巻き込んでまで絶望させようとする理由がわからなくて、沸々と怒りが込み上げてくる。
「忌々しい限りでしょう?」
異母弟は冷ややかに笑った。
レティシアが見たら驚くであろう、憎悪に満ちた微笑みで。
彼女はきっと、アロイスのこの顔を知らないだろう。
「”攻撃こそ最大の防御”を、体現される身にもなって欲しいものです」
「僕は牽制されるほどの人間でもないはずだが?」
踊り子との間にできた子どもで、世間には知らされていない上に、王位継承権はあってないようなものなのにも拘わらず。
「いいえ。陛下はあなたの魔力の強さと、人を魅せる力を恐れているんです」
「そんなに買ってくれていたとは、意外だよ」
アロイスに言ったのは冗談であって、国王が僕を恐れているのは知っている。
これまで彼から出された指示を思い返してみると、子どもでも分かるほどだ。
騎士団長を務める養父の家に引き取られながらも文官に進むことになったのは、僕が謀反を企てて武力で復讐してくるのを恐れた国王からの命があったため。
魔術省で働くように命じられたのは、魔術省舎が王城から離れているから、遠ざけながらも監視できるため。
放っておいてくれたら、危害を加えるつもりなんてないものを。
「先生は私が守ります」
「いいえ、殿下のお手を煩わせません。彼女は婚約者の僕が守ります」
「私の担任の先生でもあります」
まさか、そのことを持ち出してくるとは思わなかった。
「ベルクール先生は、植物園で出た魔物から私たちを守ってくれました。私を狙ったものだと気づいていても、責めることも憐れむこともせず、ただ『謝らないで』と言ってくれたんです。それに、身分隔てなくみんなが勉強できるように校外学習まで計画してくれて――そんな先生に、私は心を救われたんです。いずれ先生の教えを、国王になって活かしていくつもりです」
アロイスにとってレティシアは、僕にとってのロアエク先生のような存在であるのかもしれない。
血塗られた場所で生まれた僕たちに人間らしさを教えてくれる、かけがえのない存在。
「そこで兄上、エディット・ロアエクさんを安全な場所で保護するのと引き換えに、私と取引をしませんか?」
弟はそう言って、レティシアに見せるような笑顔を向けてきた。
◇
アロイスには大見得をきったのに、いざ彼女が危険な場所に行くとなった時、僕は安全な場所で待つことになった。
それがいたたまれなかった。
彼女は無事に戻ってきてくれたけど、もしものことを考えただけでも、心臓に悪い。
「明日は休んだ方がいいんじゃないか?」
「大袈裟ね。これくらい大丈夫よ」
トレントたちと別れて職員寮に向かう途中、レティシアは疲れているのか、いつもより口数が少なかった。
「おやすみ、レティシア」
「おやすみ。送ってくれてありがとう」
手が離れていくと寂しさを覚えた。そのまま、職員寮の扉を開けるレティシアの背を見送る。
彼女はこちらに向かって手を振ると、「早く寝るのよ?」と言い残して扉の中に入っていった。
彼女がいきなり始めた母親ごっこはまだ続いているようだ。
気が抜けてしまうが彼女のそんなところに、救われている。
「ミカ、しばらくこの辺りを掃除してくれないか?」
「御意。ご主人様はどうかお気をつけてお帰り下さい」
「頼んだよ」
ミカの姿が闇夜に溶けるのと同時に、レティシアの部屋に光が灯った。
「レティシア、どうか良い夢を」
こんな風に誰かの夢の心配までする日が来るとは思いもよらなかった。
僕のことを恋愛対象としてみてくれていない人。それどころか、守る対象だと考えている節がある、一風変わった人のために。
どうして僕を守ろうとしているのかわからないけど。
レティシアのことは、まだまだ知らないことがたくさんある。
彼女の正体を知りたいと、思う時さえある。
だけど、彼女は知られたくなさそうで。
知らないままでいるのは好ましくないが、どうしてか、彼女が嫌がるなら知らないままでいいかと思ってしまう。
どんな人物であろうと、彼女はきっと宣言通り、僕を大切にしてくれるだろうから。
だからそんなあなたの手をつないで、見失わないようにしたい。
この先なにがあっても守るために。