このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 ノエルは床に崩れてしまっているブレーズ様に手を差しだした。

「モーリア卿、お会いできて良かったです。珍しく邸宅にあなたがいらっしゃらなかったので、気になってここに来てみたんですよ」
「む、そうでしたか。いやはや、ディディエが学園に戻る前に生活環境を知りたくてベルクール先生に会いに来ましてね」
「へぇ? それでレティシアと一緒にいたんですね?」

 恐ろしさを感じさせる微笑みを浮かべているけど、ブレーズ様には効いていないようで、平然と話している。
 ちなみに、ディディエとフレデリクはノエルの闇の笑顔を見て血の気が引いてしまっている。

 怖いと思ったのは私だけではないようだ。

「ええ、ベルクール先生にはこれまでもずっとディディエのことで相談していたんで」
「なるほど、これからはぜひ僕に相談してください。魔術省の人間として最適な助言ができると思います」
「お言葉は嬉しいですが、担任のベルクール先生からディディエのことを聞きたいんですが……」
「それならなおさら、ここでも働いている私が適任でしょう。卿の勤めている魔術師団に報告しに行きますから、ぜひ、私に言ってくださいね?」

 ノエルはグイッとブレーズ様の手を引いた。
 二人の顔が近くなって、口を動かしているのは見えるけど、なにをはなしているのかはわからない。

「メガネも大変ですね」
「私よりもモーリア卿の方が大変そうじゃない?」

 話の内容はわからないけど、ノエルの圧は遠目から見ていてもわかる。
 それなのにフレデリクの同意は得られなかった。

「一番大変なのはファビウス先生かもしれないですね」
「そ、そうだね。まったく気づいてもらえないなんてかわいそう」

 なぜかディディエもノエルの肩を持つ。
 兄がそのノエルに詰められているというのに。

 しかも、二人とも私の顔を見てそんな話をしているのが解せない。

 結局、ノエルのおかげでブレーズ様が大人しく帰ってくれた。
 私が相手だと「失礼します」と言ってから小一時間はディディエの話をされてしまうのに、さすがは魔性の黒幕、どんな人が相手でも思い通りに動かせるのね。
 
   ◇

「モーリアさん、これからまたよろしくね」
「……こんどは迷惑をかけませんから、よろしくお願いします」

 久しぶりに見たディディエはすっかり痩せてしまっていて、顔色も良くない。
 モーリア家の使用人の話では、あんまりご飯を食べていなかったようだ。

 苦しんできた彼のことを思うと、私の力不足を恨みたくなる。
 なす術もなく彼を実家に帰してしまったのだから。

「迷惑なことなんてちっともなかったわ」
「僕は先輩方に大怪我をさせてしまいました。それは決して許されることではありません」

 いや、あれは絡んだ上級生の方が悪くない?

 それなのに、ディディエはしゅんとして小さくなってしまっている。

「モーリアさんはなにも悪くないわ。学園はみんなが一人前の大人に成長していくための場所だから、誰もがなにかしら失敗をしてしまうところなの。だから気に病まないで、その力をコントロールできるように一緒に頑張っていきましょ」

 まだ不安そうだけど、顔を上げてくれた。
 彼の心の傷は深いから、ゆっくりと向き合っていきたい。
 
 ディディエは幼い頃から強すぎる魔力を上手くコントロールできなかったせいで、兄のブレーズ様と比べられて周りの貴族たちから心無い言葉をかけられていた。
 噂好きで身勝手な大人たちに自尊心を傷つけられてきたのよね。

 まずは失敗してもいいとわかってもらうことが大切だわ。

「メガネが気にするなって言ってるんだから気にしなくていいだろ」

 フレデリクはそう言うと、ディディエの頭を乱暴に撫でた。

「ほら、もう夕食の時間だし、食堂に行くぞ」
「ぼっ、僕は食欲がないからいいよ」
「そんなに痩せててまだ痩せる気か?」

 フレデリクもディディエの体調を心配している。
 風が吹いたら折れそうなくらい細いもんね。

「それに、僕が食堂に行ったらみんな嫌な思いすると思うし」
「んなわけねーだろ。考えすぎだ」

 それでも俯いてしまって食堂に行こうとしないディディエを見たフレデリクは溜息をついた。

「お前が好きそうなもん持ってくるから食べろよ」

 投げやりにそう言うと、ディディエが止めるのを聞かずに部屋を出て行ってしまった。

「あんなにもはしゃいでるジラルデを見るのは初めてだな。いつもは機嫌が悪そうなのに」

 ノエルは勢いよく閉まった扉を見て呆然としている。

「モーリアさんが戻ってくるのを待っていたから再会できて嬉しいのよ」
「ジラルデさんみたいな人と出会えて、本当に良かったです」

 はにかみながら扉を見つめ、外にいるフレデリクを想うディディエを見ていると、複雑な気持ちが芽生えてしまう。 

 ……ねえ、この二人を見ててBLの世界が広がりそうって思っているのは私だけ?

   ◇

 学生寮を出るとノエルがいきなり手をつないできた。
 ビックリして飛びのいてしまっても手は解けることはなくて、それどころかジロリと睨まれてしまった。

「騎士団長と王子殿下と森の精霊、それに加えて今度は魔術師団の貴公子か」
「急になによ? どういう人選なの?」
「……」

 ノエルは軽く溜息を吐いた。

「無自覚なのがタチが悪い」

 またもやブツブツとなにか言っている。
 昨日に続き、どうしていきなり機嫌が悪くなるんだか。

「そうだ、今度ね、クラスの子たちとモーリアさんの親睦会をするの。みんなでラクリマの湖に行くから、ノエルも来ない?」
「……行く」

 嬉しそうなのに不機嫌な顔で答えてくれる姿は、不覚にもかわいいと思ってしまった。

「ノエル、モーリアさんを説得して学園に連れ出してきてくれてありがとうね。今度こそ、彼が楽しい学園生活を送れるように、頑張るわ」

 情けない話だけど、引き籠る前の彼を、私は助けられなかったから。
 もう二度と彼が悲しい思いをすることのないように向き合っていきたい。

 すると、ノエルが手を握る力を強めてきた。

「柄にもなくしおらしくしなくていい」
「柄にもなく、とは?」
「考え無しに突っ走るのがレティシアでしょ?」
「なによっ! 急に悪口を放り込んでこないでよ!」
「褒めてるんだよ」

 褒めるにしては意地悪な顔をしてるじゃないか。
 こっちは落ち込んでいるのにバカにしてくるなんてひどい。

 それでもなぜか、彼のおかげでちょっぴり心が楽になった。
 認めるのは悔しいけど。
< 33 / 173 >

この作品をシェア

pagetop