このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 時間が経つのは早いもので、あっという間に週末になってしまった。
 迎えた朝は気持ちのいいほど麗らかな天気で、だけど気持ちは晴れてくれない。

「はぁぁぁぁ」
「やい、小娘。溜息がうるさいぞ」
「姑に会うのに溜息をつかないでいられるわけないでしょ?!」

 幼い頃からノエルを苦しめてきて、しかも挨拶に行った時はガン無視してきた姑に会うというのに浮かれられるものですか。

 前世では結婚というイベントをとってこなかったから対策の取りようもないし……モンスターペアレントとの戦いで培った技を武器にしていくしかなさそうね。

「お嬢様、きっとろくでもないことをお考えのようだと思いますので申し上げますが、姑は敵ではなく新しい家族なのですよ。戦おうとしてはなりません」

 そう忠告してくるのは、身支度のために実家から来てくれたメイドのソフィーだ。
 反論しようとすると、グッとコルセットを絞められて言葉が出てこなかった。

 小さいときから私の面倒を見てくれている、お姉ちゃんのような存在でもある。今は二児の母だから、時どきお母さんみたいに見えることもあるけど。

 なんというか、たくましいのよね。
 
「お嬢様がファビウス卿を大切に想ってのお考えなのは存じてますが、くれぐれも相手のご両親を敵にするような発言はお控えくださいませ」
「わかっているわよ」

 そんなソフィーから見たら私なんて、まだまだ子どものようだ。
 久しぶりに会ったというのに小言のオンパレードだもの。

 口を尖らせて見せると、ぎゅっと抱きしめてくれた。
 
「でもソフィーは、助けを求めている人を放っておけないお嬢様のことが大好きですよ。どうかお気をつけて」
「ありがとう。行ってくるわね」

 久しぶりに彼女に会えてよかった。
 こうやって励ましてもらえるもの。

 意を決して職員寮の玄関扉を開けると、ノエルがすでに来ていて、待ってくれていた。

「おはよう、ノエル。迎えに来てくれてありがとう」
「……うん」

 ノエルはじいっと見つめてくる。

「顔になにかついてる?」
「いや、なにも」
「もしかして、変かな?」

 今日は特別な日だからと言って、ソフィーが髪を下ろしたアレンジにしてくれたのよね。
 やっぱりデフォルトにしないとダメなのかしら。

「いや、むしろ似合ってるよ」

 そう言ってくれるのはノエルの育ちがいいからであって、つまり社交辞令であって、きっとおかしいはず。

「やっぱり、いつもの髪形にしてもらう!」

 さすがにお義母様に会うのに変な格好ではいけないと思って引き返そうとするとソフィーが窓辺から恐ろしい形相で睨みつけてきて、「さっさと行け」と口パクで言ってくるのが見えた。

「ひいっ」
「さすがはレティシアのメイドというべきか、あなたを扱えるくらいの強者を伯爵がつけたんだね」

 ノエルは一人で納得している。
 扱えるって、なによ。あなたの中で私は猛獣扱いなのかい?

「ほら、行くよ」

 文句の一つ二つでも言ってやろうと思ったのに、彼は手慣れた動きで馬車までエスコートしてくれて、言えずじまいだった。
 
   ◇
 
「レティシアさん、ファビウス家にようこそ」
「お義母様、本日はお招きありがとうございます」

 ノエルの育ての親である侯爵夫人は金色の髪を上品に結い上げた、絵に描いたような貴婦人だ。
 とても綺麗な人だけど、どこか冷たい印象を与える顔立ちで、今も笑顔を向けてくれているけど内心ビクビクしてしまう。

「今日は話したいことがたくさんありますの。来てくれて本当に嬉しいわ」

 話したいこと、ですか。どんなことなんだろ。
 ソフィーは敵と思っちゃいけないというけれど、なにか裏がありそうで警戒してしまうわ。

 だって、前回お会いしたときは見事に無視されていたというのに急に態度が変わったんですもの。

「どうぞ、こちらへ」

 お義母様に案内された先は庭園だ。
 よく手入れされており、鮮やかで美しい花たちが咲き誇っている。

 そのまま、おとぎ話にでてきそうな白い透かし彫りのテーブルセットの前に案内された。
 
「わあ、綺麗な茶器ですね」
「ありがとう。私が選んだものなの」

 とりあえず褒めてわっしょいする。
 好感度を上げていって円滑なコミュニケーションを築けるように頑張るわ。

 ノエルの方を見ると、この場は私に任せてくれているようで、優雅に紅茶を飲んでいる。
 私も倣ってティーカップを手に持つ。

「紅茶もすてきなかお、り、ですね」

 香りを嗅いでみて、衝撃のあまり、ティーカップを落としそうになった。

「あら、レティシアさん、どうしたの?」
「と、とてもいい香りで、驚いてしまいましたの」

 そう返すのが精いっぱいだ。
 とんでもないものの香りがするものだから、心臓がバクバクいっている。
 
 この甘い香りは前に一度だけ魔法薬学教員合同研究会で嗅いだことがあって、私の記憶が正しければ、毒を持つウェネーヌムの花の香りだ。

 うそ、でしょう?
 そんなものがどうして紅茶の中に?

「どうぞ召し上がってください」

 顔を上げれば、お義母様が私の一挙一動を見ている。
 飲むふりだけでもした方がいいかしら。

 そんなことを考えていると、ノエルが私の手を掴んで止めてきた。

「レティシアはやめといた方がいい。甘い香りの紅茶は苦手だろ?」
「え、ええ」

 ノエルも毒に気づいているみたいで、私の手からティーカップを奪ってくる。
 さっきまで平気な顔して飲んでいたけど、同じ香りがするということは彼の紅茶の中にも毒が入っているはずだけど。

「あら、残念ね。この紅茶は国王陛下が今日のお茶会のことを聞いて贈って下さったのに」

 くそぉぉぉぉ。
 やっぱりそいつの差し金なのか。

「ノ、ノエルも甘い紅茶は苦手でしょう? 口直しに水を飲むといいわ」

 飲んでしまったのなら、体内から出さないといけない。
 使用人に言いつけて水を持ってこさせた。

 ノエルに水の入ったグラスを渡すけど、ノエルの手は震えていて、グラスを落としてしまった。
 ガシャンと、グラスが音を立てて割れる。

「ノエル! ノエル、早く水をたくさん飲んで!」

 ノエルの顔色は良くなくて、息は粗くなってきている。
 どうしよう。だいぶん毒がまわってきてるのがわかる。

 けれど、新しく持ってこさせたグラスに水を入れても、ノエルは飲んでくれない。
 彼はしんどそうに大きく溜息をつくと、お義母様を睨みつけた。

「母上、毒が入っているのを知っておきながらこの紅茶を出しましたね? あなたは一口も飲んでいなかったからおかしいと思いました」
「いいえ、知らなかったわ」

 お義母様の声は抑揚が無くて、血が繋がってないとはいえ自分の息子が毒で苦しんでいるのに冷静で、淡々と答えている。

「どうして、彼女に手を出すんですか!」
 
 ノエルは勢いよく立ち上がって、テーブルを叩いた。
 彼らしくない、怒りに満ちた表情でお義母様を睨みつける。

「ノエル、落ち着いて」
「できるものか! レティシアが命を落としていたかもしれないのに!」

 その怒りに呼応するように空には暗い色の雲が立ち込め始めた。

 ノエルを、止めなきゃ。

 その一心で、ついでに言えば、ノエルの毒のことで頭がいっぱいだったのもあって、ノエルをめがけて突進してしまっていた。

「とりゃっ!」
「っレティシア?!」

 思いのほか勢いがついてしまって、ノエルは私を受け止めてくれたまま尻もちをついてしまう。

 けっこう痛かったよね。ごめん。

「ううっ……」

 痛そうに呻くノエルだけど、私を安心させるように、片手で頭を撫でてくれた。

「ノエル、ごめん」
「信じらんない、弱ってる人間に体当たりしてくるなんて」

 恨み言が聞こえてきて彼の顔を見ると、眉尻を下げて、困ったような笑顔を向けてくれている。

 お茶会は中止になって、私はノエルを看病することにした。
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