【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
◇
学園に送る馬車の中で、レティシアが不意にこちらを向いた。
さらりと肩を流れる彼女の髪を、つい目で追ってしまいそうになる。
「ねえ、ノエルの好きなものってなに?」
そう聞いてくる表情は真剣で、眼鏡の奥では澄んだ栗色の目には僕の顔が映っている。
これまでに自分の好みを聞かれた時は、差し障りのないものや会話が弾みそうなものを選んで答えていたけど、僕の気持ちを聞かせて欲しいと言ってくれた彼女に対しては、そうしたくなかった。
「好きなもの、か。レティシアがくれたあの紅茶は、好きだよ」
「あら、それならいくらでも作るわよ」
顔を綻ばせて嬉しそうにしている姿を見ると、もっと言いたくなる。
「髪を下ろしてるレティシアも、好きだ」
「あーなるほどー……へっ?!」
レティシアは文字通り、驚愕して固まっている。
ここで頬を染めてくれたらいいんだけど、一筋縄ではいかないこの婚約者さんからそんな雰囲気は微塵もなくて。
「へ、へー。そっか。それなら普段も下ろしてみようかしら。あ、下ろしたらみんなが認識してくれないからダメだわ」
それでも、髪を触りながら視線を泳がせて、しどろもどろに話し始めたから、少しは、意識してくれたかなと期待してしまう。
「他の人には見せないでね」
彼女のいつもと違う姿は、自分だけが知っていたいから。
そんな気持ちを込めて言ってみるけど、彼女は気の抜けた声を上げて、非難めいた顔になる。
「それって、似合ってないから?! ヘンテコだから面白くて好きってこと?! ひどくない?!」
「どうやったらそんな解釈になるの?」
この婚約者さんは、とにかく鈍いから困る。
自分の恋愛には鈍くて、想像の斜め上の考えを持っているから、どうもうまく伝わってくれない。
僕が面と向かって言っていないせいでもあるんだけど。
「すごく、似合ってるよ」
「え、あ、はい。ありがとう、ございます」
「さらさらしていたし、もっと触れたかったな」
「あ、あの。ノエル?」
彼女は真っ赤になった顔の前に両手を突き出して、その後ろに隠れてしまった。
いつもの元気いっぱいな彼女からは想像できないほどたじろいでて、かわいすぎるから困る。
「ノエル、なんか顔近いし、照れるからもうやめて。褒められ慣れてないから。それに、私はノエルが好きなものを聞いてるのよ?」
「だから好きなものを答えたじゃないか」
「なんだか、私に合わせてくれているようなものばかりだったんですけど? もっと他にないの?」
「ないよ」
「嘘つかないでよ」
「本当だよ」
本当なんだけど、彼女は信じてくれなくて、睨みつけてくる。
「ないの?」
「うん。だからこれから、好きなものを一緒に見つけて欲しいな」
彼女は頼られるのに弱い。
その証拠に、先ほどまで顔を隠していた手を下ろして、また僕の顔を見てくれた。
「仕方がないわね。つきあってあげる」
今の彼女にとって僕は、協力関係にある知り合い程度で、だからどんなに恋人めいたことを言ってもちっとも気持ちが伝わらないのはわかっている。
いつか、彼女の中で僕の存在が特別になってくれたら、なんて希望を持ってしまう。
僕の中ではもうすでに、かけがえのない存在だから。
「レティシア、僕のために怒ってくれて、ありがとう」
「当然のことを言っただけよ」
心配になって応接室に行った時には、レティシアは母上を睨みつけていた。
――『ノエルの気持ちは、どうなるんですか? たしかにノエルは完璧だけど、人間ですよ。寂しがり屋で、傷ついたりもします』
彼女の言葉が、ただただ嬉しかった。
幼い頃、大人たちに訴えていた気持ちを、今になって、彼女が聞いてくれたような気がした。
もし、過去の自分に会えるなら、言ってあげたいと思う。
君は未来で、突拍子もないけど愛情に溢れた人に出会って、彼女は手を差しのべて助けてくれるから、今は頑張れと。
◇
職員寮へと入っていくレティシアを見送ってしばらくして、ミカが扉を開けて出て来た。
「ミカ、あれからモーリア卿は来てないか?」
「ええ、全く姿を見ません。きっとご主人様の忠告が効いたのでしょう」
モーリア卿は厄介な人だった。
弟君のことを大切にしていると自他ともに認めているからこそ、レティシアへの気持ちに気づかずに彼女に会いに来ていた。
弟を使って婚約者に近づくなと忠告したら、ようやく気づいたようだったけど。
モーリア家の使用人たちの立ち話が聞こえてこなかったら、僕も知らずにいたかもしれない。
気難しいモーリア卿が、レティシアの前では柔らかな微笑みを向けてると。
今日も学園に行ったのは、弟君が学園に戻れば彼女に会えなくなるから自ら会いに行ったのではないかと。
聞いた時には、いてもたってもいられなかった。
もしもレティシアが彼と話していて惹かれてしまったらと、不安に駆られた。
「他にも、敵はいそうだな」
これ以上、彼女に惹かれる輩が現れては困る。
脅威が現れないように、未然に防ぐしかない。
レティシア・ベルクールは誰の婚約者であるか、知らしめておかないといけないようだ。
学園に送る馬車の中で、レティシアが不意にこちらを向いた。
さらりと肩を流れる彼女の髪を、つい目で追ってしまいそうになる。
「ねえ、ノエルの好きなものってなに?」
そう聞いてくる表情は真剣で、眼鏡の奥では澄んだ栗色の目には僕の顔が映っている。
これまでに自分の好みを聞かれた時は、差し障りのないものや会話が弾みそうなものを選んで答えていたけど、僕の気持ちを聞かせて欲しいと言ってくれた彼女に対しては、そうしたくなかった。
「好きなもの、か。レティシアがくれたあの紅茶は、好きだよ」
「あら、それならいくらでも作るわよ」
顔を綻ばせて嬉しそうにしている姿を見ると、もっと言いたくなる。
「髪を下ろしてるレティシアも、好きだ」
「あーなるほどー……へっ?!」
レティシアは文字通り、驚愕して固まっている。
ここで頬を染めてくれたらいいんだけど、一筋縄ではいかないこの婚約者さんからそんな雰囲気は微塵もなくて。
「へ、へー。そっか。それなら普段も下ろしてみようかしら。あ、下ろしたらみんなが認識してくれないからダメだわ」
それでも、髪を触りながら視線を泳がせて、しどろもどろに話し始めたから、少しは、意識してくれたかなと期待してしまう。
「他の人には見せないでね」
彼女のいつもと違う姿は、自分だけが知っていたいから。
そんな気持ちを込めて言ってみるけど、彼女は気の抜けた声を上げて、非難めいた顔になる。
「それって、似合ってないから?! ヘンテコだから面白くて好きってこと?! ひどくない?!」
「どうやったらそんな解釈になるの?」
この婚約者さんは、とにかく鈍いから困る。
自分の恋愛には鈍くて、想像の斜め上の考えを持っているから、どうもうまく伝わってくれない。
僕が面と向かって言っていないせいでもあるんだけど。
「すごく、似合ってるよ」
「え、あ、はい。ありがとう、ございます」
「さらさらしていたし、もっと触れたかったな」
「あ、あの。ノエル?」
彼女は真っ赤になった顔の前に両手を突き出して、その後ろに隠れてしまった。
いつもの元気いっぱいな彼女からは想像できないほどたじろいでて、かわいすぎるから困る。
「ノエル、なんか顔近いし、照れるからもうやめて。褒められ慣れてないから。それに、私はノエルが好きなものを聞いてるのよ?」
「だから好きなものを答えたじゃないか」
「なんだか、私に合わせてくれているようなものばかりだったんですけど? もっと他にないの?」
「ないよ」
「嘘つかないでよ」
「本当だよ」
本当なんだけど、彼女は信じてくれなくて、睨みつけてくる。
「ないの?」
「うん。だからこれから、好きなものを一緒に見つけて欲しいな」
彼女は頼られるのに弱い。
その証拠に、先ほどまで顔を隠していた手を下ろして、また僕の顔を見てくれた。
「仕方がないわね。つきあってあげる」
今の彼女にとって僕は、協力関係にある知り合い程度で、だからどんなに恋人めいたことを言ってもちっとも気持ちが伝わらないのはわかっている。
いつか、彼女の中で僕の存在が特別になってくれたら、なんて希望を持ってしまう。
僕の中ではもうすでに、かけがえのない存在だから。
「レティシア、僕のために怒ってくれて、ありがとう」
「当然のことを言っただけよ」
心配になって応接室に行った時には、レティシアは母上を睨みつけていた。
――『ノエルの気持ちは、どうなるんですか? たしかにノエルは完璧だけど、人間ですよ。寂しがり屋で、傷ついたりもします』
彼女の言葉が、ただただ嬉しかった。
幼い頃、大人たちに訴えていた気持ちを、今になって、彼女が聞いてくれたような気がした。
もし、過去の自分に会えるなら、言ってあげたいと思う。
君は未来で、突拍子もないけど愛情に溢れた人に出会って、彼女は手を差しのべて助けてくれるから、今は頑張れと。
◇
職員寮へと入っていくレティシアを見送ってしばらくして、ミカが扉を開けて出て来た。
「ミカ、あれからモーリア卿は来てないか?」
「ええ、全く姿を見ません。きっとご主人様の忠告が効いたのでしょう」
モーリア卿は厄介な人だった。
弟君のことを大切にしていると自他ともに認めているからこそ、レティシアへの気持ちに気づかずに彼女に会いに来ていた。
弟を使って婚約者に近づくなと忠告したら、ようやく気づいたようだったけど。
モーリア家の使用人たちの立ち話が聞こえてこなかったら、僕も知らずにいたかもしれない。
気難しいモーリア卿が、レティシアの前では柔らかな微笑みを向けてると。
今日も学園に行ったのは、弟君が学園に戻れば彼女に会えなくなるから自ら会いに行ったのではないかと。
聞いた時には、いてもたってもいられなかった。
もしもレティシアが彼と話していて惹かれてしまったらと、不安に駆られた。
「他にも、敵はいそうだな」
これ以上、彼女に惹かれる輩が現れては困る。
脅威が現れないように、未然に防ぐしかない。
レティシア・ベルクールは誰の婚約者であるか、知らしめておかないといけないようだ。