このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 ノエルになにかあったらどうしようと、瞬く間に不安が広がっていく。

「ジル、ノエルは、無事よね?」
「当り前だ。ご主人様はこの世で一番強いお方なんだぞ!」

 ぷんすこと怒ってくるジルを見ると安心した。
 嘘がつけないジルのことだもの、なにかあったら顔に出てるわよね。

「まずはこの子を手当てしてあげなきゃいけないわね」
「よしてください。まずは魔術省に連絡しましょう。ドラゴンなんて凶暴で、なにをしてくるかわからないんですから」

 過保護なフレデリクに止められてしまうけど、だからといってボロボロになった子供のドラゴンを見過ごすわけにはいかない。
 だって、こんなに小さいのに必死で痛みに耐えているんですもの、きっと不安で、苦しくて、怖がっているだろうに。

 せめてどれか一つは取り除いてあげたいと、思ってしまう。

「傷が深そうなのに放っておけないわ。ドラゴンが死んだ地には災いが起きるとも言われているし、やっぱり手当てしましょう」
「でも、この子とっても警戒してるよ」

 サラが不安そうに服を引っ張ってくる。
 彼女も心配してくれていて、ドラゴンに近づいて欲しくないんだろう。

 たしかに、私たちを見て唸り声を上げているドラゴンは近づいたら攻撃してくるかもしれないけど、ノエルに似ているあのドラゴンを放っておきたくなくて、少し近づいてみた。

「グルルルルッ」
「怖がらないで、傷をみせて欲しいの」

 言ってみたところで、ドラゴンの唸り声は止まない。
 わかっていたことだけど、そう簡単には触らせてくれなさそうだ。
 
 私がもし、こんな平凡なモブじゃなくて某アニメの姫姉さまみたいな力を持っていたら怖がらせないで手当てをできるのに。

 ……待てよ、もしかしたらあのドラゴンは私が恐るおそる近づいているから、なおさら不安になって警戒しているのかも。
 きっと、一気に距離を詰めないと、こちらの恐怖心が伝わって更にドラゴンを怖がらせてしまうかもしれないわよね。

 いい作戦を思いついたわ。
 その名も、【速攻アタックでがっちりホールド☆作戦】!

 先手必勝&反撃上等、固着状態を脱したいなら、とにかく行動あるのみだ。

「とりゃっ!」

「「先生?!」」
「メガネ?!」
「小娘!」
「レティシア様!」

 みんなの声を背にしてドラゴンめがけて飛び込むと、ごつごつとした鱗が頬に当たった。

「キューッ」
「いててて……」
 
 そのまま地面に倒れ込んで体を思いっきり打ちつけてしまったけど、腕の中にはドラゴンがいる。
 ジタバタと暴れて逃げようとしていたドラゴンが、ふと動きを止めた。

「あらっ? おとなしくなった!」
「メガネの匂いを嗅いでる……」

 フレデリクがぽかんとしてこちらを見ていて、視線を腕の中に移すと、ドラゴンが腕に鼻先をこすりつけてきて、フンフンと匂いを嗅いでいる。

「もしかしたら、ベルクール先生から薬草の匂いがするから警戒心が薄れたのかもしれませんね。魔獣たちは薬草から治癒の力をもらうから薬草の匂いを嗅ぐと落ち着くと言われていますし」

 アロイスがそう言って近づくと、ドラゴンは彼を睨みつけて再び唸り声を上げる。

「ふふーん! 偉そうな顔してるアロイス殿下は気に入らないって言ってるー!」

 サラが指さして嘲笑うと、アロイスはさもめんどくさそうに一瞥した。

「妄想と現実を混同させないでください。君だって警戒されているじゃないですか」
「どうやらメガネ以外には懐かなさそうだな」

 たしかに、サラたちには唸り声を上げているけど、大人しく抱っこされてくれている。
 どうやら私が準備室まで運んで手当するしかないようだ。

 そろりと持ち上げてみると持ち上がらなくて、力を込めて勢いをつけて抱き上げた。

「重っ!」
「俺たちは触れられないんで頑張ってください」

 フレデリクはそう言うと、自分の外套をドラゴンにかけて隠してくれた。
 彼なら軽々と持ち上げられるだろうけど、近づくだけでドラゴンが唸ってしまうため、交代できそうにない。

 明日の筋肉痛を覚悟して、この重い生き物を学園に運んだ。

   ◇

 ドラゴンはとっても疲れていたみたいで、抱っこしている間は大人しくしてくれていた。
 準備室に戻って傷薬を作っていると物珍しそうに手元を覗き込んでいて、その姿をサラは「猫みたいでかわいい」と言って口元をによによさせて見ている。  

「しみるけどガマンしてね」
「キューッ」

 言葉が伝わったのか、ドラゴンは薬を塗ると痛そうな顔をしているけど、ぎゅっと目を閉じて大人しくしてくれていた。

「すっかりベルクール先生に懐きましたね」

 アロイスがしげしげと覗き込んでくる。
 包帯を巻いてあげているとドラゴンはスリスリと頬擦りしてきて、かわいいけど包帯が綺麗に巻けないから困る。

 手をこまねいていると、サラにこにこと笑って手を叩く。

「こんなに懐いてるとメガネ先生が名前を呼んだら飛んできてくれそうだねー」
「名前、ねぇ」

 実はもう、名前は決めてしまっていた。

 艶やかな黒い鱗がノエルのさらっさらの黒髪と似ていて、紫水晶のような目でじいっと見つめてくる表情も、なんだか彼のようで。
 そんなドラゴンを抱っこしているうちに、思い浮かんだ名前がある。

「今日から君の名前は、ナタリスね」
「名前をつけるな。こういう生き物は妖精とは違って人と深く干渉してはならんのだ」

 ジルが間髪入れず注意してきた。

 ジルが言っていることは、生物学のルドゥー先生も言っていた。
 わかっているけど、こんなにも近くにいるとドラゴンと呼ばずに名前で呼びたくなってしまう。
 ナタリスは人の言っている言葉が分かるようで、小首を傾げてじいっと聞いてくれているから、なおさらだ。

「ナタリス、あなたの名前よ。どうかしら?」
「クェェェェッ!」

 ナタリスはひと声鳴くと、私の膝の上に顎を置いた。
 ずしっとした重みと、ポカポカとした体温がかすかに伝わってくる。

 強くて凶暴なイメージのドラゴンも、こんなにも甘えてくるとかわいく見えてしまう。
 まるで人懐っこい大型犬みたいなんだけど。

 頭を撫でてみると、気持ちよさそうに目を閉じて、頭を押しつけてくる。
 ゴツゴツした鱗だけど掌の感覚ってわかるのかしら。
 異世界の生き物の体って不思議ね。

「やい、小娘。さっさとそれを捨ててこい!」
「嫌よ。まだ傷が治ってないのに一人にさせられないわ」
「つべこべ言わずに外に出せ! ――フギャッ」

 くどくどと言ってくるジルを、ナタリスがしっぽでふっ飛ばした。

「レティシア様、早くこのドラゴンを外に帰しましょう。あなたの近くにドラゴンがいると知れば、ご主人様が心配してしまいます」
「でも……」

 ミカはそう言うけれど、弱ったままの子どものドラゴンを追い出すなんてできないわよ。
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