このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
「ノエルはこっちの端を持って」
「わかった。この辺に飾るの?」
「そうよ」

 冬星の祝祭日の本祭となり、私とノエルは準備に追われていた。
 ノエルは朝早くから来てくれて、教室の飾りつけを手伝ってくれている。

「――っ」

 壁につける飾りを持ってくれていたノエルが、不意に顔を顰めた。
 とても痛そうに右手をぎゆっと握りしめている。

 見ていると私も手が痛くなった。

「大丈夫?! 切っちゃった?」
「いや、今朝打ちつけたところが痛くなっただけだよ。どうってことない」

 どうってことないと口では言っていても、ノエルは手の甲を隠して、見せてくれない。
 それがなんだか、隠し事をしている子どものように見えて、訝しく思った。

「見せて。怪我をしてるなら早く治療しないと治らないでしょ?」

 私には無茶するなとかなんとか言ってくるくせに、自分のことは棚上げかい?
 
 ノエルはいっこうに見せようとしなくて、仕方がないから彼の手を掴んだ。

「レティシア、待ってくれ」
「待たない!」

 手を引き寄せて見てみると、甲に大きな痣ができていた。しかも、どう見てもただの痣には見えなくて。

「これ、どういう魔法印なの?」
「……」

 明らかに呪術でつけられたものだ。

 ドラゴンや星のような模様が並んでいて、なにかを意図している印であるのは一目瞭然だ。

 呪術に使われた魔法印の実物を見るのは初めてだけど、自然にこんな模様みたいな痣ができるわけがないもの、間違いないわ。

「魔法で見えなくしていたのが、効果が切れてしまったのね。痛いはずなのに、どうして隠して黙ってたの?」
「……ごめん」

 決まり悪そうな顔をされると、これ以上は問い詰めるのが憚られる。

「痛みを和らげる塗り薬を、作っておくから」
「ありがとう」

 なにかの紋章にも見える形のその痣は、青黒くなっていて、簡単には治らなさそうだ。
 今までは痛そうにしている素振りなんてなかった。

 きっと、この痣ができたのはつい最近。
 それも、出張に行った先でできたんじゃないかと、思ってしまう。
 
「ノエル、出張でなにがあったの?」
「仕事のことだから言えないよ」
 
 彼の言うことは正しい。

 魔術省の仕事は機密事項が多いから、私みたいな平凡な国民が知ってしまうのはよくないのはわかってるけど、それでも、彼がゲームの中のノエルと同じ道を歩かないようにするためには、知っておきたい。せめて、苦しみを和らげてあげられるくらいには。

 けれど、今のノエルの信頼度では、まだ無理なのかもしれない。

 それなりに信頼してもらえているのかもと思っていただけに、隠されたのが悲しかった。

「それでも、痛いとか、苦しいとか、そういうことは隠さないで欲しいの」
「レティシア……」
「信用できないかもしれないけど、苦しんでるあなたを放っておきたくないのよ」
「違うんだ、信用できないとかじゃなくて……!」

 ノエルが私の肩を掴んできた時、ガラッと扉が開いて、サラたちが入ってきた。

 私はまあ、落ち込んでいるわけでして、ノエルは弁明するような顔でそんな私の両肩を掴んでいるわけでして、まあ、タイミングがよろしくない登場となった。

 沈黙が降りて、暖炉の薪がぱちぱちという音だけが聞こえてくる。

 ヒロインと攻略対象と悪役令嬢が並んでいると壮観だなぁ、なんて考えて現実逃避してると。

「痴話喧嘩の最中ですか?」

 セザールが楽しそうに探りを入れてくる。
 楽しそうっていうか、実際に楽しんでいるんだろうけど。

 もはや鬼畜メガネを通り越して性悪ね。

 気まずくなっていると、イザベルが手を叩いて前に出てくる。

「さ、みんなで手分けして準備しますわよ」

 彼女が仕切ってくれたおかげで気まずい雰囲気はすぐに消えて、みんなパーティーの準備にとりかかってくれた。

 ノエルはアロイスとセザール、そしてフレデリクと一緒に飾りつけをしてくれて、私とサラとイザベルとディディエはケーキ作りのために食堂へと向かう。

 教室を出る前にチラッと振り返ると、ノエルはアロイスと談笑している。
 もうすっかりわだかまりが解けたように見える。
 セザールがやって来てなにか囁くと、ノエルは顔を赤くして小突いた。

 その様子は、ごくごく普通の先生に見える。
 前世で働いていた学校でも見たような、生徒と慕われている先生の、とりとめもない日常のひとこまのようで。

 だから、あの手の痣は呪術の印に違わないけど、きっと、生徒たちを傷つけるものではないと、信じてる。
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