このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 ドレスは決まった。
 かつて社交界の薔薇ともてはやされたお義母様が選んでくださったから確かな見立てのはずだ。

 相変わらずの親バカ具合だったけど、おかげで心配事が一つ減ってくれたのには感謝している。

 お次の不安といえば、ダンスだ。

「久しく踊ってないわね」

 両親にせっつかれて舞踏会に行っていたけど、だいたい壁にくっついていたし、あの時は、ジスラン様をずっと見ていたから自分が踊るなんてことはなくて。
 だけど彼が婚約すると聞いてからは気が乗らなくて舞踏会から離れたのよね。

 私が前世の記憶を思い出すきっかけとなったヤケ酒は、彼の婚約を聞いたからだ。
 幼馴染で、オリア学園も一緒だったジスラン様。
 不思議と今は彼のことを思い出しても落ち込まなくなった。

 ここ最近はいろんなことがあったから上手く気持ちを切り替えられたのかもね。
 しみじみと昔を振り返っていると、ジルが足元で騒ぎ始めた。

「やい、小娘! ちゃんと練習しておけよ。ご主人様に恥をかかせたらただじゃおかないからな!」
「うるさいわね。それならジルが一緒に練習してくれる?」

 ジルの前足を持ち上げてみると、ジルは慌ててジタバタとする。

「やめろ! 手を離せ!」
「あら、ジルが練習相手になってくれないと一人じゃ踊れないわ」

 冗談でジルの前足を動かしつつ、ついでに肉球の触り心地を堪能していると、クスクスと笑う声が聞こえてきた。
 振り返るとノエルがいて、あっという間に手を取られてしまった。

 すぐ後ろにいたのに気づかなかった。
 いつからいたんだろ?

「ジルは仕事中だから勘弁してあげて」
「練習しておけって言ってくるからつき合ってもらったのよ」
「じゃあ、僕と練習しよう」

 ノエルはぐっと引き寄せてきて、ナチュラルに腰に手を回してくる。
 その動きは手慣れていて、気づけば彼はステップを踏み始めていて、私もつられて足を動かしている。

「わ、私、全然ダンスしてなかったから急にはできないわ」
「それなら力を抜いて僕に任せて」

 いち、に、いち、に、とかけ声に合わせてリードしてくれている。
 ときどきターンとかステップのアドバイスを交えてくれていて、ただノエルに合わせて動いてるだけなのに、足が絡まることなく、ちゃんと踊れている。
 
「踊りやすい……ノエルは慣れているのね」
「仕事のつきあいとかで踊ることが多かったからね」

 そっか、忘れてたけどノエルって社交的でいろんな人と会ってるもんね。

 当然、舞踏会も私より断然行っているだろうし、そこでは女の人とこうやって、踊りながら話したりもしてるのよね。

 魔術省の役人だし、なんやかんやいって侯爵家の次期当主だから、それなりに人づきあいが必要になってくるのよ、ね。

 急に、彼が遠い存在のように思える。
 それがなんだか寂しくて、ちょっとだけ視線をそらした。すると、視線の先に見慣れたオレンジ色の髪の生徒と、赤い髪の男性が見えた。
 
「あ、ファビウスせんせー、こんなところにいたー! お客さんですよー!」

 オルソンの後ろには、ダルシアクさんがいる。
 魔術省のローブを着てきて、彼も仕事の後に立ち寄ったようだ。

「ローラン、」

 ノエルはぎゅっと手を握りしめてくる。
 痛くはないけど、まるで離れないようにしっかりと握ってくれてるようで、そっと彼の顔を見たけど、いつも通りの穏やかな表情でダルシアクさんを見ている。

「おいおい、学校の中でイチャつくなよ。少し話があるから時間をくれ」
「ここではできない話か?」
「そうだな。お楽しみのとこ悪いけど」

 ニヤリと笑うダルシアクさんに、ノエルはため息をついた。
 こんなやり取りをしている二人は、とても仲良さそうに見えるけど。
 でも、お義母様の言葉もあって、なにかが引っかかるような気もする。

「仕方がない。本当に少しだけにしてくれよ」

 ノエルはもう一度ぎゅっと手を握ってくると、ゆっくりと離してダルシアクさんについて行った。

 そんなわけで、私はオルソンと一緒に取り残されてしまう。

「ベルクールせんせ、ちょっとお話しませんか?」
「え、ええ。どうしたの?」

 先日のことがあったから、思わず足が動いて一歩下がってしまう。
 
 ノエル、早く帰ってきて。
 そんなことを願いつつ、オルソンに向き合った。
< 55 / 173 >

この作品をシェア

pagetop