このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
「お客さんにファビウスせんせーを盗られちゃったねー」

 オルソンは相変わらず、人の良さそうな微笑みを浮かべている。
 華やかな顔立ちに砕けた物言いの彼はすぐに他の生徒たちと馴染んでしまい、休み時間には彼の周りに人が集まっているのをよく見かける。

「ダンスの練習なら俺も相手できるよ?」
「あら、得意なの?」
「まあね、踊りながら女の子たちと楽しくお話しできるように練習したってわけ」

 前世の記憶のせいでちっともそうは見えないけど、オルソンは女の子が大好きなナンパ男なのよね。
 そういう設定で【オルソン・ドルイユ】を演じていて、名前も生い立ちも全て偽装している。
 彼のルートに進むと本名を教えてもらえるんだけど、そのときにシーアの王子であることを明かされるのよ。
 
 彼の本名は確か、スヴィエート・レヴ・シーア。
 異母兄弟たちをおさえて王座に上りつめて欲しいと願い、彼の母親がつけた名前だ。

「ふふ、理由は不純だけど、努力家ね」
「えー?! 立派な理由だと思うんだけどなぁ」

 オルソンは少し拗ねたような顔になると、すぐに手を取ってきて、踊り始めた。
 急に引っ張られて足が絡まってしまい、こけそうになったところを受け止められる。

 その様子を見ていたジルとミカが唸り声を上げた。
 以前とは違って、いまにも飛びかかりそうなほど殺気立っている。

 守ろうとしてくれているのは嬉しいけど、だからといってオルソンに攻撃して欲しくはない。
 
「二人とも、大丈夫だからそんなに警戒しないで」

 私もいまのオルソンは怖いけど、それでも彼にもまた、幸せになって欲しいと思っている。
 だから、私が怖がっていてはいけないんだ。

 堂々として、彼に向き合わなきゃいけない。
 一人の、教師として。

「使い魔を二匹もつけるなんて、ファビウスせんせーは本当にベルクールせんせーのこと、大切にしてるよね。せんせーのこと見てる時って人が違うように見えるもん」
「あら、そうかしら?」

 これは本心だ。
 わたしには砕けた口調になるけど、それ以外は他の人と変わりなく接してくれていると思う。

 それに、この二匹は見張りのためにつけられているんだし、オルソンが考えているようなものではない。

「んもー、鈍いなぁ。ファビウスせんせーがかわいそー」

 なぜか敵国のスパイにかわいそうな生き物を見るような目を向けられているんですけど、私がなにをしたって言うの?

 抗議しようにもすっかり彼のペースに乗せられてしまって、くるくると回されてしまう。
 目が回ってふらふらになるとようやく、オルソンは手を離してくれた。

 ぐるぐると回る視界の中で、彼は不敵に微笑んできている、ように見える。

「先生、なんのこと考えてる?」
「あなたのことよ」

 なんの目的で話しかけてきたのか気になるから、というのは伏せておくけど。

「嬉しいなぁ。でも、ファビウスせんせーが聞いたら嫉妬しちゃいそうだから、このことは内緒にしておくね」
「あら、隠し事は良くないわよ?」

 冗談のつもりで言ったら、オルソンはすっと目を細めた。

「せんせーは隠し事をされたくない?」
「そりゃあ、嫌よ」
「ファビウスせんせーに隠し事されたらどうする?」
「白状させるしかないわね」

 オルソンはプッと噴き出して笑い始めた。
 ようやく彼から解放されて、密かに距離をとる。

 お腹を押さえて笑う彼は、学生らしい、あどけなさが見え隠れしている。

「ベルクールせんせーってほんとうに面白いね」
「それは褒め言葉かしら?」
 
 その「面白い」って言葉、なんだか馬鹿にされているような気がするんですけど。

「悪い意味じゃないよー」

 そう言いながらも、オルソンは目尻の涙を拭いている。
 ぜったいに心の中では馬鹿にしているだろ、このやろう。

 じとっと睨むと、オルソンは無邪気な微笑みを隠していつもの表情になった。

「怒らないでよー! 気分を悪くしたお詫びに、いいこと教えてあげる」

 まったく悪びれる様子もないけど、本当に反省しているのかしら。

「せんせー、ドラゴンを贄にしてより強力な力を手に入れる方法があるって、知ってる?」
「知らないわ」
「人間の魔力には限界があるんだけど、ドラゴンの力を取り入れたら際限なく魔力を手に入れられるわけ」
「あら、初耳ね。そんなことして大丈夫なの? 体に異常が出るはずよ」

 自分でそう口にして、あることに気づいた。
 ゲームの中でノエルは、ドラゴンになった。

 彼は強力な魔力でサラたちの前に立ちはだかる黒幕。
 あの力は、人間のものではなかったはず。

「うん、そんなことをしたらまず、人間ではいられなくなるよ。それにね、その呪術は禁術とされているから、使った人には罰として消えない痣ができるの」

 オルソンの言葉で思い出されるのは、ノエルの手の甲にあった不思議な痣。
 
 怖くなった。
 ノエルがもう、闇堕ちしてしまったんじゃないかと、嫌な予感がしてしまう。 

 彼がそうならないようにしようと思っていたのに、もう手遅れなんじゃないかと思うと、頭の中が真っ白になりそうだ。
 それでもなんとか、平常を装った。

「いったい、どこでそんなことを聞いてきたの?」
「ここに来る前にね」

 ここに来る前なら、シーアで聞いたってことかしら。
 尋ねようにも、口にしてはいけないことだから言えなくて。
 
 そうこうしているうちにノエルが戻ってくると、オルソンは「またねー」といって消えてしまった。

   ◇

 ほどなくしてノエルが戻ってきた。

「ドルイユになにかされなかった?」

 覗き込んでくるノエルの顔を見ると、先ほどの話を思い出してしまう。

「ううん、なにもされなかったわよ」
「よかった。練習の続きする?」
 
 差し出された手を、じっと見てしまう。

 この手の裏にあるあの痣がもし、ドラゴンを生贄にした代償なら、私は彼と、どう向き合っていったらいいんだろう?

 ノエルは、やっぱり私では止められないのかな?
 そう思うと、泣きそうになってしまって。

「いいえ、やらなきゃいけないことを思い出したからもういいわ」

 だからいまは、これ以上は彼の顔を見ることができなかった。
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