このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 あれからノエルとは変わりなく一緒に過ごしてきたけど、いちどノエルの手の甲が気になってしまうと、上手く会話が続かなかった。

 そんな私をノエルは心配してくれて、ますます混乱してしまう。

 ゲームのノエルとは違う顔を見えてくれる彼が、ゲームのノエルと同じ道を歩んでいるから。

 彼の未来は変わったと思ったのに、それは私の勘違いで、私は彼を闇から助けられなかったのかもしれない。
 それなら、私を心配してくれるノエルって、なにを考えているんだろ?
 考えれば考えるほど、憂鬱になる。

 そんな風に悩んでいるうちに、舞踏会に行く日になってしまった。

「お嬢様、着飾る前にそんなぶすくれたお顔をするのはお止めください。子どもじゃないんですから」

 今回もまた準備のために領地から来てくれたソフィーは、私の顔を見るなりため息をついてきた。

「私が舞踏会が苦手って、知ってるでしょ?」
「さあ、なんのことでしょうか」

 ソフィーはそう言うと、コルセットをグッと締めてきた。

「うぐっ! ソフィー、胃の中の物が出てしまうからもうちょっと緩めて!」
「お嬢様、舞踏会という戦場に行くんですから引き締めていかねばなりませんよ」
「だからって物理的に締めなくてもいいでしょう?!」

 相変わらず手厳しいソフィーはまったく聞く耳を持ってくれなくて、コルセットを緩めてくれることなく、淡々と準備を進めていく。

「素敵なドレスを仕立てていただいたんですね。ファビウス卿がお嬢様を想う気持ちが伝わってきます。このところずっと旦那様に手紙を送っていらっしゃいますし」
「ノエルが?」
「はい」
「お父様と手紙のやり取りをしてるの?」
「はい、お嬢様が好きな物はもちろん、ベルクール領のことを教えて欲しいと、何通も手紙をくださっているんですよ」

 ナニソレ初耳なんですけどー?
 たぶんそれ、大切に想ってくれてるんじゃなくて、私が実家を使って不穏な動きをしていないか探りを入れているんじゃ。

「ことに冬星の祝祭日前は頻繁に手紙のやり取りをされてました。お嬢様への贈り物にたいそう悩んでいたようですので、わたくしにも意見を求めてくださったんですよ」
「うそ、でしょう?」

 似合いそうだと思って選んでくれたと聞いていたのに、わざわざ私が好きそうなものを探してくれていただなんて、思いもよらなかった。

「お嬢様がお一人で行く舞踏会ではありません。ファビウス卿が傍にいてくれるんですよ」
「そう、だけど」
「きっと、お一人でいる時より何倍も楽しい時間になりますよ」

 ソフィーはいつものようにぎゅっと抱きしめてくれた。

「今日はお嬢様が初めてファビウス卿の婚約者として社交界に顔を出す日です。その新たな門出の準備ができて、ソフィーは嬉しいです。お嬢様を大切にしてくれる方との特別な日に、お嬢様を着飾ることができたんですから」
「……ありがとう」

 ノエルが私のことを本当はどう思っているのかわからない。
 それでも、馬車で迎えに来てくれたノエルが、目が合うなり顔を綻ばせて手を差しだしてくれると、嬉しくなってしまう。

「やっぱりそのドレス、似合ってるよ」
「ありがとう。ノエルの方こそ似合ってるわよ」

 そんな言葉なんて星の数ほど聞いてきただろうに、ノエルはとても嬉しそうな顔になって、馬車の中ではずっとにこにことしていた。

 この黒幕(予備軍)のことは、やっぱりよくわからない。

   ◇

「おやおや、ファビウス卿が女性を伴ってくるとはめずらしい」

 会場に着くとすぐに、ふくよかな男性が話しかけてきた。
 朗らかな笑みを浮かべているけど、なんだか油断ならない雰囲気があって、裏がありそうにも見える。

「サバティエ伯爵、ご無沙汰しております。自慢の婚約者をみなさんに紹介しようと思って、来てもらったんです。婚約者がいるのに縁談の話を持って来れられると困るので」

 ノエルがにっこりと微笑んで答えると、男性の口元がひくりとしたのが見えた。

 なるほど、この人が噂のサバティエ伯爵か。やり手そうね。
 お義母様の言う通り、油断したら足元をすくわれそうだから気を引きしめないといけないわ。

 モンスターペアレントを対処してきた経験を活かそうじゃないの。

「お初目にかかります。レティシア・ベルクールです」
「ほう、ベルクール伯爵家のご令嬢でしたか。あそこはうちと違って魔鉱石が採れないから苦労するでしょう?」

 くそう、真正面からマウントとってきやがった。
 ここは褒めてやり過ごすのに越したことはないわね。

「伯爵の領地は資源が豊かですものね。羨ましいですわ」

 心を菩薩にして「さしすせそ」で切り抜けるのよ!
 そう挑んでいると、ノエルが肩を引き寄せてきて。

「魔鉱石はなくとも、ベルクール家の領地には優秀な薬師がたくさんいて、広大な薬草の産地に、綺麗な湖もある。この国の人々を支える薬の大半を生産している、素晴らしい領地だと思うよ」

 あろうことか、褒め殺しにきた。

「そんな素晴らしい領地で育ってきた彼女とオリア魔法学園で出会えた僕は幸せ者です。伯爵もそう思いますよね?」

 そのうえ、会話の内容をすり替えてしまった。
 さすがはノエル。自分の土俵に持ってくるのが上手いわね。

「え、ええ。幸せそうなファビウス卿を見ていると本当にそう思いますね」

 サバティエ伯爵は言葉を詰まらせながらそう言うと、逃げるように去っていった。

「助かった。捕まると面倒だからいつも辟易してたけど、今日は伯爵との会話が楽しかったよ」
「……ノエルが楽しめてよかったわ」

 果たしてさっきのは会話だったのかしら。
 言葉と一緒に呪詛でも放たれていたんじゃないかと思うくらい体力を消耗したわ。

 ひと息つく間もなく、ノエルはいろんな人に話しかけられては、私を紹介してくれた。
 彼と話したがる人たちが波のように押し寄せてくるものだから、気づけばノエルは人だかりの中に消えてしまった。

 しかたがなく、フラーグムのジュースをもらって飲んでいると、ダルシアクさんがやって来た。

「婚約者を一人にするなんて、ノエルも迂闊だなぁ」

 彼もまた招待されていたようで、上品な灰色の上下を着ている。ワイングラスを片手に歩いている姿は様になっていて、周りの令嬢たちがチラチラと視線を送っている。

「ちょっとつき合ってくれない? 一人だと女の子たちに絡まれちゃうんだ」
「モテる人は大変ですね」
「お礼にノエルのこと教えてあげるからさ、頼むよ」

 ダルシアクさんには気をつけるようにとお義母様は言っていたけど、ノエルと一緒に国境付近に行っていたダルシアクさんなら、ノエルの痣についてなにか知っているかもしれない。

「いいですよ」

 彼の後に続いて、会場を出た。
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