【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 バルコニーに出ると夜風が吹いていて、少し肌寒い。
 温かい季節になったものの、夜はまだ冷えるのよね。

「ダルシアクさんはノエルの同期なんですよね? もしかして学校も一緒だったんですか?」
「いや、魔術省に入ってからのつき合いさ」

 ダルシアクさんはもともとノックス王国の生まれではないらしい。
 ディエース王国で生まれ育ち、わけあってダルシアク家の養子になったんだとか。

 お互いに養子ということもあって、ノエルとは意気投合したそうで。

「あいつは出会った時からモテてモテて、大変そうだったよ」
「ふふ、ノエルはいつも人気者なんですね」

 同僚の女性に始まり、上司の娘や、小さな王女様までもが彼をひと目見て頬を染めたんだとか。
 ある舞踏会でノエルと踊った令嬢が、魔術省舎まで毎日やって来てノエルを追いかけることもあったらしい。

「ノエルが人気者だからこそ、私、正直言ってこの舞踏会に行くのが怖かったんです。私みたいななんの変哲もない人間が婚約者になったんですもの。いろんな方に睨まれるのが分かっていましたから」

 実際に、さっきも会場では冷たい視線を向けてくる令嬢たちがいた。
 ノエルがずっと隣に居てくれたからなにごとも起こらなかったし、ダルシアクさんと会場を出たから事なきをえたけど。

「そうですね、あなたはあのお方にふさわしくありません」
「……え?」

 急にダルシアクさんの口調が変わって、声のトーンも別人のように変わってしまった。
 先ほどまでの陽気で人当たりの良い表情は消えて、なんの感情も読めそうにない顔で、私を見ている。

 まるで、先ほどまでつけていた【ローラン・ダルシアク】という仮面をはずしてしまったかのようだ。

「あのお方は強くて、復讐心を果たすために手段を選ばないその姿は芸術品のように美しかった。それなのに、」

 彼はさも忌々しそうに私を睨んだ。

「あなたと出会って、あのお方は変わってしまった。弱くて、あなたに振り回される、ただの人間に成り下がった。高潔な力を持つ、貴いお方であるのに!」

 ただの人間に成り下がるって、なんなのよ?
 あなたが勝手にノエルを崇拝して、勝手に失望したくせに。

 自分の理想をノエルに押しつけて、彼が苦しんでいるのに見ているだけって、あんまりにも身勝手すぎると思うんだけど?

 確かにダルシアクさんがノエル向ける目は、なにか違う。
 お義母様が表現していた通り、度の過ぎた尊敬だ。

「言っておきますけど、ノエルは完璧だけど、ただの人間には変わりありません。寂しがり屋で、傷つくことだってあります」
「違う! 違う違う違う違う!」

 ダルシアクさんは両手で耳を塞いで、私の言葉なんて全く聞こうとしない。
 頭をめちゃくちゃに振って拒絶するもんだから、彼の赤い髪はすっかり乱れてしまっている。

「あのお方はそんなものじゃない! 崇拝されるべき尊いお方だ!」

 なるほど。
 つまり、ダルシアクさんの推しというわけですね。

「今すぐ婚約破棄してあのお方の前から消えてください。あなたのせいで弱くなっていくあのお方の姿なんて、見てられません!」
「嫌です。だって、あなたはノエルの隣にいたって、苦しんでいるノエルを助けてくれないんでしょう? そうとわかってて彼から離れるわけにはいきません」
「まるでわかっていませんね。憎しみが人を強くするんです」

 平然と言ってのけたわね、このサイコパスめ。
 ノエルを尊敬するのはいいとして、推しの不幸を望むだなんて外道がすることよ。

「いい加減してください。推しに言うべきは『とうとい』『幸せになって欲しい』『生まれてきてくれてありがとう』なんですからね。ノエル担ならその辺をわきまえて欲しいわ!」
「……なにを言っているんですか?」

 真面目なことを言っているのにどうしてか、かわいそうなものを見るような目を向けられたんですけど。
 ダルシアクさんはまだまだわかっていないようね。

 私なら、アロイスがいきなりウザがらみする陽キャラになったとしても、彼が幸せならそっと見守るというのに。

「あのお方こそが王座に就くべき存在なんです。他に追随を許さない強力な魔力を持つ、やんごとなきお方、闇の王と呼ぶにふさわしいお方なんですよ」
「闇の王、ですって?」

 私の記憶が正しければ、ゲームの中でノエルをそう呼んでいた人物がいた。

 その人はノエルの仲間で、【赤い長髪の男】として登場していたちょい役。
 最終決戦前に主人公たちにノエルのことを密告して、彼のことを口にした瞬間に呪術で殺されてしまった。

 ゲームに出てきた姿も、似ている気がする。モブだからあんまり細かくは描かれていなかったけど。

 ノエルはもう、着実に復讐の準備を固めているんだ。私の知らない所で、ゲーム通りの道を歩いている。
 そのショックがあまりにも大きくて、眩暈がする。

 バルコニーと室内を仕切る窓ガラスにもたれかかろうとすると、誰かの手が背中を受け止めてくれた。見上げた先にいるのは、ノエルだ。

「ローラン、人の婚約者をこんなところに呼び出してナンパするなんて、いい度胸だな」

 地を這うような低い声を聞くと、私に対して言っているわけじゃないのに、足が震えてしまった。
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