【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
ジラルデとの決闘があった翌日、父上の執務室へ行き領地運営について報告をし終えると、珍しく呼び止められた。
嫌な予感がして部屋の中を見回してみるが、あの黒い封蝋をつけた手紙はない。
「剣を握ったそうだな」
ああ、そのことか。いつかは耳に入るとわかっていたが、次の日に知られているのはいくら何でも早すぎる。
一体、だれが話したのか。
その人物こそが国王と繋がっている可能性が高い。ロアエク先生に呪いをかけた人物は学園内にいるはず。レティシアが狙われる前に特定しなければ、こんどは彼女を狙うはずだ。
父上に探りを入れるか。
「ええ、生徒からの希望もあって、頼まれたんです」
「ああ、そのように言っていたな」
あの場にいた生徒たちが家族に手紙を送ったとしても父上の耳に届くのが早すぎる。そうなれば自然と、話した人物は大人に絞られるはず。
「どなたから聞いたんですか?」
「フォートレル卿だ。昨日急に騎士団の詰所に訪ねて来たと思ったらお前のことを話し始めたんだ」
体育教師のマルケス・フォートレルか。足を負傷するまでは騎士団に所属していた男だ。ロアエク先生が呪いにかかった時期はまだ、オリア魔法学園にいなかったはず。
呪いには関与していないだろう。
それならいったいなぜ、父上に話しに行ったのか?
そもそもあの決闘は問題にされるようなことではないはず。生徒の頼みで教師が相手をしただけの、学園では特に珍しくもないことだ。それにもかかわらず決闘があったその日のうちにオリア魔法学園から王宮まで飛んでいったとなると、国王陛下の差し金としか思えない。
新たな監視役といったところか。
「お前が魔術省にいるのは惜しいと言われた」
「そうですか。元騎士のフォートレル卿にそう言っていただけるのは嬉しいです」
「……本当は、騎士になりたかったのか?」
なにをたわけたことを。
内心嘲笑っていると久しぶりに父上と目が合った。
かつて怯えて見ていた青い瞳には、いまも鋭さはあるものの、あの頃のような恐怖心は湧いてこない。
「忘れてくれ」
返事をする間もなく遮られた。
「お前はいるだけで非常に目立つ。命が惜しいなら侯爵の爵位を譲るまで大人しくしておけ」
父上はそう言うと椅子に腰かけて資料に目を通し始め、部屋には沈黙が戻ってくる。
もうなにも話すことはないのだろう。こちらのことなど、まるで始めからいなかったかのように無視して仕事をし始めた父上は、家令に言いつけて他の資料を持ってこさせた。
いつもと同じ礼をとって部屋を出る。
けれど心の中は微かに波立っていた。
静かな夜の廊下を歩いていると、父上の言葉が頭の中を反芻する。
本当は、騎士になりたかったのか。
笑わせてくれる。なにになるのかもどうやって生きるのかも、選択肢を持ち合わせていない人間に向けて問いかけることではないはずだ。
「ははは……、そうだと言ったら、どうするつもりなんだ?」
ただの気まぐれか、それとも、相手もまた探りを入れているのか。
「侯爵の地位が何の力になる?」
どんな位だろうとこの国にいる限り国王に支配されている。あれを相手にするには何の抗力も持たないのは自分が一番わかっているだろうに、笑わせてくれる。
この国は僕からなにもかも奪おうとする。
初めは母親を、続いては自由を、そして意思を、それだけでは飽き足らず、大切な恩師を。
ロアエク先生が呪いにかけられた時のことを思い出すだけで怒りが込み上げてくる。血と共に禍々しい感情が全身を駆け巡るような錯覚がした。すると、レティシアから貰った指輪が月明かりを受けて光り、視界に映り込んだ。
控えめな光だが、レティシアに似た温かみを感じて落ち着く。
「レティシアに会いたい」
爵位を譲り受ける頃には彼女と結婚することになる。そうすれば毎日一緒にいられるのだと、それだけが励みになってこの一年の間、駆け回ってきた。
彼女はいま、なにをしているのだろうか。
ジルに問いかけてみると、寝る前に少しだけと言って薬草の本を読んでいるらしい。熱中して目が冴えそうだから、もう寝かせるそうだ。ジルはすっかり彼女を気に入って、世話を焼いてくれている。
二人のやり取りを想像しているだけで、荒立っていた波が凪いで穏やかな気持ちになる。
「おやすみ、レティシア」
どうかオリア魔法学園にいる彼女が今宵も、良い夢を見られますように。
そのためなら、厄介な力を押しつけて来た女神にも、素直に祈ることができる。
嫌な予感がして部屋の中を見回してみるが、あの黒い封蝋をつけた手紙はない。
「剣を握ったそうだな」
ああ、そのことか。いつかは耳に入るとわかっていたが、次の日に知られているのはいくら何でも早すぎる。
一体、だれが話したのか。
その人物こそが国王と繋がっている可能性が高い。ロアエク先生に呪いをかけた人物は学園内にいるはず。レティシアが狙われる前に特定しなければ、こんどは彼女を狙うはずだ。
父上に探りを入れるか。
「ええ、生徒からの希望もあって、頼まれたんです」
「ああ、そのように言っていたな」
あの場にいた生徒たちが家族に手紙を送ったとしても父上の耳に届くのが早すぎる。そうなれば自然と、話した人物は大人に絞られるはず。
「どなたから聞いたんですか?」
「フォートレル卿だ。昨日急に騎士団の詰所に訪ねて来たと思ったらお前のことを話し始めたんだ」
体育教師のマルケス・フォートレルか。足を負傷するまでは騎士団に所属していた男だ。ロアエク先生が呪いにかかった時期はまだ、オリア魔法学園にいなかったはず。
呪いには関与していないだろう。
それならいったいなぜ、父上に話しに行ったのか?
そもそもあの決闘は問題にされるようなことではないはず。生徒の頼みで教師が相手をしただけの、学園では特に珍しくもないことだ。それにもかかわらず決闘があったその日のうちにオリア魔法学園から王宮まで飛んでいったとなると、国王陛下の差し金としか思えない。
新たな監視役といったところか。
「お前が魔術省にいるのは惜しいと言われた」
「そうですか。元騎士のフォートレル卿にそう言っていただけるのは嬉しいです」
「……本当は、騎士になりたかったのか?」
なにをたわけたことを。
内心嘲笑っていると久しぶりに父上と目が合った。
かつて怯えて見ていた青い瞳には、いまも鋭さはあるものの、あの頃のような恐怖心は湧いてこない。
「忘れてくれ」
返事をする間もなく遮られた。
「お前はいるだけで非常に目立つ。命が惜しいなら侯爵の爵位を譲るまで大人しくしておけ」
父上はそう言うと椅子に腰かけて資料に目を通し始め、部屋には沈黙が戻ってくる。
もうなにも話すことはないのだろう。こちらのことなど、まるで始めからいなかったかのように無視して仕事をし始めた父上は、家令に言いつけて他の資料を持ってこさせた。
いつもと同じ礼をとって部屋を出る。
けれど心の中は微かに波立っていた。
静かな夜の廊下を歩いていると、父上の言葉が頭の中を反芻する。
本当は、騎士になりたかったのか。
笑わせてくれる。なにになるのかもどうやって生きるのかも、選択肢を持ち合わせていない人間に向けて問いかけることではないはずだ。
「ははは……、そうだと言ったら、どうするつもりなんだ?」
ただの気まぐれか、それとも、相手もまた探りを入れているのか。
「侯爵の地位が何の力になる?」
どんな位だろうとこの国にいる限り国王に支配されている。あれを相手にするには何の抗力も持たないのは自分が一番わかっているだろうに、笑わせてくれる。
この国は僕からなにもかも奪おうとする。
初めは母親を、続いては自由を、そして意思を、それだけでは飽き足らず、大切な恩師を。
ロアエク先生が呪いにかけられた時のことを思い出すだけで怒りが込み上げてくる。血と共に禍々しい感情が全身を駆け巡るような錯覚がした。すると、レティシアから貰った指輪が月明かりを受けて光り、視界に映り込んだ。
控えめな光だが、レティシアに似た温かみを感じて落ち着く。
「レティシアに会いたい」
爵位を譲り受ける頃には彼女と結婚することになる。そうすれば毎日一緒にいられるのだと、それだけが励みになってこの一年の間、駆け回ってきた。
彼女はいま、なにをしているのだろうか。
ジルに問いかけてみると、寝る前に少しだけと言って薬草の本を読んでいるらしい。熱中して目が冴えそうだから、もう寝かせるそうだ。ジルはすっかり彼女を気に入って、世話を焼いてくれている。
二人のやり取りを想像しているだけで、荒立っていた波が凪いで穏やかな気持ちになる。
「おやすみ、レティシア」
どうかオリア魔法学園にいる彼女が今宵も、良い夢を見られますように。
そのためなら、厄介な力を押しつけて来た女神にも、素直に祈ることができる。