【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
◇
ついに週末が訪れてしまった。
行楽日和と例えるのにふさわしい穏やかな天気に恵まれた今日、私はトラブルメーカーたちとラクリマの湖へ行く。
朝一番にサラとイザベルと一緒に食堂へ行って料理人たちからランチボックスを受け取り、本館の前に行くと、出入り口の前にもうグリフォンの馬車が到着していた。そしてダルシアクさんもまた到着していた。
ダルシアクさんは異国風のボタンデザインのシャツにズボンといった簡素な服装でノエルと話している。
私たちに気づくと、例の【気さくなお兄さん】って感じの笑顔を装備して手を振ってきた。
パッと見はいい人そうに見えるから性質《たち》が悪い。
生徒たちに手を出したら、絶対に許さないんだから。
特に王子であるアロイスを傷つけようもんなら下痢になる薬を喉に流し込んでやる。一生トイレから出られないようにしてやるんだから!
心の中で威嚇していると、後ろから手が回ってきて肩に重みを感じた。妙に甘ったるい香水の匂いがすると、ぞわりと悪寒が走る。
「わ~い、レティせんせも一緒だなんて嬉しいなぁ」
誰がこんなことをしてきたのかと思えば、オルソンだ。
おまけにいきなり至近距離で顔を覗き込まれるものだから、心臓が止まるかと思った。
どうしてこいつは、いつもいつも馴れなれしいんだ。頬をスリスリと擦りつけて、完全にじゃれついているようにしか見えないけど、敵国のスパイという彼の設定を知っているだけに、なにを考えているのかわからなくて冷や汗がでそうになる。
「オルソン、止めておけ。ファビウス先生が石化させる勢いで睨んでるから」
フレデリクがオルソンの腕を掴んで引き剥がしてくれた。
「そんなことないよ~? ファビウス先生は笑ってるじゃん~?」
「顔はな。顔は笑ってるけど、はらわたが煮えくり返ってるのが伝わってくるんだよ! 察しろよ!」
口を尖らせて抗議するオルソンを、フレデリクとディディエが二人して馬車の中に押し込めた。傍で見守っていたアロイスが最後に乗り込んで扉を閉める。流れるような連携プレーだった。
そんなこんなで、私はサラとイザベルと一緒の馬車に乗って、楽しい女子トークに心和まされていたんだけど、馬車は無情にも戦地に辿り着いてしまった。
できることならみんなを馬車に押し込んでそのまま学園に帰りたくて仕方がない。
今日がただの小旅行ならどれほど良かっただろうか。
外に出ると眼前に広がるのは澄み渡った湖に、目に優しい林の木々。それに加えて空気がおいしいのに、ちっとも心は晴れない。
そんな私の心配なんてちっとも知らないサラは、馬車を降りると湖に向かって一目散に駆けていく。
「せんせー! 湖のとこ行ってくるねー!」
「あわわわわ……落ちたら危ないからやめましょう! 土のあるとこにいましょう!」
慌てて引き留めようとするとフレデリクに止められる。
「子どもじゃないんだから大丈夫ですよ」
「いやいやいや、成人してないうちは子どもよ!」
そんな論争はどうでもいい。
なにか起こりそうだから湖には近づかないで欲しい。私の中のフラグ探知機が騒いでるのよ!
それなのに、サラは学園の外に出た開放感に浮かれて湖の前ではしゃいでいる。アロイスやイザベルも湖の前に行って二人で景色を楽しんでいて、見ていると生きた心地がしない。
ハラハラとして湖面の様子を窺ってみるけど、今は穏やかに凪いでいる。次いでフレデリクを見てみれば、林の木下で座って休んでいる。
杞憂なのかしら?
フレデリクが湖に近づかなかったらいいだけかもしれない。
心配する必要なんてないの、かも?
そんな甘い考えをしていたからだろうか。
「んぎゃー!!!!」
ディディエと一緒に昼食の準備をしていたらサラの叫び声が聞こえてきた。聞こえてきた時にはすでに湖面が波立ち、大きな渦が空へと伸びてゆく。
渦の中から女性の声が聞こえてきた。
「うるさいぞガキども! 人が失恋して感傷に浸っているというのに、お前たちは青春真っ最中か?!」
渦が消えると、水色の髪を靡かせた、美人で色っぽい女の人が現れた。
人ならざる美しさを持つ彼女こそが湖の精霊、ウンディーネだ。
しかしその綺麗な顔を歪めて、ゲームの画面で見た通りの般若のような表情をしている。
なんてこった。
パッと見る限りだとすでに怒りのレベルが最終段階まで到達しているようなんですけど。
なんで?
ゲームだとフレデリクがわざわざ呼ばないと出てこなかったはずなのに、なんで自分から出てきちゃってるの?!
しかも怒る理由がおかしいわよ。もはや八つ当たりじゃない。
「いいわよね、青春が石ころの如く転がってるガキンチョたちは。あんたたちには、やっと男を捕まえたのに逃げられた私の気持ちなんてわからないわよね!」
今にも癇癪を爆発させそうに肩を震わしているウンディーネ。
この人が失恋する運命が変わらない限りなにをしたってこのイベントが起きていた気がするわ。
分析するのは後だ。
いまはとにかくみんなの安全を守るのとバッドエンド回避が優先事項だもの。
怒らせてしまった精霊への対処は一つだけ。
おだてて機嫌を治してもらうのよ!
「騒がしくてごめんなさい。あなたの気分を害するつもりはなかったの。気高く慈愛に満ちた水の精霊への敬意はみんな持っていますので、お許しいただけませんか?」
まず讃えてから許しを請うのが鉄則らしい。
授業で聞いた時はこんな知識、活用すること機会なんて来ないと思っていたわ。皮肉なものね、こんな形で学生時代に学んだことが役に立つなんて。
「ええ、そうよ。あの人もいつもそう言っていたわ。でもね、許したらまた浮気してばかり。結局私は、慈愛に満ちた精霊ではなくて、ただの都合のいい女だと思われていただけよ!」
世の中は必ずしも知識通りに事が運んでくれるわけではないらしい。さっきよりもウンディーネの凄みが増した気がする。
ゲームではウンディーネは失恋していたとしか紹介されなかったけど、実際は浮気されて問い詰めたら逃げられたってところか。それは同情する。
でも、だからといってこの子たちに攻撃していい理由にはならない。
「きーっ! 人の目の前でイチャコラしやがって!」
ウンディーネが地団太を踏むと荒立つ波が蛇のような姿に形を変えてアロイスとイザベルに襲い掛かる。
アロイスに!
私の推しに!!!!
許さん!
ついに週末が訪れてしまった。
行楽日和と例えるのにふさわしい穏やかな天気に恵まれた今日、私はトラブルメーカーたちとラクリマの湖へ行く。
朝一番にサラとイザベルと一緒に食堂へ行って料理人たちからランチボックスを受け取り、本館の前に行くと、出入り口の前にもうグリフォンの馬車が到着していた。そしてダルシアクさんもまた到着していた。
ダルシアクさんは異国風のボタンデザインのシャツにズボンといった簡素な服装でノエルと話している。
私たちに気づくと、例の【気さくなお兄さん】って感じの笑顔を装備して手を振ってきた。
パッと見はいい人そうに見えるから性質《たち》が悪い。
生徒たちに手を出したら、絶対に許さないんだから。
特に王子であるアロイスを傷つけようもんなら下痢になる薬を喉に流し込んでやる。一生トイレから出られないようにしてやるんだから!
心の中で威嚇していると、後ろから手が回ってきて肩に重みを感じた。妙に甘ったるい香水の匂いがすると、ぞわりと悪寒が走る。
「わ~い、レティせんせも一緒だなんて嬉しいなぁ」
誰がこんなことをしてきたのかと思えば、オルソンだ。
おまけにいきなり至近距離で顔を覗き込まれるものだから、心臓が止まるかと思った。
どうしてこいつは、いつもいつも馴れなれしいんだ。頬をスリスリと擦りつけて、完全にじゃれついているようにしか見えないけど、敵国のスパイという彼の設定を知っているだけに、なにを考えているのかわからなくて冷や汗がでそうになる。
「オルソン、止めておけ。ファビウス先生が石化させる勢いで睨んでるから」
フレデリクがオルソンの腕を掴んで引き剥がしてくれた。
「そんなことないよ~? ファビウス先生は笑ってるじゃん~?」
「顔はな。顔は笑ってるけど、はらわたが煮えくり返ってるのが伝わってくるんだよ! 察しろよ!」
口を尖らせて抗議するオルソンを、フレデリクとディディエが二人して馬車の中に押し込めた。傍で見守っていたアロイスが最後に乗り込んで扉を閉める。流れるような連携プレーだった。
そんなこんなで、私はサラとイザベルと一緒の馬車に乗って、楽しい女子トークに心和まされていたんだけど、馬車は無情にも戦地に辿り着いてしまった。
できることならみんなを馬車に押し込んでそのまま学園に帰りたくて仕方がない。
今日がただの小旅行ならどれほど良かっただろうか。
外に出ると眼前に広がるのは澄み渡った湖に、目に優しい林の木々。それに加えて空気がおいしいのに、ちっとも心は晴れない。
そんな私の心配なんてちっとも知らないサラは、馬車を降りると湖に向かって一目散に駆けていく。
「せんせー! 湖のとこ行ってくるねー!」
「あわわわわ……落ちたら危ないからやめましょう! 土のあるとこにいましょう!」
慌てて引き留めようとするとフレデリクに止められる。
「子どもじゃないんだから大丈夫ですよ」
「いやいやいや、成人してないうちは子どもよ!」
そんな論争はどうでもいい。
なにか起こりそうだから湖には近づかないで欲しい。私の中のフラグ探知機が騒いでるのよ!
それなのに、サラは学園の外に出た開放感に浮かれて湖の前ではしゃいでいる。アロイスやイザベルも湖の前に行って二人で景色を楽しんでいて、見ていると生きた心地がしない。
ハラハラとして湖面の様子を窺ってみるけど、今は穏やかに凪いでいる。次いでフレデリクを見てみれば、林の木下で座って休んでいる。
杞憂なのかしら?
フレデリクが湖に近づかなかったらいいだけかもしれない。
心配する必要なんてないの、かも?
そんな甘い考えをしていたからだろうか。
「んぎゃー!!!!」
ディディエと一緒に昼食の準備をしていたらサラの叫び声が聞こえてきた。聞こえてきた時にはすでに湖面が波立ち、大きな渦が空へと伸びてゆく。
渦の中から女性の声が聞こえてきた。
「うるさいぞガキども! 人が失恋して感傷に浸っているというのに、お前たちは青春真っ最中か?!」
渦が消えると、水色の髪を靡かせた、美人で色っぽい女の人が現れた。
人ならざる美しさを持つ彼女こそが湖の精霊、ウンディーネだ。
しかしその綺麗な顔を歪めて、ゲームの画面で見た通りの般若のような表情をしている。
なんてこった。
パッと見る限りだとすでに怒りのレベルが最終段階まで到達しているようなんですけど。
なんで?
ゲームだとフレデリクがわざわざ呼ばないと出てこなかったはずなのに、なんで自分から出てきちゃってるの?!
しかも怒る理由がおかしいわよ。もはや八つ当たりじゃない。
「いいわよね、青春が石ころの如く転がってるガキンチョたちは。あんたたちには、やっと男を捕まえたのに逃げられた私の気持ちなんてわからないわよね!」
今にも癇癪を爆発させそうに肩を震わしているウンディーネ。
この人が失恋する運命が変わらない限りなにをしたってこのイベントが起きていた気がするわ。
分析するのは後だ。
いまはとにかくみんなの安全を守るのとバッドエンド回避が優先事項だもの。
怒らせてしまった精霊への対処は一つだけ。
おだてて機嫌を治してもらうのよ!
「騒がしくてごめんなさい。あなたの気分を害するつもりはなかったの。気高く慈愛に満ちた水の精霊への敬意はみんな持っていますので、お許しいただけませんか?」
まず讃えてから許しを請うのが鉄則らしい。
授業で聞いた時はこんな知識、活用すること機会なんて来ないと思っていたわ。皮肉なものね、こんな形で学生時代に学んだことが役に立つなんて。
「ええ、そうよ。あの人もいつもそう言っていたわ。でもね、許したらまた浮気してばかり。結局私は、慈愛に満ちた精霊ではなくて、ただの都合のいい女だと思われていただけよ!」
世の中は必ずしも知識通りに事が運んでくれるわけではないらしい。さっきよりもウンディーネの凄みが増した気がする。
ゲームではウンディーネは失恋していたとしか紹介されなかったけど、実際は浮気されて問い詰めたら逃げられたってところか。それは同情する。
でも、だからといってこの子たちに攻撃していい理由にはならない。
「きーっ! 人の目の前でイチャコラしやがって!」
ウンディーネが地団太を踏むと荒立つ波が蛇のような姿に形を変えてアロイスとイザベルに襲い掛かる。
アロイスに!
私の推しに!!!!
許さん!