【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 精霊だろうが神だろうが魔王であろうが、アロイスに手を出すのは許さない。守るためなら鬼にも修羅にもなってみせる。

凍れ(グラキエース)!」

 指先に力を込めれば、アロイスたちに覆いかかる水の蛇が凍ってゆく。彼らを呑み込む前に氷の彫刻のようになって動きを止めた。

 間にあって良かった。
 推しは無事だし、いまからは気兼ねなくお説教タイムとしよう。

 ウンディーネの怒りはまだまだ収まる様子がなく、悔しそうに歯噛みしている。人の命を脅かしたというのにちっとも悪びれた様子がなくてなおさら腹立たしい。

 あなたが気まぐれに消そうとしたのは命なのよ?
 それも、この世で最も尊い押しの命!

 軽く扱ってくれるんじゃないわよ!

「いい加減にしなさい! あなたがしてることはただの八つ当たりだわ!」

 ウンディーネは一瞬だけ身を竦ませたが、すぐに睨み返してくる。

「う、うるさいわね! こっちは失恋したところなんだから労わりなさいよ!」
「おだまり! しょうもない奴のせいであなたが落ちてしまってはいけないわ! いつまでもうじうじとして腐ってないで、もっとあなたを大切にしてくれる人を探しなさい!」

 さっきの調子で言い返されると思って身構えていたのに、意外にもウンディーネは目にいっぱい涙を浮かべる。

「無理よ。前の彼もその前も、百年前の彼だって、初めは優しくしてくれるのにいつの間にか冷たくなって、最後には私を捨てていくのよ」

 両手で顔を覆って泣き始めた。
 先ほどまでとは一転してひどく弱っている姿を見せつけられては、こちらも強く言うのは気が引ける。

「それは、辛かったわね。巡り合わせが悪かったのかもしれないわ。私で良かったら話を聞くから、思い詰めないで」

 私は失恋した時、だれにも言えなくて、一人で酒をあおっていた。
 いま思うと、友だちに聞いてもらっていればもっと心が軽くなってヤケ酒をしなくて済んだのかなと思う。

 まあ、そのおかげで頭を打って前世の記憶が戻ったんだけど。

「本当に?」

 ウンディーネは目にも留まらぬ速さで湖から出て、あっという間に距離を詰めてきた。ガシっと両肩を掴んできて、転んでも離してくれそうにないほど力強く掴んでくる。

「ええ、オリア魔法学園にいるからいつでも訪ねてくれるといいわ」
「いいの? 私、話し始めたら長いわよ?」
「全部ちゃんと聞くわよ。なんならおいしい紅茶とお菓子もつけてあげるから」

 目の前に迫る水色の瞳はだんだん輝きを増してきて、表情も柔らかくなっていく。

「いいわね! それならついでに王都でイイ男を捕まえられそうだわ!」

 すっかり機嫌を取り戻したウンディーネに背骨が曲がりそうなほど抱きしめられた。苦しい。息ができないんだけど。
 苦しさのあまりウンディーネの背を叩いて抗議していると、ノエルが助けてくれた。

「美しい水の精霊よ、人間は脆弱な生き物なので手加減してあげてください」

 するとウンディーネの水色の目がノエルを捕らえて大きく見開かれる。

「あら、王都に行かなくてもイイ男がいるわね」
「だ、ダメよ。ノエルは私の婚約者なんだから」

 そう言うと、隣に居るノエルの体がピクリと動いた。

「私の、婚約者……私の……」

 ノエルは私が言ったことを口の中でもごもごと繰り返している。まるでなにかを確かめるように、自問自答しているかのように呟いているのだ。

 おかしなことは言っていなかったと思うんだけど?

 それなのにノエルはすっかり固まってしまって、ついでに言えば周りにいるサラたちはニヤニヤとして遠巻きに眺めてくる。
 精霊の怒りから助けてくれた先生に対してその目はなんなのかしら?

「ふぅん。どうやらあんたとは愉しい話ができそうね」

 ウンディーネもさっきまでの涙はどこへ行ったのやら、ニヤついているものだからいたたまれない。

「安心して。確かにあんたの婚約者はイイ男だけど、隙がなさ過ぎてタイプじゃないわ」

 そうですか。どうでもいいんですけど(ヤケ)。

 生徒たちを無事に守れて、フレデリクの未来に影響が出なかってホッとするはずなのに、妙に生温かい空気のせいで達成感がない。

 そんな中、ウンディーネはぐるりと見回してみんなの顔を眺めると、小さく呟きを漏らす。

「ふむ、光の力と月の力がオリア魔法学園にいるのか」
「月の力?」
「ああ、月の力と言うのは――」

 ウンディーネは少し視線を上げると、口を噤んでしまった。

「忘れて。ただの独り言だから」

 途中で止められたらなおさら気になるんですけど。催促するように見つめても意味ありげな眼差しを向けるだけで教えてくれなくて。

「よし、私もあんたたちの憩いの時間にお邪魔しよう。さて、まずはあんたの名前を教えてもらおうかしら?」

 そう言って、話を変えてしまった。
 ずいずいと顔を近づけられると勢いに押されてたじろいでしまう。

「れ、レティシア・ベルクールです。オリア魔法学園で魔法薬学の教師をしています」
「よろしくね、レティシア。あんたの話もたーっぷり聞かせてもらうんだから!」

 先ほどまで失恋して自暴自棄になっていたのが嘘だったかのように上機嫌でまた抱きついてくる。
 そんな彼女は精霊というより、同い年の友人のようで、笑ってしまった。

 こうして、恋バナが大好きで恋愛体質でダメ男に引っ掛かりやすそうな、人外の友だちができてしまった。
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