【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 いろいろあったけど、無事にラクリマの湖から帰ってこられた。

 ダルシアクさんのことも警戒していたけど、みんなの前では依然として【気さくなお兄さん】を崩さず、なにか仕掛けてくる様子もなかった。

 ゲームではノエルの手下だからサラたちに危害を加えてきていただけで、この世界では違うのかもしれない。
 ノエルを異常なほど崇拝しているダルシアクさんのことだから、ノエルのために動いていたのかもしれない。
 だとしたら、ノエルが闇堕ちしていないいまは心配する必要がないのかも。

 そう思うと少し、気が楽になる。

   ◇

 翌日、授業を終えて温室の様子を見に行っていると、不意に声をかけられた。振り返ればすぐ後ろにダルシアクさんがいる。

「ダルシアクさん、昨日は生徒たちを連れて行ってくださってありがとうございました。みんなとても楽しんでいましたよ」
「……」

 はたと気づけば、彼は舞踏会で見た無表情を貼りつけている。
 猛禽類を彷彿とさせる金色の瞳に捕らえられていると、狩られる前の草食動物の如く足が竦む。

「解せません。特に魔力が強いわけでもないのに、どうして激昂した精霊を抑えられたのですか?」

 口調は丁寧だけど微かな威嚇を感じ取ってしまう。
 どうやら私は嫌われているままのようだ。

「魔力は関係ありません。ただ、話を聞いただけです」
「それが理解できません。魔力が弱い人間が精霊を操れるということ自体がおかしいのです」

 いや、だから、操っていないんだけどな。

「以前はドラゴンを手懐けていましたし、なにか呪術でも使っているんですか? それとも魅了魔法をかけているとか?」
「そんな魔法かけていたら苦労してなかったかもしれませんね」

 少なくとも失恋はしなかったはずだ、なんて考えている間にもダルシアクさんは容赦なく探るような目つきで詰めてくる。

「それでは先視はどうでしょうか? これから起こりうる出来事を知っているかのような顔で生徒たちを観察しているのが気になっていたんですが」

 思いがけない問いかけに、冷や汗がどっと噴き出す。

 ダルシアクさんはずっと見ていたんだ。
 そりゃあ、ノエルの手下をしているくらいだから洞察力がいいはずよねきっと。

「いいえ、教師の勘が働いていただけですわ。予知ができる力が備わっているといいんですけど」

 心臓がバクバクと大きな音を立てて脈打っている。
 動揺を隠してみたけど、ダルシアクさんには通用しなさそうで怖い。
 
「……」

 心の中まで見透かそうとする目は一向に離れてくれなくて、女神様に助けを願った。

 すると、ダルシアクさんの背後にオルソンが現れた。
 ポケットの中に手を突っ込んでいて、さものんびりと散歩しているような様子で。

「あれあれー? ダルさん、レティせんせと二人きりになっても大丈夫なのー?」

 軽い調子で近寄ってきてダルシアクさんの肩に触れると、一瞬だけど、ダルシアクさんの顔が青ざめたように見えた。

 まるでオルソンに怯えているようで、異様に張り詰めた空気が辺りを支配する。

「そ、そうだな、またノエルに怖い顔で睨まれそうだから、さっさと退散するよ」

 ダルシアクさんは【気さくなお兄さん】の仮面を被る。
 私とオルソンを残して、後ろ手を振りながら去ってしまった。

 オルソンと二人にされると、それはそれで気まずい。

 なにをしに来たのかわからないけど、オルソンはズボンのポケットに手を突っ込んだまま肩を竦めた。

「昨日はびっくりしたよー。レティせんせも怒るんだね?」
「当り前よ。生徒たちに危害を加えるのは許せないもの」
「俺が危ない目に遭っても、助けてくれる?」

 コテンと首を傾げて聞いてくる姿はあざといけど隙はなく。
 私の出方を窺うようで、だけど、それと同時になぜか不安そうで。

 そんな顔をされると、ゲームで明かされた彼の過去を思い出してしまって、泣きたくなる。

「もちろんよ。あなたたちを守るのが私の役目ですもの」

 たとえ敵国のスパイであったとしても、いまは私の生徒だ。
 ゲームをプレイしてたから彼の過去も気持ちも知っているからこそ、教師として彼の笑顔を守りたい。

 幸せな道を歩んでもらいたいと、思っている。

 だから私はあなたに向き合う。
 たとえどんな未来が待ち受けていようとも。

「やっぱりレティせんせーのこと、好きだな」

 オルソンはふわりと笑った。

 華やかな顔立ちで上品に微笑むと、妙に大人びていて子ども相手にドキリとしてしまう。

「あら、ありがとう。嬉しいわ」

 この世界の十代は本当に大人っぽいわね、なんて呑気なことを考えながら返事をしたら、目の前がオレンジの一色に染まる。

 甘い香水の匂いが強くなって、オルソンの声がすぐ耳元で聞こえた。
 抱きつかれているのだと、気づくのに時間がかかった。

「先生は俺を捨てないよね?」

 思いがけない言葉に驚いて、脳内が一瞬だけ動きを止める。
 これは、オルソンルートで聞く台詞だ。
 
 でもなぜ、個別ルートにもなってないのに、それも、ヒロインでもない相手に言うのかがわからなくて。

 疑問符が次々と思い浮かんで頭の中を埋めていく。

 まとまらない思考の中、カツカツとかかとで石畳を鳴らしてこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。

「オルソン・ドルイユ! またベルクール先生を困らせていますの?!」

 足音の主はイザベルだ。

 眦を釣り上げて怒りを露にしているイザベルは、私の手を握るとオルソンから引き剥がしてくれた。

「婚約者がいる女性に馴れなれしく抱きつくなんてはしたないですわ。あっちに行きなさい」

 そう言ってしっしっと手を振るイザベルは可愛らしい。

「ちぇー、そんな怖い顔しなくてもいいじゃーん。美人が台無しだよ?」
「あいにくですけど、無礼者に振りまく愛想はなくってよ」

 仕上げとばかりに意地悪く微笑むイザベルの顔は、ゲーム画面で見た悪役令嬢のそれで。

 見た瞬間に震え上がりそうになったのは内緒である。

 オルソンは不服そうな顔をしたけど、イザベルに追い払われてそのまま寮の方へと帰っていった。

 イザベルは腰に手を当てて大きく溜息をつく。

「ふぅ、何事もなくて良かったですわ。オルソンさんがベルクール先生に近づかないよう見張って欲しいと、ファビウス先生から頼まれていましたの。もちろん、頼まれなくても私は先生を全力で守りますわ」
「だ、大丈夫よ。ただからかわれただけなんだから」

 ノエルったら、イザベルにまでそのお願いをしていたのね。
 もしかして学園の生徒全員に言っているんじゃないかと恐ろしい想像をしてしまう。

 ノエルの【なつき度】が上がるよりも先にノエルの手下が増えてそうで、不安で仕方がないんだけど。

 知らないうちに見張りの数が増えていることにそら恐ろしさを感じたのだった。
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