魔女に呪われた少女と、美しい支配人と

プロローグ

 みなしごのロゼッタは、「呪われた少女」と呼ばれている。
 
 彼女を孤児院から引き取った家は主が不慮の事故で亡くなってしまったり、急に家の財政が傾いて没落してしまったりと、不幸に遭ってしまうのだ。
 やがて、その陰に赤い髪の可憐な少女の姿があると噂が流れるようになり、そう呼ばれるようになった。
 しかしそれを耳にしていても、花の妖精のように可憐な彼女をひとめ見ると、どの夫婦も彼女を家に迎え入れたがった。片田舎にある小さな教会の中の孤児院では、ひときわその美しさが目立ったのだ。
 緩く波打つ薔薇の花のような赤い髪に、珊瑚色の瞳、そして陶器のように白い肌。小さな唇の形は整っており、さぞ美しい女性に成長するだろうと口を揃えて称するのだった。

 何度も孤児院に戻って来てしまうロゼッタ。
 始めは偶然にも不幸が続いたんだろうと高を括っていた院長は、彼女を引き取った4組目の家が没落したと噂を聞きつけて、彼女を誰にも渡さないと心に決めた。
 ロゼッタにとっても相手の家にとっても、これ以上の不幸があってはならないと考えたのだ。
 この子は孤児院で、自分が育てていこう。ここは女神さまの加護のおかげか、これまでに何の悲劇も起こらなかったのだから。
 しかしいつまでたっても、ロゼッタを返したいという打診が来ない。いつもなら相手の家から使者が来る頃合いだがこれいかにと思っていた。

 嫌な予感がした。不安になった彼女は、自ら相手の家を訪ねることにした。
 村の人々に愛されているこの修道女は、馬車を出してもらえることになり、馬車で一日かかる相手のお屋敷へ、逸る気持ちを抑えて迎えに行った。しかし、その迎えも虚しく、屋敷はもぬけの殻だった。

 呆然と立ち尽くす彼女を見た女が声をかけてきた。
 このお屋敷の近くに住む彼女は昨夜、この不運に見舞われた家に近づき野次馬に興じていた。眉尻を下げてさも気の毒そうにしているが、内心は仕入れたばかりの他人の不幸を口にしたくてたまらなかった。

「可哀そうに、娘さんは借金の返済のために売られてね、昨日、商人が来て連れてってしまったよ」
「そんな……あの子を肩代わりにするなんてあんまりだわ」

 院長は途方に暮れて、空を仰いだ。
 大切にしてくれると、幸せにしてくれると信じていたのに。私が見抜けなかったばかりに、汚い人間の手に渡ってしまった。

 まだ7歳。生まれてすぐに捨てられていた。教会の前で見つけたときは、小さいながらも美しい顔立ちに息を呑んでしまった。

 何度も孤児院に返されても、健気に笑って見せていた少女。他の子どもたちを愛し、そして愛されていた優しい子。どうしてあの子ばかり不幸になさるのですか。あの子が何をしたというんです?
 
 押し寄せてくる後悔に泣き崩れた。彼女の嘆く姿を隠して天の女神の救いを邪魔するかのように、低く垂れこめた雲がしとしとと雨を落としていく。

 冷たい雨の中、修道女は彼女の名前を呼び、無事を祈り続けた。


  ◇


 修道女が祈っているその時、遠く離れた王都で、奴隷商の男は仕入れた少女を見て口元が緩ませていた。
 地下牢の前。檻の中の少女はそっぽを向いている。手足と口を縛られており、逃げることも助けを呼ぶこともできない。

「あんな田舎にこんな上玉がいたとはねぇ」

 昨夜、商人は連れてこられた少女を見て小躍りしそうになった。ちょうど探していた容姿だ。誘拐してでも仕入れたかった逸材が転がり込んできたものだから、喜びのあまり声を上げてしまった。

 珊瑚色の瞳を持つ少女。
 今では大粒のダイヤが詰まった宝石箱より高値で売れる。どんなに値段を釣り上げても欲しがるコレクターがいるのだ。それがどんな、危険な取引であっても。

 近頃、彼女のような珊瑚色の瞳を持つ少女を狙った誘拐事件が頻発していた。

 なんでも、彼女たちの中には”女神の秘宝”を身体に宿している者がおり、それを手にすれば何でも願いが叶うという噂が流れて、欲深い奴隷商人が攫っては闇オークションで売りつけているらしい。
 その噂のせいでこれまでに何人もの罪のない少女たちが命を落としていった。
 
「さあさあ、もうすぐでステージのお時間でちゅからねぇ。ちゃんとお客様に挨拶するんでちゅよぉ」

 ねっとりとした猫撫で声にピクリと反応したロゼッタ。怯むことなく男を睨んだ。
 今宵のオークションで彼女は売られる。決して公にはできない品々を競りにかけることで有名な闇オークション会場『黒霧の魔女の家』で。
 これまでいくつもの取り締まりのめをかいくぐってきた場所で、王都のメインストリートから離れた裏通りに佇む小さな酒場からしか入れない。

 そこで取引される品は人間や魔獣や盗品の美術作品、そして、いわくつきの骨董品。
 
 彼女は今日の目玉商品。
 競り落とされれば最後、女神の秘宝が体内にあるか確認するために殺されてしまう。

「おーおー、睨んでも可愛らしいこと。ホント、殺しちまうなんてもったいねぇよなあ。あんな噂さえなければどこぞの変態が一生大切にしてくれるだろうに」

 いずれにせよロゼッタにとってはまっぴらごめんだ。

(もう誰にも引き取られたくないわ。シスターや、孤児院のみんな以外、敵よ)

 まさか売り飛ばされるだなんて、想像することもできなかった。養父も養母も、目に入れてもいたくないほど大切にしてくれていたというのに。
 最後に一目見た養父の顔が忘れられなかった。
 
 忌々しく一瞥してきた、あの顔が。

 これまでに何度も見てきた。
 家が傾けば、家族が事故に遭えば、彼女が災いを呼んだと疎まれてきた。お前のせいで、お前さえ引き取らなければ、こんなことにはならなかったのに。
 そう言われるたびに傷ついてきた。それでも、「うちに来ないか?」と言われたら彼女は彼らの手を取ってしまう。
 家族に憧れる少女は、今度こそ何事も起こらないと希望を抱かずにはいられなかった。

 何もしていないのに、疑われる。私は何も、悪いことをしていないのに。

「時間だ、行くぞ」

 男に引きずり出される。かび臭くてじめじめとした牢屋は嫌だったが、歩き進むにつれて強まってくる声を聞くと踵を返したくて仕方がない。
 ちょうど、彼女の前に出品されたドラゴンが舞台裏に戻されていた。人のざわめきと、ドラゴンの声。初めて見るドラゴンは身体が大きくて、怒っていて、怖かった。
 でも、それよりも恐ろしいのは人間の方だ。

 奴隷商の男は丁寧にも、競り落とされたらどう殺されるかを彼女に教えてきた。そうして怖がる彼女を見て嗤っていた。
 
 薄暗い舞台裏。その先に照らされたステージに視線を走らせる。

 いくつもの燭台が魔法で浮かぶその場所は赤い絨毯が引かれている。引っ張られて足を踏み入れれば、無数の視線に刺された。客席に並ぶのは真っ黒の外套を身に纏い、仮面を身に着けた集団。

(怖い。この人たち、変。怖い怖い怖い怖い怖い――)

 誰にも聞き遂げられない悲痛な叫び。彼女の心を蝕まんとして沸き起こる熱狂。足が竦んでも無理やり歩かされる。

 憐れな少女はステージの中央に立たされた。
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