【短】鏡を割ったって、其処に写った自分が消える訳じゃない…
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其処で私は最後の望みを掛けて…賭けに出たのだ。
次の約束を破られたら、もう終わりにしようと…。
何も見ない、知らないフリをするなんて事は大人になって、もしかしたら処世術の一環になるのかもしれないけれど。
私はそんな風には生きていけない。
何時までも曖昧な関係に甘んじてはいられなかった…。
来月の九日…丁度付き合ってから四年目となるその日に、「逢いたい」と言った。彼は私からの誘いに最初は驚いた様子だったけれど、スマホ越しにでも分かるくらいふんわりと弾んだ声で、「分かった」と、約束してくれた。
ねぇ?
これが最後になるかもしれない、だなんて。
貴方はどれくらい分かっている?
もう、其処まで私の心は擦り切れてると言う事を…どうか汲み取って…。
そして、約束の前日。
私は少しだけイメチェンをしたくて、普段は着ることのないフェミニン系のワンピースを選び、それに見合うようなメイクとヘアメイクを考えていた。
最近の彼は、そんな雰囲気が好きなんではないかと…なんとなく感じ取っていたから…。
そうして、姿見の中の自分を見つめていたら、サイドテーブルに置いておいたスマホが不意に振動した。
相手は言わずもがな彼しかいない。
ふぅ…と、私は一呼吸置いてから、画面をスワイプする。
『もしもし?』
「和哉、如何したの?」
『あの…さ、明日の事なんだけど…』
「……」
『悪い…フットサルの試合が前倒しになって…』
「…そう」
『本当に悪い。この埋め合わせは、』
「もう、いい」
『え、…?』
「だから、もう良いって言ってるの」
『何怒ってんの?何時もなら…、』
「和哉、やっぱり貴方は…いや、もういい、勝手にして」
『ちょ、ま…』
ぷつんっ
少し乱暴に通話ボタンを切って、電源をオフにしてからソファーにガツン!とスマホを投げ付けた。
…十二月九日は、二人の出会った記念の日。そして、奇しくも私の誕生日の前日…。
私はそんな日を態々祝う事無いと何度も言ったのに、彼は『こういうのは、女の子にとってはやっぱ大切なことなんだろ?』と、私の意見を押し切って、勝手に部屋のカレンダーに記しを付けた。
だから、賭けたのだ。
この日に彼が、私の事を優先してくれるのなら、今までの事を全て水に流すと。
多分、一度出来た痼は溶けることは無いだろうけれど、彼を赦す糧にはなるだろうと…。
でも、実際的に無理だった。
一人でも生きていけると、彼は私の事を何処かでそう信じてる。
一ミリの疑いもなしに。
けど。
私はそんなに強くはないのだ。
一人は寂しいと人並みに思うし、悲しいとも感じる。
彼は…一体何がしたいのか。
こんなにも苦しい想いをさせてまで、付き合う意味なんてあるものか。
がしゃんっ
「あ……」
気付いたら姿見を、倒してしまっていた。
粉々になりそこかしこに飛び散った、一欠片の大きな硝子の中に映った私は、歪んだ笑みを浮かべている。
自身でも気持ち悪くなる程に…。
「辞めれば、良かったこんな事…」
傷付くのは自分しか居ないのに。
如何して、こんな賭けになんか出てしまったんだろう。
それはきっと…猜疑心に打ちのめされたからだ。
その誘惑に勝てなかったからだ。
「もう、和哉とは、やっていけない」
一人囈言のように、呟く。
悲しいかな、人間限界がやって来ると、感情のままに自分を揺さぶる事が出来なくなるらしい。
「いたっ…」
鏡の破片を片付けようとして、切ってしまった指はジンジンと痛むのに、心はまるで氷岩のように冷えていた。
彼は言った。
『麻也が嫉妬してる姿が見てみたかった』…と。
『其処に愛されている感覚を味わいたかった』…と。
それは、私の心を大きく抉って…最終的には破裂させたのだ。
もう、彼への気持ちは私の中で完全に無くなってしまっているのに、それに気付かない彼はとても滑稽だった。
どんどん、彼から距離を取り連絡を閉ざし、冷めた視線を送っても…それでも最後まで彼は私からの合図に全く動じなかった。
否、興味がなかったのかもしれない、初めから…。
だから、慌てた様子で私の前へと現れた彼は、私の光の灯っていない瞳を見るなり、動揺を隠し切れず冒頭の言葉を放ったのだ。
どんなに、掻き抱かれても、感情は既に一ミリも動かない。
彼が何か囁いている言葉も、私の耳には届かない。
もう………全てが、壊れた。
壊れてしまったのだ。