絶縁されたので婚約解消するはずが、溺甘御曹司さまが逃してくれません
不意に殴られたときの状況を思い出す。目の前の匠一と拳を振り上げた以前の匠一の姿が重なると、背中からドッと汗が噴き出た。恐怖で身が竦む絢子だが、かといってここで言いなりになればまた同じ目に遭うことは想像に容易い。
「わ、私はもう、桜城の人間ではありません……!」
足に力を入れて、絢子を引きずろうとする匠一に必死に抵抗する。行きたくない、と全身で訴える。
「ああ、確かにお前は俺の娘じゃない! でも正式に親子の縁を切るまで、俺にはお前を利用する権利がある」
「ありませんよ、そんなもの」
「!」
泣きそうになりながらなおも足に力を入れて懸命に抗っていると、ふと匠一の背後から――中庭の入り口から、聞き慣れた男性の声が響いた。その声を耳にした瞬間、絢子の胸に安堵が広がる。
「なっ……!? あ……玲良、様!?」
「玲良さん……」
「絢子から手を離してください」
時間は正午を少し過ぎた頃。多忙な玲良がこの時間にホテルに戻ってくることを想定していなかった絢子だが、匠一は絢子以上に驚いたらしい。
その様子を目にしてようやく、匠一はこのホテルに絢子一人で滞在しているのだと……現在の絢子が玲良の庇護下にあることを知らなかったのだと察する。