財閥御曹司と交わした一途な約束
朝食が終わると錦織の白無垢に着替えさせられる。
黒髪ストレートのロングヘアー。一度もカラーもパーマもかけたことがない。
少し痩せ気味で、目もそんなに大きくなく、ふんわりとした顔をしている。美人じゃなくて、どこにでもいそうな顔だ。老舗旅館の娘として育てられたが、誰もが知っている財閥に比べたら、まだまだ教養を身につけなければいけないだろう。
私が義堂財閥の妻になるなんて、ふさわしくないに決まっている。
義堂財閥は小さな旅館から始まり、だんだんとサービス業を中心に広がっていった。
今ではアメリカと日本にグループ会社があり、ホテル、百貨店、テーマパークを有し、義堂財閥として名を轟かせている。
そんなすごい人が、私を選んで結婚するなんて信じられない。
きっとこれは夢でも見ているのだ。目が覚めたら日常に戻っているに違いないと考えていると、唇に紅が塗られ、少しだけ顔が華やかになった。
旅館の館内の式を行える神殿にて、神前式をやるそうだ。
控え室からは自慢の日本庭園が広がっている。紫陽花が満開だった。しかし今日はあいにくの雨で空は灰色。
勝手に結婚を決められてしまったことに多少、憤りを感じていたが、養子である私を育ててくれた恩に報いなければいけない。
そうだとしても、急に結婚なんて。
緊張で指先が冷たくなり、手をギュッと握った。
「ご主人様の準備が整いました」
扉が開いた。入ってきたのは、五年前に出会った義堂悠一(ゆういち)さんだった。
ずっと会いたくて忘れられなかった人が目の前にいるなんて不思議な気分だった。
彼が元気に生きていてくれたのだとわかって安堵が胸いっぱいに広がる。
悠一さんは、身長が高くなっていて、一八〇センチ超えているように見えた。つややかな黒髪は綺麗に分けられていて、額がすっきりと見える髪型だ。
凛々しい眉毛に美しい二重。筋が通った鼻と薄くて形のいい唇。
紋付きの袴に身を包んだ体は細身だが、よく鍛えられているのがわかった。
過去よりもはるかに男前になっていて、まるで王子様のように見えた。
挨拶することも忘れ私は目が奪われていたのだ。
「美月」
「悠一さん……お久しぶりです」
「あぁ、久しぶり。体調は大丈夫か?」
顔合わせの時に私は具合が悪かったことになっている。
「ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「結婚式に体調が戻って安心した」
心からホッとしたように言った彼がゆっくりと近づいてきた。
「美しい。ずっと会いたかったんだ」
両手を伸ばして私を抱きしめようとしたので、一歩後ずさる。悠一さんは怪訝そうな顔をした。
「この結婚を喜んでくれていると聞いたんだが……」
話を合わせなければと思って私は笑顔を作る。
「旅館を救ってくださり、本当にありがとうございます」
「そういう意味で喜んでくれたのか……」
悠一さんは少しせつなそうに言って私に視線を向ける。そしてにこりと笑った。
心臓が貫かれたような衝撃が走り、頬が熱くなる。
悠一さんが旦那さんになるなんて信じられない。
「婚姻届は明日提出する予定だ。式が終わったら、今夜東京に戻って一緒に生活を始めるから」
「本当に……。私は結婚するのですね」
「そうだ。これからは生まれ変わったように幸せな人生にすると約束する」
真剣な眼差しを向けられたので、その目に吸い込まれてしまいそうな気持ちになった。
控室にうちの両親が入ってくる。
「あら、美月かわいいわね」
母の白々しい態度に私は思わず苦笑いをしてしまった。
義堂家のご両親も控室にやってきて、挨拶をする。財閥を背負っている威厳があるお父様と、彼を支えるお母様。二人は穏やかな表情を浮かべている。
結婚する気がない息子が結婚してくれたことが嬉しかったのかもしれない。
「お時間になりましたので、ご移動お願いいたします」
入場する瞬間、視線を感じて震えそうになった。正直なことを言うと怖くてたまらなかった。神前に行き、まっすぐ前を見る。
神職が祓詞を述べ、身を清めてくれる。神職が神に結婚を報告し、祈りを捧げてくれた。三々九度の盃は緊張でこぼしてしまわないか呼吸を整えるので精一杯だった。
滞りなく式は終わり、旅館自慢の日本庭園で記念撮影をし終了となった。
悠一さんの父は、スケジュールが立て込んでいるようで先に帰るようだ。奥様も一緒みたい。
「東京でゆっくりお茶でもしましょうね」
「ありがとうございます。楽しみにしています」
両親を見送ると私はすぐに着替えを済ませた。
母がまとめていた荷物を手に持つ。たった一つのボストンバッグのみ。
「契約がなくならないように、ちゃんと機嫌を取りながら結婚生活を送ってくるんだよ」
最後の最後まで母は私に冷たい言葉を投げかけている。
「はい」
頭を下げて私と母は玄関へと向かった。
もうここを出たら、たとえ悠一さんと離婚をしたとしても、戻ってこないと決意を固める。
「今まで育ててくださいありがとうございました」
両親は私に冷ややかな視線を向けていた。
そんな私の背中を悠一さんはそっと支えてくれる。
「美月さんのことは、責任を持って幸せにするのでご安心ください。美月、そろそろ行こうか」
私と悠一さんは迎えに来ていた車に乗り込んだ。
そのまま空港へと向かう。
不安でたまらない。うつむいていると大きな手で私の手を包み込んでくれる。
「冷たくなっている」
「飛行機に乗るのが初めてなので緊張しているんです」
「そうか。俺がそばにいるから何も心配することはないさ」
飛行機もそうだし、東京に行くのも初めてだし、男の人と二人で暮らすというのも初体験で、頭の中が混乱してパニックを起こしそうになっていた。